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建て替えを終えた「ホテルオークラ東京」の今、大改装の陣頭指揮をとった総支配人にコロナ禍の戦いと今後の展望を聞いてきた

2020年3月以降、新型コロナウイルスによるパンデミックは、観光関連の事業者にさまざまな試練をもたらした。今年創業60周年を迎えたホテルオークラ東京の場合、4年に及ぶ本館の建て替え工事を終えて、2019年9月に「The Okura Tokyo」として開業。投資を回収するターンになった矢先での出来事だった。

コロナ禍の2年あまり、“新装”の武器を大々的に発揮できないなかで、どのように凌ぎ、今につなげてきたのか。建て替え工事の陣頭指揮をとった総支配人の梅原真次氏に、コロナ禍での対応からアフターコロナに向けた展望と課題まで話を聞いた。

コロナ禍の間、需要は激減し、同ホテルも稼働率の低下は余儀なくされた。しかし、2022年3月にまん延防止等重点措置が全面解除となり、観光が戻り始めると、5月にはコロナ以前の8割程度で組んでいた予算を達成。素早い再スタートを切っている。

※梅原氏は2022年6月28日付で代表取締役社長に就任。取材時は代表取締役専務 兼 The Okura Tokyo 総支配人

世界と戦うため“象徴”を建て替え

1962年、「世界に通じる、日本ならではのホテルの創造」を目指して創業したホテルオークラ東京。その理念に沿い、日本の建築美や和の文化芸術の意匠を取り入れた本館は、ホテルのアイデンティティの象徴であり、ホスピタリティの根幹だ。それを建て替えるという決断の裏には、相当の決意と理由があった。

同ホテルが本館の建て替えをおこなった大きな目的は、東京のラグジュアリーホテル市場における競争力の強化だ。

1990年代以降、外資系ホテルが次々と進出すると、都内のラグジュアリーホテルの客室面積は、50平米超がスタンダードになった。一方、約30年前の日本の基準で建てられた同ホテルは、平均の客室面積は約30平米で天井高も低い。3つの客室を2つにして1室あたりの面積を広げる手立てをしたが、「構造的な問題はクリアできない部分があった」(梅原氏)。

さらに、高級ホテルの供給数が増えるなか、同ホテルの総客室数が別館を含めて約800室に拡大していたことも、単価と稼働率を両立するうえで負担になっていた。

いかに“オークラらしさ”を保ちながら競争力をつけるか。悩みながら営業するなか、2011年に発生した東日本大震災が決定打となり、建て替えを決めた。

本館部分は中層棟と高層棟の2つの棟を建設し、別館は閉館。総客室は508室に縮小した。建て替えによって、本館の外観は失われたが、国内外に愛された伝統のロビーを再現するなど、開業時から大切にしてきた日本情緒を随所に反映。省エネ、省CO2設計も取り入れ、これからの時代に即した機能も装備した。梅原氏は「今後50年は戦えるホテルができた」と胸を張る。

新装開業後、同ホテルは天皇陛下の即位の礼に参列する海外要人の受け入れを通し、国内外にアピールする機会を得た。これを弾みに、新たなマーケティングに舵を切ろうとした段階で、世界がパンデミックに陥った。

梅原真次氏

コロナ禍の挑戦で得たものとは

インバウンドの消滅で、都内の高級ホテルは人知れず競争が激化した。同ホテルは宿泊客の65%が訪日客だったが、外資系の高級ホテルはそれを上回る。その空白を埋めるため、各ホテルが残された国内市場を取りにいった。「供給過多の中で、当ホテルをどう選んでもらうかは課題だった」と、梅原氏は厳しい状況を説明する。

同ホテルでは、「会員を中心に、ホテル滞在で気分転換を望む都内の富裕層をターゲットに営業をかけた」(梅原氏)。都内の顧客は従来、食事や催事などでの利用がほとんどだったが、コロナ禍にメールで案内を送ると、自分へのご褒美や家族孝行での宿泊需要を獲得できた。「1度来ていただくと、『やっぱりいいね』となって、1~2カ月に1度の頻度くらいで利用される。そのクチコミの評判で、好循環が生まれた」(梅原氏)。

コロナ禍で得た新規需要によって、「『オークラだから大丈夫』と来館いただいたお客様もいる。外資系ホテルをよく利用されていたお客様からは『日本のホテルのサービスは温かい』という言葉もいただいた」(梅原氏)。自らの魅力やブランドに対する信頼の大切さを、改めて再認識させられた点が多かったという。

ただし、商圏が限られたコロナ期の稼働率は、平日が2~3割程度、週末でも3~4割程度。宿泊事業が売上の4割を占める同ホテルにとって、苦しい状況が続いた。宴会も集会の人数や飲食に制限がされるなか、下支えとなったのが料飲部門だ。

デリバリーはタクシーやハイヤーで配送し、特別感を強調。ホテルソムリエがセレクションしたワイン販売も、通常期以上に売れた。さらに、コロナ禍当初にメインダイニングで和洋中の各館内レストランの料理を出すことを始めたところ、想定外の盛況になった。

この取り組みは、サービスの質を落とさず効率化を図るために営業するレストランを1カ所に絞ったことが発端。「レジデンス利用のお客様のため、レストランを開ける必要がある。1カ所の営業でも、いろいろな料理が食べられるようにと考えた」(梅原氏)。一見、簡単に見える仕組みだが、館内のレストランがすべて直営である同ホテルでなければ実現は難しい。これも、オークラらしさが活きた取り組みだった。

「オークラとして守るべき部分と柔軟に対応すべき点を考えなくてはならない」(梅原氏)。コロナ禍での営業では、この判断に注意したという。

雇用維持に努めたオークラ

コロナ禍が始まった当初、オークラでは営業を縮小しても、従業員の解雇はしない方針を決めていた。今まで教育してきたスタッフを守ることにしたのだ。

現場の出動機会が減るなかで取り組んだのは、衛生基準の策定や徹底的な清掃やトレーニングに加え、各部門で無駄をなくすための方法を考えること。そして、「休むことも仕事。その間に自分が何をすべきか考えようと伝えた」(梅原氏)。

ホスピタリティを仕事に選んでホテル業界に入ったのに、もてなす相手がいない。収入も厳しくなる。この状況でどれくらい我慢できるか。「ホテル業界を志望し、オークラを選んだ本質を、初心に戻って考えようと呼びかけた」(梅原氏)。その結果、減員は各部門で最低限にとどまったという。

現在は中途・新規の採用を本格的に開始している。退職したスタッフが戻ってくるのも大歓迎だ。「戻ってきたスタッフもいる。一度、外の世界を見るのも悪いことではないと思っている」(梅原氏)。

梅原真次氏

コロナ前に投資してよかった

夏に向け、徐々に観光が戻ってきた。国内では感染拡大も警戒もされているが、海外、特に欧米では早いペースで日常が戻っている。

この状況で今後、どのようにお客様を受け入れていくか。梅原氏は、アフターコロナへの移行期にも、大きな課題があると考える。「海外と日本では、感染防止の習慣が違う。このギャップへの対応が必要になると思う」。

マスクをする自由、しない自由。この論争がいずれ、どこかのタイミングで起こる。梅原氏は「マスク着用を周知し、習慣づけるのは簡単。しかし、ここまでくると『マスクを外そう』と言う方がよっぽど難しい」と危惧している。

では、インバウンドが戻るとき、どう対応していくのか。いま言えるのは「政府基準に沿うこと」(梅原氏)。お客様は政府のOKが出ればマスクなしでOKにする。ただし、日本人は不安になる人が一定数残るはず。「個室対応やゾーン分けなども、状況に応じて判断する」ことも考えている。

コロナ以降、初めて自粛要請や制限のない長期休暇となったゴールデンウィークは、「現在対応できる範囲でほぼ満室」というほど活況だった。創業60周年事業として実施中の催事にあわせて開催したランチ付きトークショーは、予約が早々に定員を上回り、会場を大型化して倍増した客に対応した。世の中が、ホテルが提供する時間・価値を求めていることが伝わってくる。

ようやく、新装開業の強みを発揮できる段階になった。梅原氏は「あのタイミングで建て替えをしてよかった。今ではあの投資はできない。以前のままでは、戦えなかった」とポジティブに向き合う。通常期に向け、課題も少なくないなか、その中で一歩、アドバンテージを得た同ホテルの今後に注目したい。