茨城県大子町は、町の約80%を占める山林を活用した「森林セラピー」を観光コンテンツとして磨き上げている。森や林の癒し効果は、感覚的だけでなく、科学的にも検証が進んでいるという。大子町では、その森林のなかを歩く「森林セラピーウォーキング」に加えて、森の中に自生する野草を使った「アロマセラピー」、自然の中で身体を整える「森林セラピーサウナ」などを商品化。コロナ禍を経て、心の平静を取り戻すような自然環境や観光コンテンツなどを体験する旅行スタイル「ウェルネスツーリズム」が注目されているなか、新たな観光開発に取り組んでいる。
茨城県初の「森林セラピー基地」に認定
大子町は2016年、非営利団体の森林セラピーソサエティから、茨城県では初となる「森林セラピー基地」に認定され、町内の「奥久慈いこいの森」が「森林セラピーロード」として登録された。森林セラピー基地とは、森林セラピーロードが整備され、健康増進やリラックスを目的とした包括的なプログラムを提供している地域のことだ。
これを受けて、大子町では森林セラピーを盛り上げていく機運が高まり、2018年に観光協会などの関係団体が組織する「大子町森林セラピー協議会」が立ち上がった。「森林セラピーウォーキング」などのコンテンツを造成・販売するとともに、地域住民の理解醸成にも取り組んでいる。
日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」がある大子町は、コロナ前は年間100万人以上の観光入込客数があり、観光を重要な産業のひとつとして位置付けてきた。一方で、農林業も基幹産業。茨城県内でも最も高齢化率が高く、人口減少も進むなか、この産業を他の分野でも活かしていきたいという考えがあったという。
大子町まちづくり課まちづくり担当係長の仲野絵美さんは「観光は、観光従事者しかメリットがないのではと思われがちですが、第1次産業でも観光による地産地消のメリットはある」と話す。
現在、森林セラピーソサエティが認定する森林セラピー基地は全国に65ヶ所あるが、大子町の特徴は、子供が森で遊ぶ子育ち支援の一環としてスタートしているところにあるという。「その取り組みを観光と紐付けて、外部からも人を呼び込みたい」(仲野氏)考えだ。
レジャー向けだけでなく、都市部で働く人たちのメンタルヘルス、モチベーションアップ、生産性向上などBtoB向けのアプローチも強化。法人向けにモニターツアーも複数回実施してきた。コロナ禍でワーケーションやテレワークが普及するなか、新たな働き方あるいは休み方の発見につながったという参加者も多いという。
五感が癒される森林セラピーウォーキング、香りで心が整うアロマセラピー
その森林セラピーを、町公認のトレーナーのガイドで実際に体験してみた。大子町では、森林セラピーを普及させていくために、町独自で森林セラピートレーナー養成プログラムを立ち上げ。現在、17人がガイドを行うトレーナーとして認定され、今後さらに28人に増える予定だという。
「奥久慈いこいの森」は、ヒノキやスギが林立する広大な森。適度な起伏を伴ったウォーキングコースが整備されている。1986年には森林浴の森日本100選にも選ばれた。
森林セラピーウォーキングは、セラピートラレーナーで精神科作業療法士でもある益子卓さんにガイドをしてもらった。セラピーウォーキングの特徴は、ただ森の中を歩くだけでなく、木の実や枝の香りを嗅ぎ、鳥やカエルの声に耳を傾け、苔や木肌を触り、森の生態系の世界を覗きながら、歩くことだ。益子さんが森のヒミツを色々と教えてくれる。「五感を使って、今この瞬間を自然のままに感じてください。第六感も生まれてくるかもしれませんよ」。患者さんの療法としても、この森林セラピーウォーキングを活用しているという。
木々に覆われ、木漏れ日が落ちる苔むした場所では、靴と靴下を脱いで、その上を歩いてみた。フカフカと柔らかい感触が裸足の足に優しい。足の指を開いて、その苔を掴んでみた。裸足で直に地面を歩くのはいつ以来だろう。遠い昔に置き忘れていた感覚が緩やかに蘇る。
大子町が見下ろせる丘の上で暫しの休憩。「少し横になって、一人の時間になってみてください」と益子さんに誘われるまま、寝そべり、広い空を見上げ、目を閉じると、眠りに落ちた。益子さんの呼びかけが聞こえると、数分前とは異なる世界に帰ってきたような不思議な感覚で目を覚ました。
丘を降りると、地元産食材を使ったランチが待っていた。焚き火を囲みながら、素朴な地の物を食しながら、大子町の人たちから地域の話に耳を傾けると、大子町の森の物語に深みが増していく。
ランチを用意してくれた荒蒔さちこさんは、セラピートレーナーとしてアロマセラピープログラムを担当している。アロマセラピーは、五感の中でも「香り」に働きかける。荒蒔さんのインストラクションを受けながら、大子町由来の精油やハーブを組み合わせて、オリジナルのハンドジェルを作ってみた。安眠効果のある「マジョラム」と抗毒素作用のある「ラベンダースピカ」を混ぜ、「グレープフルーツ」で柑橘系の香りを加えた。手につけてみると、唯一無二の香りが優しく広がった。
「香るか香らないかくらいが、精神にはちょうどいいんです」と荒蒔さん。デトックス効果があるという松葉茶をいただくと、心がさらに整うような気がした。
ターゲットを絞ったアウトドアのブランド化を
大子町まちづくり課主任の貝俊介さんは、アウトドアを大子町の新しい観光のウリにしていきたいと話す。「ただのアウトドアではなく、町の文化や特産を組み込んだものにしていければ」。大子町は日本におけるお茶栽培の北限。「森林サウナ」プログラムでも、サウナストーンに、ただの水ではなく、地元産のほうじ茶をかけて、サウナテントを大子町の香りで満たす。森林セラピーウォークもアロマセラピーも合わせて、目指すのは「町のストーリー化」だ。
「旅のスタイルも変わってきていると思います」と貝さん。アウトドアとウェルネスツーリズムを組み合わせ、関係人口を創出していければ、移住定住にもつながると先を見る。大子町は首都圏からも近い。実際のところ、その利便性から、大子町への移住者は、コロナ前よりも増え2022年は30人ほどになったという。平均年齢も若返った。テレワークの浸透で、週数回東京に出勤する働き方の移住者が多いようだ。
ただ、課題もある。キラーコンテンツである袋田の滝への一極集中からの脱却と宿泊機会の創出による現地消費額の拡大だ。
観光商工課主任の松本暁空さんは「ターゲットを絞って、一部の人に刺さるようなアウトドアコンテンツで勝負していきたいと考えています」と話す。特に、現在茨城県が主体となって整備を進めてる「茨城県北ロングトレイル」への期待は大きい。「役場にもタウンプロモーションチームを立ち上げ、アウトドアのブランド化を進めているところ」だという。
コロナ禍で注目が高まったアウトドアとウェルネスツーリズム。森林という町の資源を生かした大子町の観光振興は始まったばかりだ。
トラベルジャーナリスト 山田友樹