
こんにちは。観光政策研究者の山田雄一です。
近年、「付加価値を高めよう」という議論が多くなっています。量から質へという従来からの論点を背景としつつ、賃金水準を上げていこう(=労働生産性を上げていこう)ということの現れと考えることができます。
今回は、「高付加価値化」に着目し、その定義や本質について考えてみたいと思います。
量への注目
もともと、日本では観光振興のバロメーターとして観光客数(宿泊客数)が設定される傾向にありました。その結果、人数が確保できる施策、例えば、花火のような大型イベントやクルーズ船誘致といったものが脚光を浴びやすかったといえます。
また、今でこそインバウンド需要が大きな影響力をもっていますが、長らく日本の観光は国内需要によって支えられてきました。高度成長期に団体旅行によって観光需要の基礎が作られ、長く一億総中流と呼ばれた日本社会では、マスを対象とする方が効率的であり、マスを対象とする以上、個々人の消費額にも大差はありませんでした。その状況では(平均)単価を上げるよりも、1人でも多く客を呼び込むことが、売上増につながったわけです。
環境の変化
しかしながら、以下のように、その状況が変わってきました。
- 団体客が激減した
- 日本人でも、経済格差が拡がってきた
- 日本人でも、高い経験値をもつ人々が増えてきた
- 世界的な富裕層が来日するようになった
- ホスピタリティ産業の低賃金が問題となってきた
- 人手不足が回避できなくなってきた
- 人気地域ではオーバーツーリズムが問題となってきた
2010年代となり、日本の景気後退も底打ちし、さらに、インバウンドが隆盛してくるのに合わせ、観光需要も増大へと転じました。
国内市場では、かつての均質的なマス市場は消え去り、少数の高学歴・高収入・高経験の人々によって市場の多くが占められるようになってきました。さらに、慢性的な人手不足となったことで「少し前」の勝ち筋だった、画一的サービスで安価なバジェット型施設では対応が難しくなってきました。
とはいえ、施設のハードとしての寿命は30年、50年というレンジです。1990年代以降の市場構造の変化に対応していくには追加投資が必要ですが、同時期は需要の減少期と重なり、追加投資どころか事業の存続も危ぶまれる状況であり、変化への対応が難しい状況でした。加えて、東アジアからのインバウンド客は、当初、かつての日本人旅行のような団体旅行も少なくなく、20世紀仕様の施設でも一定の需要を受け入れることができたことも設備投資、ビジネスモデルの更新をしなくても延命できたという側面があったのかもしれません。
変化というものは、突然起きるわけではなく、徐々に切り替わっていくものです。そのため、変化の渦中にある当事者は、その変化を読み取ることが難しいことが多々あります。特に、その環境に最適化している人々は、頭では変化を認識していても、その変化を認められず(認めたがらず)、改善策で対応しようという意思決定をしがちです。これは、イノベーションのジレンマと呼ばれる現象です。
しかし2010年代の後半になると、日本の宿泊業が環境に対応できていないことがはっきりとしてきます。
インバウンド需要を当て込んで新設された施設やオーナーチェンジ物件の多くが、外資系となっているということは象徴的でした。もちろん、国内独立系で個人&高級路線に転化した施設も少なくありませんが、チェーン展開している国内資本は星野リゾート、特定地域でも北海道の鶴雅グループくらいに限られるのが実状です。
競争力を落とした事業者は、安売りに走ることになります。なぜなら、マーケティングの中で最も強力なのは価格設定であり、価格を下げれば需要を取り込むことができるからです。これは、当然ながら消費額だけでなく、付加価値を低下させていくことにつながっていきます。
もともと、インバウンドに対する2020年の目標は人数4000万人、消費額8兆円でした。2019年、人数は目標値79.7%となる3188万人まで達成したのに対し、消費額は4.8兆円と60.0%に留まっています。さらに、3000万人段階でオーバーツーリズムの兆しは顕在化しており、人数先行の観光振興に対する懐疑的な意見も少なくありませんでした。
しかしながら、多くの既存事業者はイノベーションのジレンマにハマり、身動きが取れない状態だったのです。
コロナ禍によるリスタート効果
そこにコロナ禍が来たことで、強制的に考える時間がもたらされることになりました。
その思考を通じて、コロナ禍からの復活に向けて、本格的に量から質への転換を図ったのが、現在の「付加価値議論」につながる道筋と言えるのではないでしょうか。少子化社会において、観光による地域振興を実現していくには、労働生産性を高めることは必須要件であり、付加価値に注目することは当然の帰結でもあったのです。
コロナ禍によって、一時的に動きが止まったことが「イノベーションのジレンマ」からの脱却につながるきっかけになったのだとすれば、不幸中の幸いと言えるかもしれません。
高価格であればいいのか?
ただ、気になるのは「高付加価値にしよう」という動きが、高価格にしよう、富裕層に対応しよう、というのと同様に使われているように感じることです。確かに、高付加価値と低付加価値を比較すれば、前者のほうが価格は高くなります。したがって、高付加価値サービスは、高価格となりやすいし、それだけでの費用負担が出来るのは富裕層だというのが、合理性のある話です。前述した消費額目標を達成するためにも、価格を上げることは重要な取り組みとなります。
しかし実際には、高価格=高付加価値ではありません。仮に10万円のサービスがあったとしても、付加価値が3万円にとどまるものもあれば、7万円となる場合もあるからです。付加価値率をみると、より安価なサービスのほうが付加価値は高いという場合もあります。
例えば、食事にドンペリをつけたら価格を上げることができます。しかしそのドンペリはフランス産だから、ドンペリそのものの付加価値は事業者/地域はもちろん、日本にすら残りません。せいぜい、物流事業者の付加価値形成につながるくらいです。
これと同様の構造が、宿泊事業を外資チェーンに委託している場合にも当てはまります。巨大なホテルチェーンと契約すれば、世界でもトップクラスのブランドを誘致し運営することができ、宿泊価格も大きく吊り上げることができるでしょう。ただし、現在のハイブランドホテルは基本的に、所有・経営・運営が分離された3層構想となっています。この場合、付加価値を生み出すノウハウをもっているのは、経営を委託されているホテルチェーンです。その理由は、「ブランド」を持っているのは、ホテルチェーンだからです。
これらのホテルチェーンの多くは「外資」ですから、付加価値の多くは国外に流出することになります。所有も外資であれば、同様のことが言えます。地域/国内に確実に残るのは「運営」ですが、これは、ハイブランドだから高付加価値という話にはなりません。前述のように、付加価値を生み出しているのはブランドだからです。
もう一つ、高価格にするために「しがち」なのは、ともかく高級な設えにすることです。ドンペリをつければ価格をあげられるように、客室を広くしたり、専用露天風呂をつけたりすれば価格は上昇します。高額なベッドや調度品を備えることでも価格を上げることはできるでしょう。ただ、単純に設えを高級にするだけであれば、ホテルチェーンに委託するのと同様であり、自身が付加価値を創造しているわけではありません。ブランドを持った他者の威光を借りることで高価格となっていても、その価格ほど付加価値が高まるわけではないのです。
高級な設えにすることで、高価格にするという発想は、バブル期にも見られた現象です。ただし、そうやって作られた施設の多くが、短期間で陳腐化してみえてしまったのは、そこには設えはあっても、高質な経験が存在していなかったからではないでしょうか。
サービスにおける付加価値とは、突き詰めていけば、サービスに対する期待値であり、ブランド力なのです。高付加価値=高価格となるのは、自らが高い付加価値、すなわち、高い期待とブランド力を生み出した場合に限定されます。そうではなく、ブランド力を他者に依存することで高価格となっているのであれば、必ずしも高付加価値とはならないという点を理解しておきましょう。
なお、低価格でも高付加価値を提供することは可能です。ただし、高付加価値ということは、それだけ高いブランド力を持っており、期待も高いということですので、価格を下げる必要がありません。よって、高付加価値であれば高価格となるわけです。
付加価値と生産性
もう一つ、留意しなければならないのは、「高付加価値であれば、労働生産性が高い」ということにはならないという点です。
付加価値というのは、大部分が人件費で構成されています。租税公課や、知財によるロイヤルティなども含まれますが、その多くは人件費と考えてよいでしょう。そのため、付加価値が増えるということは、人件費、給与原資が増えるということでもあるのです。ただし、個々人の給与水準に連動するのは、総額となる付加価値額ではなく、それを就業者数で按分した労働生産性です。つまり、付加価値が増大しても、それに伴って就業者数が増えるのであれば労働生産性は高くならない、ということになります。
例えば、広くて凝った間取りの宿泊施設を自身の才覚で造れば、高価格となるし、高付加価値となり得ますが、その客室を維持管理するのに多くの労働力が必要となるのであれば、労働生産性は高まらないでしょう。
団塊世代の「引退」に伴い、少子化社会がさらに進む状況において、労働生産性を向上させずに、労働投入することで付加価値を増やすという選択肢は、ほぼ難しいのではないでしょうか。
付加価値とは自らが生み出していくもの
このように考えれば、現在抱えている本質的な問題、すなわち、観光事業の付加価値と労働生産性を同時に高めるためには、自身の頭を使って、志向性の高い経験を創造し、それを少ない人数でオペレーションする事業モデルを構築することが重要だということです。
バブル期の二の舞いとならないように、また、しっかりと観光による経済効果を国内で循環させていくために、自らの「頭」を使って、ブランドを形成していくことを目指したいものです。
※編集部注:この解説コラム記事は、執筆者との提携のもと、当編集部で一部編集して掲載しました。本記事の初出は、下記ウェブサイトです。なお、本稿は筆者個人の意見として執筆したもので、所属組織としての発表ではありません。
出典:DISCUSSION OF DESTINATION BRANDING. 「高価格は必ずしも高付加価値でも高労働生産性でもない」
原著掲載日: 2023年12月17日

山田 雄一(やまだ ゆういち)
公益財団法人日本交通公社 理事/観光研究部長/旅の図書館長 主席研究員/博士(社会工学)。建設業界勤務を経て、同財団研究員に就任。その後、観光庁や省庁などの公職・委員、複数大学における不動産・観光関連学部などでの職務を多数歴任。著者や論文、講演多数。現在は「地域ブランディング」を専門領域に調査研究に取り組んでいる。