トラベルボイストラベルボイス | 観光産業ニュース 読者数 No.1

帝国ホテル、悲願の「京都」開業、風間社長が描く経営戦略と地域との連携ビジョンを聞いてきた

写真:Masatomo Moriyama

帝国ホテルは2026年3月5日、京都・祇園に「帝国ホテル 京都」を開業した。国の登録有形文化財である弥栄会館(やさかかいかん)の一部を保存・活用したホテルで、客室55室のスモールラグジュアリーとして展開する。帝国ホテルにとっては東京、大阪、上高地に続く4軒目、30年ぶりの新規開業となる。

京都出店の狙いと経営戦略、地域との共生をどう描くのか。同社代表取締役 社長執行役員の風間淳氏に聞いた。

新ホテルは京都・祇園の中心に立地。最大の特徴は、1936年に竣工した劇場建築「弥栄会館」の意匠を最大限保存、活用していることだ。厳しい景観条例がある祇園で、南西面の外壁を残すことで特例許可を得て開発が進められた。

弥栄会館は1936年(昭和11年)に竣工した劇場建築で、2001年に国の登録有形文化財、2011年には京都市の歴史的風致形成建造物に指定された。今回のホテルへの転用は、老朽化や耐震性の課題を抱えるなか、景観を保存しながら次世代へ継承するプロジェクトとして進行した。弥栄会館の一部を保存した「本棟保存」、既存建物を活用した「本棟」、増築した「北棟」の3エリアで構成し、北棟には帝国ホテルとして初めて畳を設えた客室を導入。また、館内にはレストラン、バー、プールなどを備え、随所に弥栄会館時代の歴史を振り返ることができる意匠、こだわりの素材を使用している。

京都出店は「十数年来の悲願」


風間社長は、京都での新規開業について「十数年来の悲願だった」と振り返る。帝国ホテルにとって、京都での展開は「東京、大阪に次ぐ拠点であり、都市のポテンシャルの高さから考えても当然の選択だった」と語る。

改修工事を開始したのは2021年。コロナ禍以降、資材価格の高騰など厳しい事業環境に直面したが、「その影響は最小限で切り抜けることができた。良きタイミングで開業を判断できたことで、無事に竣工までたどり着いた」と振り返る。現在の厳しい状況下で計画を始めていれば、事業として成立させるのは困難だったかもしれない。

ホテルの位置づけについては、東京や大阪の総合的な「グランドホテル」とは一線を画す存在とする。客室数55室の「スモールラグジュアリー」であり、平均客室単価(ADR)は市場に委ねながらも、「外資系も含め、京都のハイエンドカテゴリーのホテル群と競争していきたい」との考えを示した。

ターゲット顧客については、将来的にはインバウンドが5~6割を占めると想定する一方、「開業当初は日本のお客様の評価を最も重視する」と強調する。「日本のお客様に評価されれば、外国人のお客様は自ずとついてくる」と語り、日本ブランドとしての矜持をにじませた。

富裕層向けセールスは同社にとって新たな挑戦となるが、「まずは自社の力でマーケティングを展開する」と説明。そのうえで、2025年4月に加盟したホテルコレクション「ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド(LHW)」や、Virtuosoといったラグジュアリー旅行ネットワークとの連携も視野に入れている。

ホテルからは東山を望む。風間社長

祇園の街と共生するホテルへ、「質の高い顧客」で地域に貢献

祇園は近年、オーバーツーリズムが課題として指摘されている地域でもある。そのなかで帝国ホテル京都の運営において、風間社長が強調するのが「地域との共生」だ。祇園は花街文化や地域の生活が現在も息づく特別な場所であり、ホテルとしても地域環境への配慮を前提とした運営をおこな考えだ。

ホテルとして地域に貢献する方法については、「多くの観光客を呼び込むことではなく、質の高い顧客層に選ばれるホテルになることが重要」と説明する。高付加価値の宿泊体験を提供し、地域文化を理解する顧客を迎えることで、祇園の環境や文化を守りながら観光の価値を高めていく。

また、日本文化と共にあるホテルであり続けることが、京都出店の根本的な理由だとも語る。京都という街の文化や歴史と調和しながら運営することが、帝国ホテル京都の役割であると考えている。

開業直前には館内レストランに地域住民から多くの予約が入り、地域からの期待の高さを感じたという。開業後、まずは質の高いサービスとオペレーションを確立し、5年後、10年後には「この街と同化し、一緒に生きていけるホテルになりたい」と語る。

建物や素材が年月とともに風景に溶け込んでいくように、ホテルもまた祇園の街の一部として存在していくことを目指している。

文化財の保存とホテルへの再生

弥栄会館は、1936年に竣工。祇園の歌舞練場を補完する劇場として建設され、演劇や人形浄瑠璃、映画やダンスホールなどの興行に利用されてきた祇園のランドマーク的な存在だった。建築は、アール・デコ様式の洋風建築に日本建築の結び刺しなどを取り入れ、各階に銅板瓦葺き屋根をかけ、城郭の天守を思わせる。

祇園には建物の高さ制限があり、新築では12メートルまでの建物しか建てられない。新築すれば、建物の規模を半分以下にせざるを得ないため、ホテル開業のために弥栄会館を保存・活用することが不可欠だったという。旧弥栄会館の南西面の外壁および一部躯体を保存し、外壁タイルやテラコッタは“生け捕り”で取り外して再利用。約10万枚あった外壁タイルのうち約1万6000枚を確保し、落下防止対策を施したうえで南面タワー部などに残した。

銅板瓦葺き屋根も復元。銅は時間とともに色調が変化し、緑青色に変化する素材であり、経年変化そのものを価値とする設計だ。

旧弥栄会館(提供:八坂女紅場学園)

タイルの保存箇所(提供:大林組)

エントランスには、弥栄会館時代のイタリア産赤色大理石や梅文様のエッチングガラスを再配置。車寄せには当時の緞帳上部に用いられていた麻の葉文様をアレンジしたデザインを採用した。シンボルマーク背面には奈良の水分神社に自生していた樹齢1000年の欅一枚板を使用し、ロゴは鋳物、ホテル名は螺鈿細工とするなど、素材の由来や物語性を重視した。

歴史的建築の意匠を尊重しながら新たなラグジュアリーホテルとして再生した帝国ホテル 京都。祇園の風景とともに歳月を重ねる存在を目指す。

北棟グランドプレミアには、帝国ホテル初の畳が敷かれた宿泊者ラウンジ。和風の掛込み天井のなだらかな傾斜で広がりを感じられるように工夫。十分な天井高が取れない中でも工夫を凝らしている

宿泊者限定のプールには弥栄会館時代に使用された北木石を使用。洞窟のようで神秘的