Trip.com (トリップ・ドットコム)は、ChatGPTの登場からわずか2カ月半後の2023年2月、グローバルOTAのなかでもいち早く、次世代型AIアシスタントをモバイルアプリに実装し、旅行関係者を驚かせた。その後継モデルとして2023年7月に登場した「トリップジーニー(TripGenie)」は、LLM(大規模言語モデル)を活用してテキストや音声でのチャットに対応し、アプリ内のナビゲーションをスムーズにしてきた。2026年春からは、eSIMやテーマパークの予約をチャット上で完結する機能追加など、その進化は続いている。
このほど開催されたWiT Japanに登壇した同社のAI開発を指揮するシニア・プロダクトディレクターのエイミー・ウェイ氏に、これまでの3年間の歩みと、旅行業におけるAIアシスタントの未来像を聞いた。
雑談から予約へ、目的が明確化するAI利用
エイミー・ウェイ氏は、アマゾン、モトローラ、ノキアでプロダクトマネジャーなどを務めた後、2015年から中国のOTAであるQunar(チューナー)で国際航空券や新規事業開発を担当。Qunarがトリップ・ドットコム・グループ傘下に入った後は、海外鉄道事業のトップとして自ら日本や欧州の鉄道会社とAPI接続を交渉し、2018年に鉄道の予約プラットフォーム「TrainPal」を立ち上げた。こうしたキャリアを通じて、ユーザー行動やテック改革に精通していたことが、トリップジーニーのスピーディな開発につながったと自負している。
一貫して目指しているのは、「ユーザーにとって、より便利で分かりやすい情報探しを実現し、予約時の不安を減らすこと」だ。「旅行の手配では、本当に色々なことを考えなくてはいけないからだ」と話す。
トリップジーニーの利用状況について、ウェイ氏は「3年前のローンチ当初は、旅行手配に直接、関係ない質問をするユーザーが半分以上だったが、現在は予約関連の質問が全体の6割を占め、具体的な目的を持って利用していることがうかがえる」という。
利用件数は右肩上がりで推移しており、トリップジーニーがアシストした予約数は、稼働から3年目は前年比400%増。日本では、プランニング段階でのホテルやフライト予約が利用の中心。興味深いのは、ホテル関連の質問において、全体の21%が特定のホテル名を挙げてトリップジーニーに問いかけている点だという。こうした聞き方は他のアジア市場ではあまり見られず、香港では10%以下にとどまる。ウェイ氏は「日本の旅行者は、すでに集めた情報について、間違いないか確かめているのではないか」と分析する。
一方、シンガポール、香港、マレーシアなどのアジア市場で目立つのは、自然発生的な質問が多く、タビナカでのトリップジーニー利用が増えているという。こうしたニーズに対応し、「ユーザーが、なるべく頻繁にトリップジーニーに戻ってくるようなリアルタイムAI機能の充実にも力を入れている」(ウェイ氏)。たとえば、マイクをオンにして会話できる「リアルタイム翻訳」、飲食店のメニューをカメラで読み取り翻訳する「メニューアシスタント」、商品パッケージや標識を読み取る「画像認識」などがあり、これらの機能の利用も前年比300%増と拡大中だ。
目指すのはエージェントAI対応型のエコシステム
「開発当初はAIモデルの会話機能が向上すれば、ユーザーの満足度も高まると考えていた。だが実際には、リアルタイムの在庫などをもとに回答できなければ、必要な情報提供にならない。今は、予約決定までサポートできるエージェントAI対応型のエコシステム構築を目指している」という。
旅行者がAIアシスタントに求めている3つのこととして、ウェイ氏は、「在庫や規約・ポリシーにもとづく回答」、「選択・決定に役立つ情報」、そして「リアルタイムのサポート」を挙げる。
「旅行予約におけるストレスの原因は、情報量の不足というより、情報を正確に理解するためにかかる煩雑な手間」とウェイ氏。「これを軽減し、旅行商品を選ぶ際の不安を取り除けるのが、優秀なAIアシスタント」と説く。
こうした考えを体現した機能の一つがトリップジーニーの「ホテル比較機能」で、利用したユーザーは、最終的な予約までのクリック数が80%減ったという。クチコミ評価スコア、空港からのアクセス、プールの有無などを表にして示し、その後、各ホテルの詳細情報ページへと移動する流れで、「最終的なコンバージョン率だけでなく、その過程におけるホテル選びの手間を省き、ストレスを短縮する上でも、トリップジーニーが役立っている」(ウェイ氏)。
さらに今年(2026年)3月からはeSIM、続いて5月からはテーマパークなどの観光施設チケットの予約・購入が、トリップジーニー上で完結できるようになった。たとえば、eSIMの場合、トリップジーニーに訪問先を伝えると、該当する商品がチャット上に表示され、その中から、利用日数など詳細条件に合ったものを選び、購入決定する仕組みだ。
トリップ・ドットコムでは、こうしたトリップジーニーへの“権限移譲”を、他の商品カテゴリーでも段階的に進めていく。「購入頻度が高く、金額が低い商品カテゴリーから着手している」とウェイ氏。価格も難易度もより高くなる航空券やホテル予約でも、同じ流れを目指す方針だ。
プロセスをただ自動化するのではない。ウェイ氏は、「我々の原理原則はアカウンタビリティ」と強調する。すべての条件をクリアに表示し、選択・決定するのは常にユーザー側であるということだ。「周知の通り、旅行業のレガシーシステムには、膨大な数のポリシーやルールがある。これをまず、AIがナビゲートしやすい構造に整えることで、動的で柔軟なインターフェースを作る」と語る。
同様に、これまでは人間が理解しやすい形に整えられていたコンテンツも、AIが対処しやすい形に再構築し、正しいアクションを実行できるようにする必要があるという。ウェイ氏は「AIアシスタント機能だけが進化するのではなく、システム全体の連携が深まり、決済、モビリティ、アプリのサービスなど、すべてが連動しなければならない」と指摘する。
ユーザーの信頼が勝敗の肝
今後の方向性について、ウェイ氏が挙げたキーワードは2つ。「チャット(回答)からアクション(予約完了)へ」、そして「やりとりの長期化、タスク化」だ。
トリップジーニーとのやりとりについてウェイ氏は「もっとオープン・フロー、すなわちAIの思考・行動プロセスが外部にも可視化され、ユーザーも開発者も使い方の自由度が高くなり、かつ没入的な体験になる」と話す。その結果、「エージェント(旅行者の代理人)」としての役割がより強くなると考えている。
「たとえば、『私の部署が来月、計画している海外旅行について、条件に合ったフライトやホテルの価格変動をモニタリングしてほしい』と依頼すれば、AIが自動で旅程を組み立てるなど、より長い時間をかけて遂行するタスクをこなすようになる。その過程で、AIが必要な情報を提示し、それをもとに旅行者自身が決定を下していくという流れだ」
ウェイ氏率いるプロダクト開発チームでも最近、こうしたアプリのバックエンドで長期間にわたって取り組むタスクについて議論している。「プロダクト・ビルダーにとっては、非常に面白い時代だ」と意欲を示す。
OTAの役割については、これまでの「マーケットプレイス」から、「安心して頼れる旅のコンパニオン(同伴者)」になると見ている。トリップ・ドットコムでも、「フライトと宿泊の予約・購入にとどまらず、旅行の最初から最後まで、便利なツールやサービスを常に提供できる存在を目指し、タビナカ領域でも、頼りになるアクション・レイヤーを増やしている」と明かす。
そのすべてが売上増に直結するとは限らないが、ウェイ氏は最後に、「AIを活用することで、比較検討から予約決定、タビナカのナビゲーションまで、透明性と一貫性のあるプラットフォームになる必要がある。旅行業は複雑だが、これを誰にでも分かりやすく、決めやすい形に整えることが、ユーザーからの信頼につながる。信頼を得たところが勝者になる」と断言した。
WiT Japanに登壇した際のウェイ氏(左)。「ユーザーのやり取りの約6割が予約関連。TripGenieに対する信頼を表している」と自信をみせた