こんにちは、国学院大学観光まちづくり学部の井門(いかど)です。
春を迎え、新入社員もそろそろ職場に慣れてくる頃でしょうか。あるいは、早くも離職が見え始める時期かもしれません。
観光産業では人材不足が長年の課題になっており、「観光立国推進基本計画(第5次)」においても深刻な人材不足への対応が掲げられ、「働いてよしの観光産業の実現」が目標とされています。その実現に向け、賃金水準の引き上げなどを通じた待遇改善を図り、担い手の確保を進めることが明記されました。
人材不足が恒常化し、採用が量から質へと移行しつつあるなか、新たな取り組みも生まれています。今回は、そうした動きが他産業にも波及することを見据え、その一端を紹介します。
※写真:鍾乳洞を使った沖縄のユニークベニュー「ガンガラーの谷」で開催されたJAPAN MICE Challenge決勝ラウンド
賃上げ率5.77%、他産業との格差是正に舵を切る観光産業
まず、ホテル業や旅行業などの労働組合が加盟するサービス・ツーリズム産業労働組合連合会(サービス連合)では、2026年の春季生活闘争(春闘)で、大きな進展がみられました。労使交渉の結果、ベースアップと定期昇給を合わせた賃上げ率で過去最高となる平均5.77%(速報値)を達成しました。
これにより、観光産業の賃金水準は、着実に他産業との格差を是正し、その距離を縮めつつあります。具体的な事例を挙げると、藤田観光では3年連続で賃上げが実施され、基本給は平均12.5%、金額にして3万5161円の引き上げとなっており、人材確保に向けた業界の強い意思がうかがえます。
もっとも、報酬面の改善はあくまで最低限の取り組みに過ぎず、業界の魅力をいかに伝えていくかも重要です。しかし、その伝え方には難しさがあります。たとえば、業界理解を深めてもらおうと実際の現場で働く体験機会を設けても、社会経験の少ない世代にとっては仕事の厳しさばかりが印象に残り、結果として業界を敬遠してしまうという、逆効果となる場合があります。一方で、イメージ先行の訴求に偏れば「思っていたのと違う」となり、早期離職につながりかねません。
入社式をプロが演出、PCOの知見が変える
近年、企業グループ全体、あるいは地域単位で合同入社式を実施する企業や温泉地が増えています。著名人の登壇やビデオメッセージ、演出を凝らしたプログラムなど、その内容は従来の入社式というよりイベントに近いものです。新入社員の緊張をほぐし、早期の定着と活躍を促したいという企業の意図がうかがえます。
こうした大規模な入社式ですが、自社単独ではなく、国際会議や展示会、シンポジウムなどのMICEビジネスをプログラムの企画から当日の進行までトータルにマネジメントするPCO(Professional Congress Organizer)と呼ばれる専門企業が関与しているケースも少なくありません。
MICEは、観光戦略においても、高付加価値なインバウンド誘致と地方創生の核として位置づけられており、PCOが活躍する機会はますます増え続けます。さらには、MICEを企画し運営するためには優秀な人材が求められ、いかに人材を育てるかが今後の業界発展の鍵となってきます。
こうした背景のもと、MICE関連企業が連携して2024年に開始したのが「JAPAN MICE Challenge」です。大学生や専門学校生が5名以内のチームを組み、インセンティブ旅行や国際会議の誘致、新規展示会の地方開催などをテーマに提案を競うピッチコンテストです。2025年から2026年にかけて開催された第3回大会では、書類選考を経た21チームがパシフィコ横浜での第1次ラウンドに参加。そこから選抜された5チームが沖縄での決勝ラウンドに進み、最優秀賞を競いました。
本企画の特徴は、企業と学生の交流や会場視察、事例紹介に加え、複数企業から派遣されたメンターが約半年にわたりオンラインで学生の企画を支援する点にあります。通常業務で多忙ななか、知識や実務的な工夫を伝えるこの伴走型の支援は、参加学生の成長に大きく寄与しています。実際、受賞チームは、感想で真っ先にメンターへの感謝を述べていました。これは業界をあげて実施するからこそ対応できた結果ではないでしょうか。
最優秀賞を受賞したのは、大学2年生による女子4人のチームでした。彼女たちは、沖縄を開催地とする展示会「島酒EXPO」を企画し、「つながる・ひろげる・つづける」という段階的な目標のもと、来場者コミュニティを構築しながら海外バイヤーやセラーへと展開していく構想を提案しました。
「JAPAN MICE Challenge」にみる、共創と採用の新潮流
学生たちの提案には与件(解決すべき課題や前提条件)が設定されており、たとえば、展示会部門では「地方を会場として、3年以内に10%を海外出展者とし、小間価格35万円として1年目の100小間を3年で300小間にすることを目標にした3か年計画を提案すること」など、具体的かつ実務に即した提案をおこなう必要がありました。
学生の提案というと、「若者向けに」「SNSで発信」といった表層的なものにとどまりがちですが、本企画では与件が設定されていたため、学生も業界の専門家とともに背景やビジネスモデルまで踏み込んで考えなくてはならず、いずれの提案も高い完成度を備えていたのがとても印象的でした。
この企画を通じて業界と学生との距離が縮まり、アンケートでは、企業の多くが「参加学生を採用したい」と回答し、学生側も約65%がMICE産業への関心を高め、エントリー意向を示していました。実際に、筆者のゼミ生の中にもPCOを志望する学生が現れています。
学生の本分は学修にありますが、大学教育だけで即戦力を育成することは容易ではありません。一方で、短期的な現場体験だけでは業界理解が偏り、敬遠されてしまうリスクもあります。本来は時間をかけた育成が必要ですが、1社での対応には限界があります。そこで、業界全体でこうした育成機会を設け、教育機関と連携して人材を育てる取り組みは、今後さらに重要になるでしょう。
もちろん1社で対応することもできます。優秀な提案をした学生は採用プロセスを短縮するというインセンティブを設けたコンテストを始めた大手ホテルには、優秀な学生がエントリーするようになりました。賃金アップだけではなく、こうした逆提案型採用プロセスは、優秀な学生だけが参加するため、人材確保にとても有効だと思います。
働く体力があるというだけではなく、自ら調べ、考えることのできる学生こそ観光産業を目指してほしいと願っています。
観光庁も後援に名を連ねるJAPAN MICE Challengeも、まだ参加校は多くありません。全国から参加するようになり、あるいは、同様の企画コンペが様々な業界で始まるようになれば、業界・学生・大学、三方よしとなり、「働いてよしの観光産業の実現」が見えてくるのではないでしょうか。
井門隆夫(いかど たかお)
国学院大学観光まちづくり学部教授。旅行業、シンクタンクで25年勤務し、関西国際大学、高崎経済大学を経て2022年から現職。専門分野は宿泊産業論、観光マーケティング。文教大学や立教大学を含め、20期以上のゼミ生を各地でのインターンシップや国内外でのフィールドワークで育成。観光を通じて社会変革をもたらすことが目標。