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無名地域を旅行デスティネーションに磨き上げる方法 - ロシアの小国を事例に観光マーケティング技法を考える

コラム「観光レジェンドからの手紙」(3)

トラベルボイスでは、ツーリズムの活性化に貢献した先人の知見を次代につなぐための企画として、シリーズコラム「観光レジェンドからの手紙」を不定期に設け、2018年6月に逝去された亜細亜大学の元教授・小林天心氏が同大学学内誌に発表した論考を再編したものを掲載しています。

世界にはまだ知られざる魅力あるデスティネーションが数多くあります。その一つがロシアの小国、カルムィク共和国(カルムィキア、写真)です。2014年秋にその地を訪れた小林氏は調査の結果、ここを変化に富む自然と歴史文化に恵まれたエコツーリズム商品として開発しようと考えました。

シリーズ第3回目では、同氏が具体的な手法としてまとめた考察をお届けします。

厳しい自然環境にある「ロシアの中のモンゴル」

2014年9月に「カルムィク共和国(カルムィキア)」というロシア内の共和国を訪問する機会があった。この国のことは、日本ではほとんど知られていない。

どこまでも大草原が続く、「ロシアの中のモンゴル」である。ヨーロッパにおける唯一の仏教国でもあり、自然と文化において、そのユニークさは群を抜いている。地図で見るカルムィキアは、東南部がカスピ海に接し、有名なヴォルガ川がカスピ海に流れ込む、そのすぐ西側に位置する。広さは7.6平方キロ。日本のちょうど5分の1ほど、北海道よりほんのわずか小さい。首都はエリスタ、全人口29.2万人。主な産業は農業、放牧である。帝政ロシアや、スターリンソ連時代の政治権力により、もともと中央アジア・モンゴル文化圏に住んでいた彼らは、強制移住を余儀なくされたり、追われたり、逃げ遅れたりしながら、ここに定住することになった。

目下のカルムィキアは、観光による地域おこしを考えている。夏は40度を優に超える暑さ。冬は大陸性気候によって、零下30度まで下がるという、厳しい自然条件の中にある国である。しかし、草原が見渡す限りチューリップの花で覆い尽くされる春。途方もなく広がる湿地帯に咲き乱れる蓮の花、という夏の風物があり、大草原には馬、ラクダ、羊や牛の群れが草をはんでいる。渡り鳥が空を覆いつくす秋もある。訪れる人たちが必ずジョンバという牛乳茶で歓迎される国。

こんなロシアの中の別天地を旅する経験は、ロシア国民のほとんど、なかんずくロシア北西部のサンクトペテルブルグやモスクワ地方の人々にさえ、とても想像が及ばない世界なのではないか。360度地平線に囲まれた、真っ平らな大平原である。いつかきっと一度くらいは、その夕焼けや星空を見てみたいと思わない人はいないであろう。といったあたりを念頭に、このカルムィキアの、エコツーリズムによる観光マーケティングを考えてみた。

カルムィキアの観光を「エコ商品」として考える

まず手始めに、カルムィキアの観光的な魅力を、内外の知見を併せつつ洗い出してみる必要がある。その地域の人では、当たり前すぎて、意外に自分たちの魅力に気が付いていないことがあるから、外部からの専門家の目線も必要である。自然、気候、文化、民俗、歴史、産業、食べ物、お祭り・イベント、「人」などにつき、なるべくたくさんの「お宝素材」を洗い出す作業が必要。土地の人にとっては魅力と思われない事象も、視点を変えるとまったく反対の評価につながることが少なくない。

<フェノロジーカレンダー>

上記の作業を終えたら、表の左に、それら各項目(お宝)を上から下へ書きだし、右側へ、1~12月のカレンダーにそれらの該当期間を、ラインで当て込む作業を行う。この表により、シーズン毎のお宝が、ひと目で把握できる。花・鳥・動物・食べ物、ときに星座まで、これはと思われる自然現象は限りなく多い。

<観光ルートの設定>

花とか動物、歴史文化、自然景観、といった特定のテーマによる、旅行・ドライブルートは作ることができるだろうか。それらに魅力的なニックネームをつけられるだろうか。ルート設定にはある程度、宿泊施設が用意されていなくてはならない。

<宿泊施設に関して>

新しい宿泊施設を必要とするなら、それらは周辺環境とのバランスを考えた大きさ、色、高さ、などのデザインが慎重に考慮されるべきである。そのうえで、滞在客がのんびり、快適に過ごせる時間と空間を提供できるよう設計する。とくに部屋の窓はフロアから天井まで、大きく明るくとりたい。キーワードは、上品、明るさ、清潔、快適、静けさ、など。

<滞在時間と消費金額は比例する>

訪れる人々を通過客にしないため、なるべく多く宿泊させる日程・ルートづくりが必要。そのためには、夕方や夜、あるいは早朝や午前中の活動プログラムがあると、宿泊をセットにしやすい。あるいは1カ所で数泊させるための魅力的な観光・体験活動を、多く用意する必要がある。

<狩猟よりバードウォッチングを>

エリスタのインツーリスト(当時)の話では「狩猟」の需要が比較的多いという。SITの典型市場ではあるが、これは一般的には通用しにくい。「自然環境=動物保護」というグリーン市場から反発を受けないようにするため、このカテゴリーは「知る人ぞ知る」の範囲にとどめておきたい。射ち殺すより「バードウォッチング」のほうが、エコツーリズムが目指すべき方向であろう。

<SIT(Special Interest Tourism)>

これらのカテゴリーは、数の上では決して大きくない。しかし、マーケティング上の狙うべきターゲットとして、取り組みやすく効率もいい。エコツーリズムとの組み合わせを考慮しつつ、しっかり取り組みたいセグメント、あるいはクラスターである。

  1. マラソンあるいはトライアスロン。カルムィキア、あるいはエリスタという名称を年間の定例イベントに育てる。最初は参加者が少なくても、継続させれば大きな力となる。
  2.  サイクリングツアー。
  3.  写真や写生をテーマとするツアー。参加者による写真のコンテスト。入選作品を、カルムイキアの広告・広報に(無料で)使用させてもらえるように、あらかじめ計画しておきたい。
  4.  フィッシングツアー、キャッチ&リリースの大会も企画できるだろう
  5.  料理・グルメのツアー。天下一品のカルムィキア産仔羊肉がテーマである。食べるのみならず、その料理のしかたも。さらには「カルムィキア特産仔羊肉の冷凍パック(レシピ付き)」をお土産に売る。国外客には食肉検疫が問題になるかもしれないが、ロシア内からの来訪者にはウケるに違いない。
  6.  バードウォッチング
  7.  星空や夕焼け観察。その他この方面での「お宝さがし」を行ってみると、意外な発見が多くあるものと思われる。

対象とするべき市場カテゴリーについて

<エコツーリズム>

カルムイキアならではの自然の素材や、独特の歴史文化を前面に出す。よそにあるものを真似しない。なるべく人工的な誘客施設をつくらない。地域全体を自然や文化の「生きた博物館」に見立てる。その保全をきちんと行い、数は少数でも、それをしっかり理解してもらえる客層にアピールする。

顧客の知的好奇心を刺激し、旅の満足度を最大化させるためには、インタープリーター(カルムィキア特有の自然や文化の解説役)が必要。知的興味のみならず、楽しませながら解説を行い、満足度を最大化できるようなインタープリーターの育成が必要である。

<自然志向のシニア市場>

都会の文化やエンターテイメント、ブランド品ショッピングなどを志向しない、旅慣れた中高年市場。知的好奇心が強く、体験交流型(Inter-active)を求める、精神的に若く、能動的旅行者層。ローカルな文化や食事にも関心が高い。

<学生や若者の市場>

バックパッカーと言い換えてもいい。他国の自然や文化、人との交流に積極的。知的好奇心が高く、長く滞在する。たとえば「WWOOF」といったようなシステムの利用にも積極的である。1日あたりの消費金額は小さいが、長期にわたることと、それ以上に旅行する国を理解し、好きになり、その国にとってプラスとなる情報発信力が高い。もちろん将来的に、リピーターとしてまた帰ってきてもらえる。

※WWOOF=Worldwide Opportunities on Organic Farms。農場滞在・作業の手伝いにより、宿泊費を相殺する旅行方法、世界を旅する若者に人気がある。

<国際市場>

上記の市場を考慮した場合、ドイツの市場が一番可能性が高い。国際観光の市場では、質・量ともにドイツは圧倒的で、新しいものを求める外国旅行リピーター市場がもっとも厚い。しかも連続休暇日数も多い。アジアでは文化的あるいは民俗的親和性から、中国・韓国・日本にもアピールしやすいだろう。

販売促進に関する具体的な手法

<FAM Tour(Familiarization Tour)>

対象となる市場から、(1)マスメディア、(2)旅行会社、(3)有名人などオピニオンリーダーたち、をあらゆる機会を通じ招待し、上記を体験してもらう。

(1)にはその際、事前にどのくらいの露出量を期待できるのか確認しておかなくてはならない。(2)に対しては、なるべく具体的に、新しい商品の造成・販売を依頼する。(3)に対しては、たとえば「観光大使」になってもらうなど、あらゆる機会を通じカルムィキアのことを発信してもらえるよう、親密な関係を保ちたい。

彼らに、カルムィキアの一番のファン=応援団になってもらうのである。「名誉観光大使」の肩書授与など、先方にも喜んでもらえそうだし、PR効果も高いものと思われる。同行の記者団などには、どこか数カ所、別のカルムィキアを見せ、体験してもらう。それによる報道の露出量最大化を図る。

<広告宣伝>

これに関わる費用はとてつもなく高いので、上記(1)によるソフトなPRに絞って考えたい。あるいは先述の顧客の口から、カルムィキアについての質の良い、かつ信頼性の高い「無料広告」をしてもらえるよう、1人1人の旅行者の満足度を高める努力を、あらゆる面で行うこと。ひとりサプライヤー(観光産業関係者)のみならず、環境や景観、文化財の保全など、カルムィキアの人々全員が「ホスピタリティ」のもてなしに関わっている。これによる「顧客連鎖」こそが、ツーリズム・マーケティングにおける最も重要なことである。つまり顧客満足の提供こそが、ツーリズムにおける最大の販売促進策といえる。

<インターネットの効果的活用>

なんらかのPR効果により興味を抱いた人は、必ずインターネットによる検索を行う。これに対し、魅力ある、アップデートなコンテンツを不断に提供できるか否かが、現代の観光マーケティングにおける最高のカギである。これには必ず、最低でも、英語による情報提供が行われなくてはならない。そのうえで予算が許すなら、さきに述べたターゲットとするべき国際市場の言語によるもの、を準備できることが望ましい。

<価格について>

カルムィキアのような独特な、しかもエコツーリズムを志向するデスティネーションにおいては、とりわけ低価格志向をとってはならない。あくまでよそとの質的差別化を目指すことが肝要である。サービス・ホスピタリティ産業においては、工業製品のような「大量生産低価格」政策はとることができない。安くしようとすると必ずなんらかの質の低下を招き、顧客満足度低下に直結する。あくまで価格より、クオリティの充実を目指さなくてはならない。

<表示・地図・観光情報・メニュー>

これらに関しては、必要最小限と思われるレベルから、「ロシア語と英語併記」のものを用意しておきたい。さらにその他の、ターゲットとする市場・国がとく重要と思われるのであれば、それについても同様である。せめて各地の観光関係担当者たちは、英語併記の名刺をすぐにでも用意してもらいたい。

<データの整備>

現在の観光動向を把握するため、各地の宿泊機関に協力を依頼し、人数✕宿泊数の月別データを把握したい。これらは宿泊カードから、(1)観光、(2)ビジネス、(3)友人・知人訪問、(4)その他、という程度のカテゴリーに分けられるようなら理想的である。

もちろん国別人数の把握は言うまでもない。さらにはどこかの時点で、旅行の満足度調査や、カルムィキア内で使った金額の調査を行ってみるべきである。こうしたデータが、以後の観光産業ステークホルダーたち、あるいは観光行政にかかわるセクションにとっての大きな武器になるであろう。

(2015年3月 亜細亜大学経営学『ホスピタリティ・マネジメント学科紀要』より)


【編集部より】

小林氏は1968年から旅行会社で数々の観光マーケティングを実践。1998年から2005年までニュージーランド政府観光局の日本支局長を務めました。また北海道大学では客員教授として教鞭を取られていました。

本記事は生前、ご本人から当編集部に届いた原稿について本人およびご遺族からご承諾をいただき、当編集部で一部編集して掲載するものです。