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近ごろよく聞く「ナラティブ」とは? 誤用されやすい「ストーリー」との違いと使い分け、地域にもたらす効用【コラム】

日本観光振興協会の最明(さいみょう)です。

近年、「ナラティブ(narrative)」という言葉を耳にする機会が増えてきました。観光分野でも注目されつつある概念ですが、その意味や活用方法については、まだ十分に理解されていない部分も多いように感じています。

私の友人で、昨年まで新潟県燕市産業史料館の学芸員として活躍した齋藤優介氏は、それを説明するうえで好例と言える存在です。彼は、燕市の自然環境、歴史、そして金属加工業に代表される地域産業に焦点をあて、徹底した調査と深掘り、斬新な切り口、軽妙な語り口で多くの人に地域の魅力を発信してきました。

観光振興にも力を入れ、「博物館というコンテンツをプロ学芸員として地元の経済、産業と協働すればあらゆる地域のブランディングにつながる」との信念で取り組み、JR東日本の豪華列車「トランスイート四季島」の誘致に成功。NHKの人気番組にも出演し、全国に燕市の魅力を発信し続けています。

その齋藤氏から、以下のようなメッセージをもらいました。

入職して25年、知識をインプットし続けてきました。気がつけば、点と点がつながって、線となり、やがて面となって、「物語」として大きな力になりました。

その力は、未来を創る人や企業、そして地域の暮らしに流れ込んでいきます。私は燕市産業史料館の学芸員として、技術や歴史を「残す」だけでなく、「活かす」ことにこだわりました。

それは、燕で暮らす人、働く人、関わる人の幸せにつながると信じての行動でした。地域という横軸に、歴史という時間軸を重ね、暮らしの豊かさや楽しさを、次の世代に繋いでいく。やがて、燕市、新潟県、日本の未来を支える大きな力になると信じています。これからも、皆さんとともに、次の「物語」を紡いでいきたいです。

この「物語」という言葉に、私はハッとさせられました。現在、急拡大を続ける訪日インバウンド。その要因は、安い物価や円安、四季折々の自然、フォトジェニックな風景やコンテンツ、豊かな食文化などがあげられます。さらに、アニメや伝統工芸品など、日本文化への関心も高まっています。

しかし、これらの魅力を淡々と伝えるだけでは旅行者の心をつかむことはできません。インバウンドだけでなく国内旅行者の共感を得られることも難しいと思います。それぞれを「物語」として語られ、旅行者の理解と共感を得てこそ「一度は訪れてみたい」「また来てみたい」と思ってもらえるのではないでしょうか。

「ストーリー(story)」と「ナラティブ(narrative)」の違い

日本語で「物語」とされる言葉には、英語でいくつかのバリエーションがあります。チャットGPTに助けてもらい、言葉の整理をしてみました。日本語の「物語」は、主に英語で4つほど単語があげられましたが、特に「story(ストーリー)」と「narrative(ナラティブ)」は、観光において重要な意味を持っています。

ストーリー(story): 時系列に沿った出来事の流れ。起承転結のある筋書きで、映画や小説などで使われる形式で、観光分野では「名物の由来」「歴史の出来事」などが該当します。

ナラティブ(narrative):「誰が、どのように、何を語るか」という語りの視点に焦点。客観的事実よりも、体験や感情、意味づけに重きが置かれます。

たとえば、災害について語るとき、被災者が語る体験談と、報道によって語られる事実は、同じ出来事でも異なります。観光分野においても、地域住民、観光ガイドなど、「誰が、どう、何を語るか」で意味づけがかわるのです。

「ナラティブ」が後押しする地域創生

「ナラティブ」のチカラは、地域創生の現場でも発揮されています。新潟県・越後妻有「大地の芸術祭」や、現在開催中の「瀬戸内国際芸術祭」では、現代アートを通じて地域に魅了された来訪者による「ナラティブ」で世界中からの多くの来訪者を生んでいます。

香川県男木島では芸術祭をきっかけに移住者が増え、昨年、廃校になっていた小学校が再開したという驚きの変化をもたらしました。

私は、過疎で衰退の一途だった地域が、芸術祭で活気を取り戻しつつある現場を何度も目の当たりにしてきました。芸術祭で総合プロデューサーを務める北川フラム氏は、「房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス 2020+」の報告書に次のように記しています。

地域芸術祭での作品は、作品自体の力とともに、その場に入るアーティスト、それを見守り手伝う地元民、サポーター、スタッフが動いていくなかで、観客との関係によって思いもかけない展開が生まれたり、じっくりとした根を地域に張ることがあることを、私はこの四半世紀の活動の中で感じてきました。

その土地の条件による生活や時間の蓄積が、ギャラリーや美術館という均質空間での展示だけでは起き得ないサイトスペシフィックアートの可能性であり、自然の叛乱ともいうべき地域環境の変化と一社勝ちにならざるを得ない市場(金融)資本主義の国際化の中で、美術が持つ自然に内包されている人間の蠢きの可能性、面白さだと思ってきました。

このような心温まる、あるいは熾烈なエピソードは、全国にたくさんあります。それが芸術祭に関わる多くの人、それぞれにもあり、それが地域、世代、人種、階層を超えて多くの人が世界から参加してくる理由ではないでしょうか。

千葉県市原市の市原湖畔美術館(小湊鉄道開業100周年記念展の様子)

越後妻有、瀬戸内の芸術祭の前回のサポーター(ボランティア)数は、それぞれ2500人(50日)、7000人(100日)。そして、それぞれ50%を超える人が外国人だったという結果もまた、「ナラティブ」が国境を越えて共感を呼んだ結果であり、驚きでした。

地域創生は「ナラティブ」探しから

文化庁が認定する「日本遺産(Japan Heritage)」は、地域で登録・指定される有形・無形の文化財を「ストーリー」でつなぎ、観光資源として価値を向上させていく試みです。保護を目的とする世界遺産や文化遺産とは異なり、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーで、現在104件が認定されています。地域に点在する遺産を「面」として利活用し、発信することで、地域活性化を図ることを目的としています。

おそらく文化庁としてはストーリーには「ナラティブ」の要素も含んでいると考えていると思いますが、さらに明確に「ナラティブ」の視点を織り込んでいくことで、日本遺産の深みはさら深まり、さまざまなアイデアが生まれるはずです。

観光の場面、プロセスによって使い分けることも大切です。例えば、観光PRでは「ストーリー」で関心を引き、「ナラティブ」で共感を得ることができれば、自然に人の交流が活発になっていくのではないでしょうか。観光マーケティングで「ナラティブ」が注目されているのは、共感を呼ぶ体験談や参加型の物語が、観光客も本物の体験として心に残りやすいためだと言われています。

「観光交流が活発にならない、うちには観光資源が無い」と嘆く地域は少なくありません。しかし、地域の博物館の学芸員、農家、学校の教師、〇〇フリーク(マニア)のような語り手となる人材は必ずいるはずです。その人たちの語る言葉こそが、地域を動かす大きな原動力になります。

ぜひ、皆さんの地域でも「語る人」「語られる物語」を探してみてください。きっと驚くような「ナラティブ」が見つかるはずです。

最明 仁(さいみょう ひとし)

最明 仁(さいみょう ひとし)

日本観光振興協会 理事長。1985年日本国有鉄道入社、JR東日本で主に鉄道営業、旅行業、観光事業に従事。日本政府観光局シドニー事務所を経て、JR東日本訪日旅行手配センター所長、新潟支社営業部長、本社観光戦略室長、ニューヨーク事務所長、国際事業本部長などを歴任。2023年6月より現職。自他ともに認める鉄道・バスファン。