タイ・プーケットのバンロン・コミュニティは、住民主体による観光地運営がおこなわれており、住民の日常を守りながら観光を成立させるモデルとして、タイ国内でも代表的なコミュニティ・ベースド・ツーリズム(CBT)成功事例の一つと評価されている。
グローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(GSTC:Global Sustainable Tourism Council)が2026年4月に開催した「グローバル・サステナブル・ツーリズム・カンファレンス2026(GSTC2026)」では、ポストツアーとしてバンロン・コミュニティの通常プログラムの一部が盛り込まれた。その体験をレポートする。
写真:バンロンで観光の中心となる建物も古いまま利用している
マスツーリズムの島で取り残されていた村
タイ・プーケット北東部に位置するバンロン・コミュニティは、マングローブ林、海、ココナッツやパイナップルの農地に囲まれた自然豊かな地域だ。沿岸には国内最大級のマングローブ林が広がり、約3000人が暮らす。その約80%がムスリムで、農業・漁業を主な生業としてきた。
プーケットといえば、ビーチリゾートを中心としたマスツーリズムのイメージが強い。もともとは錫(すず)の採掘とゴム栽培が経済基盤だったが、1980年代の錫産業衰退後、観光産業が急成長。しかし、その観光開発は農業の衰退という副作用をともなった。現地ガイドのマヤさんによると、近年では農業収入の低さと担い手不足を背景に、農地をコンドミニアムなどへ転換する動きが加速しており、地域の自然環境と伝統的な生業の維持が深刻な課題となっている。
「観光客は島には来るが、村には立ち寄らない」。コミュニティリーダーのプラサート・リットラクサ氏はそう振り返る。いかにして村に人を呼び込み、地域内で消費を生み出すか。その課題に応じるため、観光施策を導入したのである。
バンロンのコミュニティリーダーのプラサート・リットラクサ氏「生活を変えない」という原則
バンロンのCBTが他のモデルと一線を画す特徴は、その設計にある。コミュニティ初期の世代は外部の影響から生活や環境を守ることに重点を置いていたが、現在のリーダー世代は「観光客を受け入れる」方向へと転換した。パイナップルやココナツ農園、ゴムプランテーション、漁業、マングローブ。村にもともと存在する農業・自然資源を「観光客にとって興味を引く資源」として見直し、プログラム化した。開発段階では政府機関から安全・衛生・環境保全の指導を受けるとともに、他地域の視察も積極的におこなった。その際、リットラクサ氏が住民に伝えたメッセージは明快だった。「観光客が来ても、生活も環境も何も変わらない。それをそのまま見せるだけで、追加の収入が得られる。大丈夫か?幸せか?」。同意形成はこの問いかけを繰り返すことで進められた。
この「生活を変えない」という原則はバンロンのCBTビジネスモデルの核心でもある。演出された体験を作り込む必要がないため、初期コストが低く、維持も容易だ。観光のために生活や文化を再構成するのではなく、既存の生活に外部者を受け入れる構造を維持しているため、観光依存に陥るリスクも抑制されている。
生活をそのまま見せる体験設計
ゴムプランテーション:採取から製造まで
約50ライ(約8ヘクタール)に約1500本のゴムの木が植えられた農園で、実際にナイフで樹皮に切り込みを入れ、白い樹液(ラテックス)を採取するタッピングを体験した。実際の作業場では、採取したラテックスを手と機械で薄く伸ばし、屋外で乾燥させる工程も見学した。
ガイドのマヤさんは、タイが世界有数のゴム生産・輸出国であることを紹介しながら、この農園では、外国人所有者が地元労働者を雇用する運営モデルが採られていることを説明した。 その収益配分、長時間の過酷な労働実態によって労働者数が減少しているという。観光客向けに整えられた場ではなく、生活の断面がそのまま差し出される。こうしたあり方が、CBTで重視される「本物性(authenticity)」につながっている。
伸ばしたラテックスを天日干し。普段の作業を見せ、そこに演出はない
パイナップル農園:収穫から加工まで一気通貫
高温環境で育つプーケット産パイナップルは、香りがよく糖度が高いことで知られる。ポストツアーでは、パイナップル畑で収穫した果実をその場で試食し、搾りたてのジュースや手作りジャムも用意され、芯まで柔らかく甘い果実に、参加者から「おいしい!」の声が相次いだ。コミュニティの集会場で供されたパイナップルティーも、ジュースのようにフルーティだった。
パイナップル副産物の活用も徹底されている。収穫後の若い苗木は植樹され、主幹の樹はゾウの餌として、葉から抽出した繊維は衣服、ナプキン、ホテルスパの装飾品などへと有効活用されている。この農園はゴムやヤシの収穫サイクルの合間にパイナップルを3回植えることで農業収入を確保しており、観光と農産物販売の両輪で運営される複合的な経営モデルを実現しているという。
パイナップルティーをはじめコミュニティで商品化したおみやげもある伝統菓子づくりと、マングローブでカニ放流
すぐ隣では、ココナッツの木から収穫した実を割って、中のジュースを飲み、果肉をこそぎ取る体験をした。その後は、女性住民と一緒に、伝統菓子シュガーダンプリング(カノム・コー)づくり。ココナッツシュガーを米粉で練った生地で包み、茹でたてを頬張った。生地には緑と紫の色が付いているが、それぞれパンダンリーフ、バタフライピーの色で、100%天然色だ。
今回のプログラムの締めくくりは、マングローブの林で卵持ちカニを放流し、自然に還した。見せる展示ではなく、環境保護の取り組みに直接参加する形だ。
バケツにいるカニをマングローブの林に放流。環境保護につながる体験だ
還元の仕組みと小さな規模の意味
これらの体験をサポートしていた地元の人にも話を聞いた。
定年退職者だという女性は、観光客を受け入れることに喜びを感じている。「それぞれが得意なことを手伝い、利益はコミュニティで分配されている」と話す。また、休暇で地元に戻っていた学生は、「外からの訪問者がなかった村に観光客が来ることが純粋にうれしい」と、観光が地域に新しい仕事と収入、外の世界とのつながりをもたらしていることに期待感あふれる声を上げた。リットラクサ氏は、「若いリーダーを育成している」と話しており、バンロンは若い世代も巻き込んだ展開になっている。
収入面でも具体的な成果がみられる。農園所有者は観光活動をおこなうことに同意しており、観光客の受け入れに対して報酬を得ているという。たとえばゴム農家の場合、通常の農業収入は月約1万バーツ程度だが、観光客の受け入れによって5000〜6000バーツの追加収入が得られる例もあるという。既存の生活様式を変えずに収入を「上乗せ」できる構造が、住民の参加意欲を支えている。
観光事業から直接収入を得ているのは住民約3000人のうち約100人にとどまるが、その利益は寄付・教育・地域行事・子どもへの支援・福祉などを通じてコミュニティ全体に還元される包括的な分配システムが機能しており、前述の女性の言葉が示す通り、住民の深い納得感に支えられている。小規模だからこそ、コミュニティ全体での共同ガバナンスが成立し、意思決定も住民の合意のもとでおこなわれている。
観光収入でインフラを整備するのかという問いに、リットラクサ氏は「道路の安全性や快適さに問題はなく、新しく建物を作る必要もない。これはわたしたちの生活様式であり、自然な暮らし方だ」とインフラ整備を最小限に抑え、古い建物を活用して住民の生活を変えずに観光を続ける姿勢を強調した。
バンロンの体験プログラムは全体で約45種類。体験したプランテーション体験のほかにも、ホリデープログラム、終日体験、環境保全活動、チームビルディング、地元食材を使った料理教室など多岐にわたり、農業や漁業からアクティビティまで村民の日常生活と環境を変えないという原則のもとで実施されている。
コミュニティの学生たちも受け入れ側に参加
バンロンが示すコミュニティを「守るための観光」
バンロンでは、住民の日常生活そのものが体験の基盤であり、観光客は生活の外側から眺めるのではなく、その中に入っていく。日本でいえば、修学旅行の農村体験学習に近い感覚だ。ただ、決定的な違いは、それをコミュニティが自発的に設計し、マスツーリズムが支配するプーケットで、文化と生活を守る「手段」として運用しているという点だ。
CBTは成功しすぎると観光化が進み、本来の目的と矛盾するジレンマをはらむ。しかしバンロンは農業・漁業・観光が並存する分散した経済構造を持ち、意図的に小規模を維持している。「成長しすぎていないこと」そのものが価値であり、持続可能性の裏付けでもある。もっとも、現時点では訪問者の多くは欧米や中国からで、日本からの訪問は限定的だという。
バンロン・コミュニティの取り組みが示すのは、観光が地域を変容させる力であると同時に、地域を守る手段にもなり得るという可能性だ。そのカギは「生活を変えない」という原則の徹底にある。観光のために生活を演出するのではなく、生活そのものを観光資源として差し出す。低コストで再現可能で、観光依存にならない。この構造が、バンロンCBTを「現実的かつ再現可能なモデル」にしている。観光のあり方次第で地域は守られることを、バンロンは日常の延長線上で体現している。
取材、写真・記事:平山喜代江