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1980年代に旅行を新聞広告で販売する「メディア販売」が確立 -海外渡航自由化50年の歴史(6)

日本旅行業協会(JATA)の発表資料で振り返る、海外渡航自由化50年の歴史・第6回は、引き続き海外旅行が急拡大した1980年代について。成田空港が開港し、新しい海外旅行者が増えてきたこの時代は、商品内容だけでなく販売手法にも大きな変革が起き、さらなる新市場開拓と繋がっていった。  (画像はJALサイトからキャプチャー)



▼市場の成熟で団体販売から一般募集型へ移行

メディア販売の先駆け、近畿日本ツーリスト渋谷営業所

渡航自由化以降、海外旅行市場を牽引してきたのは団体販売だった。しかし、1970年代後半にはマーケットの成熟とともに陰りが見え始め、一般募集のツアーが主流となってきた。

この中で、募集型セールスの新しい手法として登場したのが、新聞募集を始めとするメディア販売。その先駆けとなったのが、近畿日本ツーリスト渋谷営業所だ。1980年に所長に着任したクラブツーリズム元会長の高橋秀夫氏が積極的な新聞広告展開を指揮し、メディア販売を確立。催行率80%、バス乗車率44.8人という実績を成し遂げ、取扱人数と販売高は、1980年の8100人・17億円から1985年には147万5000人、・121億円に拡大した。

高橋氏は「右肩上がりの成長を続けていた海外旅行市場では受け身でも商売はできていたが、無形商品である旅行を販売するのに『待ち』の姿勢だけでは厳しい時代を迎えていました」と、好調に甘んじることなく、リスクを伴う『攻め』のセールスに取り組んだ当時を振り返る。



▼シニア、オフ・シーズンなどの市場開拓へ

旅行商品の販売チャネルとして定着したメディア商品は、1980年代の海外旅行市場の安定した成長を下支えした要因の一つであったといえる。

電通「日本の広告費」で、新聞広告を含む業種別の広告費の推移をみると、「サービス・レジャー」の年間広告費は、1980年の1454億6000万円から1986年には2599億6000万円となり、1000億円以上も増加。業種別の伸び率でトップとなるほど、旅行業界のメディア販売が拡大し、不特定多数の市場を集客していった。

この中でメディア販売には数の獲得以外にも市場に影響を及ぼした部分がある。高橋氏は「シニア市場の開拓やオフ期の需要喚起などの面でも、海外旅行市場の発展に大きく貢献してきました」と指摘する。

さらに1984年にはリクルートが海外旅行情報誌「AB-ROAD」を創刊。新聞募集が中心だったメディア販売で、復巣の旅行会社のツアーを比較検討できる媒体も登場した。パッケージツアーや航空券・ホテルなどの旅行素材、現地発着ツアーも比較できる媒体は、海外旅行のFIT化をさらに促すとともに、サプライヤーの直販の先取りでもあった。

なお、新聞募集においては1992年、旅行業界として募集型企画旅行の表示に関する公正競争規約という自主ルールを策定。不当表示や安売りの問題などにも対応し、インターネット販売が普及した現在も、重要な販売チャネルとして定着している。


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