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世界大手ホテルが「ウェルネス」に注力する理由とは? 不動産価値が語る経済論理、3社の戦略と日本の差別化のカギを考察【コラム】

ヒルトンが毎年発表するトレンドレポートの2025年版に、こんな数字があります。旅行者の5人に2人が、より良い睡眠を期待してホテルを選び、ラグジュアリー旅行者に限れば70%がスリープ系アメニティのある宿泊施設を優先すると回答しました。「睡眠(Sleep)」と「休暇(Vacation)」を組み合わせた造語「スリープケーション(Sleepcation)」という旅行スタイルも新たなトレンドになりつつあります。「スパでリラックスする」ではなく、「睡眠の質を上げるためにホテルを選ぶ」。旅行の目的が、くつろぎから積極的な健康管理へと重心を移しています。

グローバル・ウェルネス・インスティテュート(GWI)の「2025年版 グローバル・ウェルネス・エコノミー・モニター」によれば、世界のウェルネス経済市場は2024年に過去最高の6.8兆ドル(約1074兆円)に達しました。2013年の3.4兆ドル(約532兆円)から11年で2倍になった計算で、同期間の世界GDP成長率(年率4.7%)を大きく上回る年率6.2%で拡大を続けています。

ウェルネスツーリズム単体でも、2024年に8939億ドル(約141兆円)規模となり、GWIは2029年には1兆3833億ドル(約219兆円)への成長を見込んでいます。ニッチな市場から観光産業の中核へ、その成長の最前線で、ウェルネスと医療の境界線が急速に溶け始めています。

買収・育成・提携、三つの戦略類型

世界のホテル大手がこの波に乗る構え方は、大きく三つの類型に整理できます。

IHGグループが採ったのは、「買収」による知見の取り込みです。2019年に3億ドル(約474億円)で買収したシックス・センシズを、グループのウェルネス戦略の中核に据えました。ニール・ジェイコブスCEO(最高経営責任者)は「アンチエイジングとは呼ばない、ロンジェビティ(健康長寿)と定義する」と明言しており、スペイン・イビザ島のリゾートにはロンジェビティクリニック「ローズバー」を設置しています。

2026年3月に開業したシックス・センシズ・ロンドンでは、専門クリニック「ヒューマン」との提携により、高度な血液分析・IV療法・高気圧酸素治療を滞在プログラムに組み込みました。高額ウェルネスブランドの買収が、グループ全体のブランド価値を底上げする投資として機能しているわけです。

一方、ハイアットが選んだのは「育成」による独自価値の構築です。2017年に買収したミラヴァル(Miraval)は、あえてデジタルデバイス使用制限という逆張りの設計思想を維持したまま、アリゾナ・オースティン・バークシャーズの3拠点で運営されています。2025年には企業のミーティングやイベントに専門家がウェルネスを組み込む「ウェルビーイング・コレクティブ・アドバイザリー・ボード」を設置し、法人需要の取り込みを公式に宣言しました。

さらに直近では、初の米国外拠点となるミラヴァル・ザ・レッドシー(サウジアラビア・シュラ島/180室)の開業計画が進んでおり、マインドフルネス特化型モデルのグローバル展開フェーズに入っています。

そして、ヒルトンが取るのは「提携」によるアグリゲーター戦略です。自社でウェルネス設備を持たず、外部の科学的権威を誘致して信頼を調達します。マウイ島のグランド・ワイレア(ウォルドーフ・アストリア)では、睡眠研究者のレベッカ・ロビンズ博士との提携で2024年に「ヒルトン・スリープ・リトリーツ」を開始しました。

「医療機能は持たないが科学的根拠は担保する」。このモデルは設備投資を最小化しながら高付加価値を実現できるため、アセット・ライト型のホテル運営との相性が抜群です。

(出所)会社ホームページ等より筆者作成

消費額と不動産価値が語る、経済の論理

ホテル大手がここまでメディカル・ウェルネスに傾注するのは、トレンドへの追随ではなく、明確な経済的論理があります。

GWIのデータが示す通り、ウェルネス旅行者は一般旅行者と比べて支出が際立って高いことが分かっています。国際旅行者では平均より38%多く、国内旅行者では137%多く支出します。その背景にあるのが滞在日数の長さです。観光地は一度訪れれば足りますが、バイオマーカーの経時的なモニタリングや予防医療の定期的な受診には、半年ごとの再訪が自然と生まれます。リピートが「必然」になる構造は、観光コンテンツのなかでも際立った特性です。

不動産価値への影響も見逃せません。GWI 2025年版で全11セクター中、最も爆発的な成長を記録しているのが「ウェルネス不動産」で、2019年から2024年の年平均成長率は19.5%、市場規模は約5480億ドル(約87兆円)に達しています。ウェルネス機能の搭載が施設の収益性を高めるというデータが揃ったことで、ホテル運営会社がオーナーに「メディカル・ウェルネス導入でRevPAR(販売可能な客室1室あたりの収益)が上がる」と提案できる根拠が整いました。

GWI 2025年版はさらに、「ロンジェビティ医療の急速な台頭とともに、スパが体を癒やすマッサージから診断・機能医療まで提供するロンジェビティクリニックへと進化しつつある」と明記しており、この変化が業界横断のトレンドであることを裏付けています。

動き始めた日系の挑戦

外資の攻勢に対し、日本企業も独自の強みを軸にした動きを本格化させています。

最も注目すべき動きは、リゾートトラストグループと三菱商事が2025年1月に共同設立した「ノアージュ・インターナショナル」です。同社は4月よりサービスを開始し、PET-CT・膵臓がん特化MRCP検査・幹細胞治療・血液浄化療法(アフェレシス)という先進医療メニューを提供しています。

リゾートトラストグループが長年の検診事業で積み上げてきた「初回がん発見率2.98%」という実績数値の公開は、信頼性を担保する強力な武器です。2025年5月にはインドネシア・ジャカルタで、JCBおよびバンクダナモンとのパートナーシップ調印式を開催し、インドネシア富裕層向けの訪日メディカルツーリズムプログラムへと展開を加速させています。

方向は異なりますが、ホテルニューオータニ(東京)も2025年6月に動きました。医療行為が担える現役看護師が「プライベートナース」としてホテル滞在や外出をサポートする「ナーシングケアプレミアム」の開始です。

観光庁が推進するユニバーサルツーリズムの文脈に乗りながら、健康不安を抱えるシニア層に「医療の安心感」をホテルが直接提供するモデルを開拓しています。アプローチは違っても、両者が共通して示しているのは「ホテルをヘルスケアの接点にする」という命題への回答です。

日本には、外資にはない固有の資産もあります。長期滞在・食事療法・経時的な健康管理という「湯治」の構造は、ロンジェビティ×ツーリズムの原型そのものです。また、GWIの統計では、温泉・鉱泉市場のグローバルランキングで日本は中国に次ぐ世界第2位(2024年、約136億ドル/約2兆2000億円)に位置しています。この足元の強みを現代医療と接続し、「Jメディカル」として再定義できるかどうかが、外資との差別化の鍵を握っています。

「時間(寿命)の購入」という新市場

ウェルネス経済が6.8兆ドルへと膨張する中、この競争の本質はホテル産業内のシェア争いを超えています。宿泊客の健康データ・バイオマーカー・医療履歴を誰が継続的に管理するのか。それは医療・不動産・データ産業を横断した、顧客の生涯にわたる関係構築の争いです。

旅の究極のラグジュアリーは、非日常の「体験」の提供から、健康で長く生きるための「時間(寿命)の購入」に広がりを見せています。外資が「空間とブランド」でプラットフォームを築くのか、日本勢が「医療の質と固有の文化」で世界を惹きつけるのか。その起点の一つは、すでに東京にもあるのです。

※ドル円換算は1ドル158円でトラベルボイス編集部が算出しました。

山川清弘(やまかわ きよひろ)

山川清弘(やまかわ きよひろ)

東洋経済新報社編集委員。早稲田大学政治経済学部卒業。東洋経済で記者としてエンタテインメント、放送、銀行、旅行・ホテルなどを担当。「会社四季報」副編集長などを経て、現在は「会社四季報オンライン」編集部。著書に「1泊10万円でも泊まりたい ラグジュアリーホテル 至高の非日常」(東洋経済)、「ホテル御三家」(幻冬舎新書)など。