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地理学の視点で「何もない地域」の価値を掘り起こす、赤城山麓の「風」に見る観光資源のつくり方【コラム】

写真:Akagi Activity School

こんにちは。日本地域地理研究所の瀧波です。

日本各地の観光関係者から「うちには何もない」という言葉をよく耳にします。しかし、地理学の視点から見れば、「何もない」場所など存在しません。問題は魅力が「ない」ことではなく、魅力を「語れていない」ことにあります。

私の専門である「地理学」は学校で習う地名や特産物の暗記のような「地理」とは異なり、ある場所で「なぜそうなっているのか」を問う学問です。旅は本来、現地に行って五感で風土を感じるものですが、その直感に「なぜ」という論理が加わると、その土地は一段深く、納得して見えてきます。

前回は、この地理学的な「比較」と「因果の物語化」という手法を、理論として紹介しました。今回はそれを、私の地元である群馬県の赤城山麓を舞台に実演してみます。入口は、地元で「赤城おろし」や「上州のからっ風」と呼ばれる、冬の乾いた北西季節風です。

写真:冬晴れの赤城山。乾いたからっ風は、この山から平野へと吹き下ろす

「群馬には温泉がある」、では、温泉ではない場所をどう語るのか

草津、伊香保、四万などの温泉地は、群馬を代表する看板です。一方で、温泉から離れた赤城山麓の平野部については、地元の人ですら「何もない」と口にすることがあります。冬の冷たい強風は名物ではありますが、観光地としての魅力には乏しいと見られがちな地域です。

地元の人にとって、毎日の風景は当たり前すぎて意味を失いがちです。風が冷たく、空が青い、そして白菜が甘いなどの事実が一本の線でつながっていることは当たり前の中に埋もれ、よそから来た人が「なぜ?」と問わない限り見えてこないのです。

では、本当に「何もない」のでしょうか? 

地理学の視点で問い直してみると、全く別の景色が見えてきます。鍵を握るのは、地元の人が「何もない」の象徴として挙げる、まさにその「風」です。

赤城おろしを、世界の名風と並べてみましょう。

ミストラル(南フランス・プロヴァンス)

ローヌ谷を南下する冷たく乾いた強風です。

ワイン専門メディア Wine Follyなどによれば、ミストラルは雨上がりにブドウを乾かし、うどんこ病や灰色かび病などの発生を抑え、雲を吹き払って日照時間を確保する役割を担っています。プロヴァンスの古い農家が南向きに建てられ、北側の壁に窓を設けず、糸杉の防風林を備えてきたのも、この風と対話してきた結果です。地元では、ミストラルはテロワールを支える要素とされ、地域のアイデンティティの一部になっています。

ボーラ(スロベニア南西部・カルスト地方)

アドリア海北部に吹き下ろす冷たく乾いた北東風です。

EUの地理的表示保護(PGI)を受けるスロベニアの生ハム「Kraški pršut」は、このカルスト台地の冷涼・低湿の気候と、ボーラがもたらす乾いた空気を生かして、伝統的に乾燥・熟成されてきました。この冷たく乾いた風は、味づくりに欠かせない条件として扱われてきたのです。「風で育った味」が、食の物語になっています。

ここから見えてくるのは、「風が強い=不利」ではない、ということです。

風を食や景観や暮らしと結びつけて語れる地域は魅力あふれる観光の物語を持つことができることを、世界の事例が示しているのです。

では、その風がどこに姿を現すのでしょうか。視覚・味覚・体感の順に、赤城山麓を例に見ていきましょう。

風が見える景観 樫ぐねに刻まれた集落の設計図

赤城山麓を含む関東平野北部には、屋敷の周りに高い生垣や屋敷林を仕立て、冬の季節風に備えてきた地域があります。その代表例の一つが「樫ぐね(カシグネ)」であり、家とほぼ同じ高さに育てられたシラカシなどの常緑樹の生垣が屋敷をぐるりと囲んでいます。

日本地理学会で発表された神品芳孝氏の研究(2021年)によると、カシグネは集落内の屋敷の主に北・西側に仕立てられてきたとされています。この地域では冬型の気圧配置の際に北西から「からっ風」が吹き付けるためです。ドローンで上空から眺めれば、屋敷の北側や西側に濃い緑の縁取りが集まる光景が見えてきます。目には見えない風が、集落の形に影響を与えてきたのです。

同じパターンは日本各地にあります。富山県の砺波平野では「カイニョ」、岩手県胆沢では「エグネ」と呼ばれる屋敷林が、出雲平野では水平に刈り揃えられた「築地松(ついじまつ)」が、それぞれの土地の卓越風と向き合ってきました。風が強い地域では、集落の景観に風との対話の歴史が強く表れています。

旅行者の視点で言い換えれば、自分の住む地域、または懐かしい故郷の集落を上空から眺めた時、類するパターンを発見することもあるのではないでしょうか。もし発見できれば、そこには共感を生む「風土の物語」があるはずです。

風は味もつくる 白菜、干し大根、冬の恩恵

白菜やほうれん草が冬に甘くなるのは、風だけが理由ではありません。低温や霜にさらされた植物は、凍結から身を守るために細胞内に糖を蓄えやすくなります(農研機構の寒締めホウレンソウの研究などで知られている性質です)。

そこに赤城おろしの乾いた風と、冬から春にかけての長い日照が加わることで、群馬の冬野菜や保存食づくりを支える条件が整っています。JA全農ぐんまによると、群馬県内では赤城おろしの吹く環境で秋冬白菜が育てられ、全国有数の出荷量を誇っています。

干し大根も同じで、赤城南麓を中心に沢庵漬け用の干し大根が生産されています。東京都中央卸売市場の統計をもとに集計した2024年の東京市場の取扱量を見ると、干し大根は群馬県産が約52.5トンで最多、全体の約77%を占めました。首都圏流通における群馬の干し大根の存在感を示しています。地元にはこの寒風を「大根風」と呼ぶ生産者もおり、身震いするような寒風吹きすさぶ冬日こそ農家にとっては「いい天気」なのです。

吊るされ、寒風にさらされる干し大根。前橋市の伝統野菜、時沢大根。この大根はかつての時沢村(現在の前橋市富士見町時沢)で作られていた、沢庵和尚伝来、飢饉も救った。 時沢大根復活プロジェクト(写真:Masatomo Suzuki)

ここで、先ほどのミストラルを思い出してください。ミストラルがブドウの病害を抑え、ワインの品質を支えるように、赤城おろしも冬野菜の味と保存食を支えてきました。「風×食」のつながりは、世界共通の傾向とも言えます。

旅行者がこの「風の味」を体験できる導線は、既に地域に揃っています。道の駅、直売所、農泊、ガストロノミーツーリズム、そして冬野菜の畑、軒先に並ぶ干し大根のカーテンなど、観光商品の素材は目の前にある当たり前のものです。「ただの干し大根」が「風が育てたテロワール」へと変わるように、それらを風土と結びつけ、物語化することで、その「地理的な価値」が可視化されていくのです。

冬の青空は偶然ではない 風がもたらす晴天と景観

日本海側で雪を降らせた空気が、山を越えて太平洋側に下りる際、乾いた風になります(ぐんま天文台の解説などにも記載されています)。からっ風のこの乾燥効果により、前橋では冬の降積雪は少なく、晴天率が高くなります。気象庁の平年値データを集計した複数のランキングによると、前橋の日照時間は都道府県庁所在地の中でも全国トップクラスに位置しています。群馬県の公式サイトによると、10〜3月の日照時間は全国2位(令和4年度)です。

これまでの話を繋げると、1本の線が見えてきます。つまり、赤城おろしは単なる気象現象ではありません。

風が吹くから乾燥し、乾燥するから降積雪が少なく、晴天が多くなります。晴天が多いから日照時間が長く、特定の農業は特に有利になります。そして農業が支える豊かな食文化が生まれ、そして「抜けるような冬の青空」という景観がさらに風土として魅力的なものとなります。風→乾燥→晴天→日照→農業→食、そしてそれらを総合した景観・風土という連鎖が、1本の導線となっているのです。

冬の青空は、偶然の産物ではありません。風と地形が筋道を通してつくり上げた景観資源であり、これをどう意識するかで観光の見え方が変わるのです。

観光に必要なのは名所探しではなく、問いを立てる力

「何があるか」ではなく、「それは、何を生んで、何を育んできたのか」と問えるかどうか。風が強い、というその事実に「この風は何を作ってきたのか」と問い直した瞬間、樫ぐね、白菜、干し大根、抜けるような冬の青空という物語が全て繋がっていきます。

秋になると、都道府県の魅力度ランキングが話題になります。あの指標は、「今、目に見えている魅力」を数値化したものです。それはそれで一つの物差しですが、目に見えない条件を読み解く視点が加わると、ランキング上では地味に見える地域にも、別の物語が浮かび上がってきます。

観光地は「あるかないか」ではなく、「どう語るか」。それによって、姿を変えていくのです。

赤城山麓の話は、赤城山麓だけの話ではありません。

風が強い、雪が多い、雨が少ない、夏が暑いなど、一見不利に見える条件が、その地域の食や景観や暮らしを支えている例は、全国各地にあります。「冬は閑散期だから人を呼べない」ではなく、冬だからこそ語れることがあるはずです。発想を反転させた瞬間、観光のオフシーズン問題にも別の出口が見えてくるのではないでしょうか。

地理学とは地名を覚える学びではなく、その場所にその風土がある理由を読むための技術です。これからの観光に必要なのは、今すでに可視化されている名所・名物をさらにアピールする力だけではなく、目に見えない条件を読み解き、物語として再構成する力です。前回のコラムで触れたインタープリテーションの力は、それぞれの地域の誰かが、自分の足元の「何もない」を問い直し、風土がそこにある理由を旅人に手渡すところから始まります。赤城山麓のからっ風は、その一つの実演の場になり得るのです。

瀧波 一誠(たきなみ いっせい)

瀧波 一誠(たきなみ いっせい)

一般社団法人 日本地域地理研究所 理事長 / World-Building Analyst(世界観分析家)。「地理とは生存戦略の記録である」を信条に、ビジネスや社会課題を地理学的視点から読み解く活動を展開。防災士。著書に『ゼロから学びなおす 知らないことだらけの日本地理』(WAVE出版)。