国学院大学観光まちづくり学部の井門です。
「エコロッジ」という言葉をご存じでしょうか。耳にすると、多くの方は“自然豊かな場所にある小規模な宿泊施設”を思い浮かべるでしょう。確かにその通りなのですが、いま私たち人類がおかれた環境を踏まえれば、従来のイメージを超えた、新しいタイプのエコロッジ(以下、「新エコロッジ」)が求められつつあります。
写真:ベトナム北部の「トパスエコロッジ」(筆者撮影)
エコロッジという宿泊施設の定義は、現在のところ公的に統一されたものが存在しません。しかし、多くの定義に共通しているのが自然環境に囲まれた地域に立地し、エコツーリズムに結び付いていることです。
「新エコロッジ」は、地球温暖化の抑止や生態系保全といった環境面の取り組みにとどまりません。地域固有の文化や産業を守り、人口減少を食い止め、移住者を増やすこと、つまり、地域社会の再生に積極的に関わる存在であることも期待されています。そのためには、地域環境を守るための資金や、社会貢献につながる収益も不可欠です。寄付やソーシャルインパクト投資が集まり、宿泊単価が高くなる傾向もあり、それらの傾向は従来型エコロッジには見られない特徴といえます。
日本でも知られつつあるエコロッジ
日本で最も知られた「新エコロッジ」といえば、カナダ最果ての島・フォーゴ島に2013年に誕生した「フォーゴアイランド・イン」ではないでしょうか。
タラ漁で栄えた島は1960年代、外国の大型漁船の影響で漁獲が激減し、多くの島民が島を離れざるを得ませんでした。島を去った一人の少女ジータ・コブは、その後、オタワでビジネスを学び、2000年代になって島の再生を決意。彼女が中心となり、財団を設立し、伝統漁業やアート、コミュニティガイドなど、島の暮らしそのものを再生させながら、フォーゴアイランド・インを完成させました。その過程は、半藤将代氏の著書「観光の力 -世界から愛される国、カナダ流のおもてなし」に詳しく紹介されています。
ただし、滞在は3泊から。宿泊費は1人あたり数十万円~100万円ほどと簡単には行けない価格です。日本の「高級ホテル」の感覚で行くと、32平米ほどの客室がなぜこれほど高額なのか、理解しにくいかもしれません。しかし、新エコロッジと高級ホテルは、まったくの別カテゴリーと考える必要があります。その土地の環境や文化を尊重し、共感する旅人たちである“サステナブルトラベラー”に向けた、妥協なき宿泊施設。それが新エコロッジなのです。
現在、日本には高級ホテルが急速に増加していますが、新エコロッジはほとんど存在しません。そのため、自治体や投資家、金融機関に新エコロッジの話をしても、まだ十分に理解されないのが現状です。
日本人をターゲットにしていないエコロッジも
それでも、興味を持つ宿泊事業者は少なくありません。かつて私は、新潟県の旅館経営者の皆さんと、デンマークのODAによってベトナム北部の山岳地帯に設けられた「トパスエコロッジ」を視察しました。続けて、タイのクウェー川に浮かぶ伝統的エコロッジ「リバー・クウェー・ジャングルラフツ」も訪れました。
タイのクウェー川に浮かぶ伝統的エコロッジ「リバー・クウェー・ジャングルラフツ」(筆者撮影)
その後、雪国観光圏では12軒の宿が「ECOLODGES JAPAN IN YUKIGUNI(エコロッジ・ジャパン・イン雪国)」を掲げ、独自に設けた約40項目の基準に基づいて、環境保全と地域社会への貢献を実践しながら、訪日サステナブルトラベラーの誘致に取り組んでいます。
新エコロッジであるトパスエコロッジへ向かう旅の道のりは容易ではありませんでした。ハノイから車で6時間。いつ土砂崩れが起きても不思議ではない急峻な未舗装路を登り、尾根に点在する石造りのヴィラにたどり着きます。総支配人はデンマーク人ですが、運営を担うのは地元の少数民族コミュニティ。スタッフの90%以上が地元雇用で、彼らは教わった流ちょうな英語で接客をします。
周囲は棚田に囲まれた“雲上の世界”。しかし、その棚田を維持するための水すら、地元だけでは確保が不可能でした。電力も不安定で冷蔵庫もありません。デンマークの支援によりインフラが整備され、ようやく水が確保され、子どもたち念願のプールもできました。
伝統建築の客室は質素で、ビールも冷えていません。料理は地元のお母さんたちのベトナム料理。スタッフから「東アジアの旅行者の好みには合わず、客層は欧米豪と東南アジア。日本向けのマーケティングはしていない」と聞いたのが印象的でした。日本人が宿に求める価値が「地域への共感」より「物質的な高級感」や「コストパフォーマンス」になりがちだからです。
フォーゴアイランド・インもトパスエコロッジも、私が「新エコロッジ」と分類するロッジは、かつてナショナルジオグラフィックが「Unique Lodges of the World」として選定した63軒のロッジに通じる系譜にあります。同社はコロナ禍で旅行部門を撤退しましたが、私はそのアーカイブをnote「新エコロッジ研究室」にまとめていますので、興味があればぜひご覧ください。
ハードルが高い日本でのエコロッジ
自治体でエコロッジの話をすると、こんな声が返ってきます。
「サステナブルトラベラーなんて、どこにいるのですか?」
「日本人とマーケティングが違うなら、両立は無理では?」
「こんな過疎地に来てくれるお客様なんているのでしょうか?」
「むしろ沖縄に匹敵する美しい海を売りにできないか?」
例えば、日本には絶滅危惧種や希少な生態系が残る場所が多くあります。上水がなく雨水だけで生活する島もあります。日本オオカミの絶滅によりシカが増え、仕掛けたワナに絶滅危惧種がかかることも珍しくありません。クマが山を下りてくる理由も、ただ「クマが悪い」で片付けられる問題ではないはずです。
海に目を向ければ、温暖化による磯焼けで海藻が減り、アワビ・サザエなどの貝類や魚介類は激減。国内の魚介自給率は5割程度にとどまり、かつての100%超の状況から大きく低下した状態が続いています。
世界では今、地域の環境や文化を守りながら再生させる“リジェネラティブツーリズム”や“サステナブルツーリズム”が広がっています。その拠点として、世界各地で新エコロッジが生まれ、サステナブルトラベラーを惹きつけています。
しかし、日本では、行政も投資家も、まだ十分にこの価値に気づいていません。希少種のエサ確保のために休耕田をビオトープにできないか、働き手確保のために学校統合を見直せないかと提案しても、「農地転用は難しい」「統合は時代の流れ」と跳ね返されます。投資家からは「サステナブルトラベラーだけで稼働が保てるのか」「日本人向けの高級ホテルの方が確実」「食材は地元調達より外から持ち込む方が現実的」と言われてしまうのが現状です。
日本の観光を進化させるために、目の前の利益から少し視線を上げてみること。なぜ観光客の分散ができないのか、なぜオーバーツーリズムが続くのか。世界と社会の流れにもう少し目を向けてみる必要があるのではないでしょうか。そのとき、「エコロッジ」というキーワードが頭に浮かぶようになることを、私は願っています。
新エコロッジ研究室(note)
井門隆夫(いかど たかお)
国学院大学観光まちづくり学部教授。旅行業、シンクタンクで25年勤務し、関西国際大学、高崎経済大学を経て2022年から現職。専門分野は宿泊産業論、観光マーケティング。文教大学や立教大学を含め、20期以上のゼミ生を各地でのインターンシップや国内外でのフィールドワークで育成。観光を通じて社会変革をもたらすことが目標。