南極のオーバーツーリズム先例に学ぶ ―20年前に起きた論争に見るサステナブルな関係づくりの考え方とは?

コラム「観光レジェンドからの手紙」(2)

トラベルボイスでは、ツーリズムの活性化に貢献した先人の知見を次代につなぐための企画として、シリーズコラム「観光レジェンドからの手紙」を不定期に設け、2018年6月に逝去された亜細亜大学の元教授・小林天心氏が同大学学内誌に発表した論考を再編したものを掲載しています。

シリーズ第2回目は、1990年代、南極の環境破壊問題をテーマに同氏が論じた考察を紐解きます。

超破格の南極ツアーを販売

1990年代半ば、私は南極海域での新しいツアーを開発すべく取り組んでいた。当時の極地観光は、それ専門の船舶を用意した欧米の専門業者の領域であり、パッケージ価格も数百万円は当たり前の相場だったし、行ける人もごくわずかという超SIT(special interest tour)の世界だった。

だが、それを百万円以下というまさに常識を打ち破る「びっくり価格」とツアーの内容であるカナダ人が売り出しことから、アメリカ・カナダであっという間の大ヒットとなっていた。私は早々に、その商品の日本における独占販売契約を結び、発売の準備を進めていた。

観光客増だけが環境破壊の要因か

そのさなかの1996年1月、朝日新聞の科学欄に「南極の環境保護を急げ」という特集記事が掲載された。ほぼ1ページという大きな扱いだった。早速読んでみると、この記者の主張は、どうやら「南極の自然が観光客の増加によって汚染されつつある。その規制を急ぐべし」というものだった。

さらによく読んでみると、この記者は自分の目で現地を見ていない。どうもそこらあたりの伝聞をもとにした「憶測記事」のようだった。当時よくあった旅行業悪者論に、こいつのほうが悪乗りしている。いかにも正義ぶった文体に「許せん」とばかり、すぐに朝日の「論壇」あて反論を書いて送った。当たれば儲けという、朝日の科学部に対する挑戦のつもりだった。

すると早速、論壇の担当者から連絡があり、掲載したいと言ってきた。それが次の一文である。当時の南極事情がよくわかるし、旅行業の立場から、ロクに南極を調べもせず旅行業を調子に乗って悪者扱いした科学部記者に対する、皮肉に満ちた文章でもある。よく論壇担当者が、これを取り上げてくれたものだと思う。公平を期すという朝日の掲載基準があったとするなら、誠にありがたい。旅行業界にとっても、南極にとっても、けっこうな意義があったと思っている。当の科学部記者は、切歯扼腕だったに違いない。彼の署名入り記事だったから、いっそう口惜しかったはずである。

事実の客観視と謙虚な姿勢がカギ

<朝日新聞論壇より>

本紙1月29日付朝刊に、「南極の環境保護を急げ」という記事が掲載された。南極の自然がいま以上に破壊されることのないよう、早急に南極条約の「環境保護議定書」を批准せよ、という内容である。なかでも、観光客の急増による汚染が強く憂慮されていた。これについて、実際に南極観光を勧めている旅行業者の立場から、一言申し上げたい。確かに、環境保護の上で、近年、観光が問題になっていることは間違いない。このため、1994年に京都で開催された南極条約協議国会議では、観光などによる南極の環境破壊防止のためのガイドラインが採択されている。「航空機や船舶の使用にあたって野生動物の生活を乱さない」「その活動に影響を与えるような形で、動物に触れたり、写真を撮影したり、接近したりしない」などきわめて細かな内容が決められた。

しかし、南極条約やその環境保護議定書が締結されたのは、観光よりも、むしろ、各国の領有権の主張や鉱物資源採取の問題および基地による汚染に対処するねらいがある。

よく知られているように、南極は長年、無人の大陸だった。そのため、探検と命名によって領有を主張する英仏などと、近接国のアルゼンチンやオーストラリアなどが対立した。

―旅券なしで行ける大陸は南極だけ―

第二次大戦後、これに米国や旧ソ連をはじめとする各国が加わり、領有や地下資源の採取を主張した。また、多数の観測基地が設置され、なかには、単なる軍人の駐屯地のような「観測基地」をいくつも設けた国もあった。南極条約の投票権が実際には「科学観測」をしている国に限定されるからである。

南極の環境破壊で問題なのは、観光よりも、これらの何十カ所も設けられた各国の科学観測基地であろう。ほぼ40年間にわたり、平均して夏期4000人、冬季千人もの人々がこうした基地に「居住」してきた。このうち20~40%が科学者で、その他は補給やメンテナンスのための一般職員とされる。

これまで、これらの基地から排出されるごみは、屋外でどんどん燃やされてきた。巨大なタンカーはコンビナートのようなタンクに石油を陸揚げする。1970年代には米国が、マクマード基地に原子力発電機まで持ち込んでいたのは、よく知られるところである。こうした汚染の集積は大きい。

また、マスコミでしばしば喧伝される南極を舞台にしたさまざまな「冒険」による環境破壊も無視できないものがある。実のところ、冒頭に紹介したガイドラインは、観光とともにこうした「非政府活動」も対象としているのである。

南極の環境保護議定書が早期批准されなければならないのは、こうした多様な環境破壊に対処する必要に迫られているからだ。決して、観光客の急増だけが問題なのではない。

ひるがえって私もかかわっている「観光」の現状についていうと、現在、南極海域を敢行している船は、主なところ6隻である。この6隻で、南極の夏の3カ月間に、世界の観光客約6000人を運ぶ。船には専門の科学者が乗り、南極の自然やその保護についての、徹底したレクチャーをしている。

観光客は、海岸沿いの砂利や砂地に無数にある、ペンギンの生息地にそっと上陸し、1~2時間過ごして帰船する。1回の旅行の上陸回数は数回。上陸した観光客は完璧に、何も残さない。たばこさえ吸わない。「議定書」やガイドラインを守って、ごみなどは、すべて持ち帰るようにしているのである。

もちろん、だから、観光が南極の自然にまったく影響を与えていない、と主張するわけではない。しかし、ニュージーランド政府によると、観光客による影響は、各国の観測基地の科学者らによる影響の1%以下だ、とされている。

南極は、人類共通の貴重な財産である。観光だけが排除されなければならない理由はない。科学者も、観光客も、「冒険家」も、等しく南極条約の原則に従って行動することが大切だ。そして「謙虚に」南極の自然に対したい。

(『朝日新聞論壇』1996年2月20日)

規約順守が環境を守る

というわけで、南極大陸はいまだ、どこの国の領土でもない。したがって世界の諸大陸のうち、ここだけには上陸する際、パスポートが不要である。もちろん査証(ビザ)も必要ない。誰でも、ヨットに乗ってでも自由に行ける。南極条約というのはこうした面でも、ある種の人類の理想が表されているのである。この条約が無かったら、南極大陸は「核のゴミ捨て場」になってしまう恐れだって無くはなかったのだ。

(2015年3月 亜細亜大学経営学『ホスピタリティ・マネジメント学科紀要』より)


【編集部より】


小林氏は1968年から旅行会社で数々の観光マーケティングを実践。1998年から2005年までニュージーランド政府観光局の日本支局長を務めました。また北海道大学では客員教授として教鞭を取られていました。

なお、本記事は生前、ご本人から当編集部に届いた原稿について本人およびご遺族からご承諾をいただき、当編集部で一部編集して掲載するものです。

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