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観光のあるべき姿を再定義する時代、「社会資本としての観光」が人々の不安を解消する役割に【コラム】

こんにちは。国学院大学観光まちづくり学部の井門です。

2026年、今年も経済成長を軸とした政策が示されました。しかし、これまで経済成長を求め続けてきた結果について、十分な振り返りはなされているでしょうか。経済成長だけでは解消できない不安が広がるなかで、観光は「余暇」ではなく、社会を支える装置として再定義されるべき段階に入っています。本コラムでは、現代の課題に対し、観光が「社会資本」としていかに人々の不安を解消し、新たな幸福をもたらし得るのかを考えてみたいと思います。

フランスの経済学者トマ・ピケティは、著書「21世紀の資本」において、資本主義下の約200年間、資産家が運用する資本収益率(投資リターン)の伸びが、労働による所得の伸びを大幅に上回ることで世界が経済成長してきたことを明らかにしました。

労働者も、労働者数と労働生産性を増やしながら経済成長に参加し続けてきましたが、所得は伸びず、子どもを産み育てる余裕も失われ、人口減少へと反転しました。それならば、今後は資産家だけが投資を行う経済になっていけばよいのではないでしょうか。労働者は、別の視点から社会的幸福を目指すほうが、より公平なのではないかと思います。

観光は社会資本

観光は、全般的に見れば収益率の低い産業かもしれません。しかし、公共交通機関はもとより宿泊業など、国土と地方経済を支える事業は、社会資本として捉えるべき存在だと考えています。実際、交通機関は赤字であっても国内線の飛行機を飛ばし、列車やバスを走らせ、地震や異常気象の際には宿泊施設が無償で温泉や施設を提供してきました。

観光を含め、日本が経済的観点だけで語られるのであれば、都会集中や少子化はさらに進み、地方インフラは維持できなくなります。地方の森や田畑は荒れ、やがて都会でも猿やクマ、鹿や猪などの野生動物と同居する社会になっていく可能性もあります。

かつて農業国であった日本において、明治政府は森林開発のため、神社にも祀られて畏敬の対象となっていた大神(おおかみ)、すなわちニホンオオカミを駆除しました。その結果、シカやイノシシといった害獣が増え、エサ不足からクマが森から追い出され、生態系の崩壊が始まった一因ともなったと指摘されています。

今こそ私たちは、経済成長一本で進んできた資本主義を振り返り、再定義する必要があるのではないでしょうか。

労働者人口が増加していた時代、経済は自動的に成長していました。その時代、観光は「余暇」を使った「レジャー」でした。しかし、労働者人口が減少に転じた1995年頃からGDPは停滞し始め、労働者派遣法の改正など雇用環境の変化によって働く女性も増え、共働き家庭が増加しました。2013年には高年齢者雇用安定法が施行され、シニアも65歳まで雇用されることが義務化されました。

こうした制度変更を背景に、現在の労働者数は7000万人を超え、1970年に37%だった労働者比率は58%まで上昇しました。18歳から65歳まで、ほぼ全員が働いているような数値です。

これ以上、労働者数を増やすことは難しく、経済成長を維持するためには労働生産性を高めるしかありません。結果として、人を使わない生産性の高い産業へとシフトが進み、観光をはじめとする中小企業や地方企業は政策の優先対象から外れがちになります。

そして、国民が総労働者となった現在、多くの人にとって旅に出る時間的余裕すら失われつつあります。

「不安解消」が観光の目的に

これからは日本国民の幸福のために、経済成長以外の社会的インパクトや政策を検討していくべきです。私は、今後の観光の目的として伸び続ける大きな需要は「不安」だと考えています。不安ばかりが増え続ける社会において、観光が果たせる不安解消の役割は無数にあります。

高齢化により農業の維持は困難となり、地球温暖化で魚介類も獲れなくなりました。輸入品に依存する食生活の結果、日本のエンゲル係数は主要国の中で最も高い水準にあります。貧しくなり続ける家計不安を抱えたまま、グローバル化を無条件に喜んでよいのでしょうか。

誰もがAIを使う時代となり、AIを使わずに資料を作る学生は、まもなくいなくなるでしょう。どれも内容は似通い、「かつて見聞きしたような」創造性の乏しいものばかりになるはずです。人間ならではの未来を想像する力や、常識を超えた提案力が失われていくとすれば、それは社会にとって大きな損失です。

統計上、学校でのいじめが最も多い学年は小学2年生です。ただし、これは学校が把握できているいじめに限られます。実際には、SNS上で発生する見えないいじめに、親も教員も気づかないまま、子どもたちは悩み続けています。リアルでの付き合いができず、晒される不安から恋愛もアプリ化し、知らない者同士が出会う時代となりました。増えていくのが、詐欺や病気、依存やトラウマばかりでないことを祈るばかりです。

こうした「不安」だらけの時代に、過疎地域への旅が日本人を救う存在になっていくことが、観光活性化の鍵だと思います。学生たちの旅先を見ていると、それは明らかです。出雲大社や伊勢神宮、海外では台湾の九份やトルコのカッパドキア。映えだけでなく、「幸せを願える場所」へと向かっています。

願いを叶える神社は全国に多数あり、お守り一つでも収益になります。しかし現在は、一人の神職が数十社を兼務する時代であり、社寺の人手不足は深刻で、その役割を十分に果たす余裕すらありません。

全国に「泊まれるシェルター」を

例えば、高いエンゲル係数を下げ、高齢化する人々の健康を守るためにも、農地や里山に隣接した宿をつくり、農業や里山管理に宿泊客が関わり、そこで採れた野菜やキノコ、ジビエで食卓を彩り、野生動物を観察し、森へ帰していく。そんな明確な目的を持った旅ができれば、大人も子どもも参加ができ、地球温暖化の漠然とした不安の解消に寄与するのではないでしょうか。既存の宿をリノベーションしてもよいと思います。料金は定期的なサブスクリプション型がよいでしょう。

都会に住む人間が生態系の回復に関わらない限り、日本の国土は荒れ果てていく一方です。こうした自給自足型の宿を全国に整備し、有事や天変地異の際には、都会から疎開できる「泊まれるシェルター」として機能させることも、隠れた不安解消のひとつです。

まずはロールモデルから

北海道・知床の北こぶしリゾートでは、「ネイチャーポジティブ」を掲げ、宿泊業としての枠組みを超えた活動をおこなっています。ヒグマと共生するための「クマ活」や生態系保全活動を通じて、気候変動にも一石を投じ、今ではそれが旅の目的地となっています。

こうした「不安解消」の旅を進めるうえで不可欠なのが官民連携です。しかし、特に過疎地域では地方自治体の人手不足が深刻で、現状では民間主導で進めざるを得ません。その民間企業も、財務状況によって生き残る企業と後継者不在の企業に二極化しています。今後は金融主導で地域M&A(事業譲渡・買収)を進め、1社が複数の宿を経営するなど、事業規模の拡大とコンセプトの多様化が求められます。

減り続ける若い人材が都会に定着するのではなく、都会並みの給与を得ながら「地方で働く」仕組みを定常化させる、都会と地方を往還する働き方が、あたり前になることを期待しています。採用前の若いうちは地域おこし協力隊として、都会での経験を積んだ後は地域活性化企業人として、あるいはUIターン就職や転職先としてなど、さまざまなカタチがあるでしょう。

こうした社会設計があってこそ、誰もが都会での生産性向上一辺倒の犠牲者にならず、「観光を通じて、不安を解消できる社会」の一員として幸福を実現できるのではないでしょうか。2026年、こうした議論が各地で生まれていくことを願っています。


井門隆夫(いかど たかお)

井門隆夫(いかど たかお)

国学院大学観光まちづくり学部教授。旅行業、シンクタンクで25年勤務し、関西国際大学、高崎経済大学を経て2022年から現職。専門分野は宿泊産業論、観光マーケティング。文教大学や立教大学を含め、20期以上のゼミ生を各地でのインターンシップや国内外でのフィールドワークで育成。観光を通じて社会変革をもたらすことが目標。