
日本観光振興協会の最明仁です。今回のコラムは、スチュワードシップ(Stewardship)という考え方と観光地域づくり法人(DMO)が果たすべき役割について考えてみたいと思います。
2023年10月、当時の岸田首相が所信表明演説で「観光は地域振興のエンジンです。しかし、一部地域や時間帯に観光客が集中することで生じる混雑、マナー違反、担い手不足等のオーバーツーリズムの問題も顕在化しています」と述べ、持続可能な観光の重要性に言及しました。その直後から、マスコミでは「オーバーツーリズム=観光公害」と過剰に報じられる場面も目立つようになりました。観光のイメージが損なわれ、観光そのものが悪者のように扱われる状況に、私は忸怩(じくじ)たる思いを持ちました。
一方で、観光に携わる私たちが目先の利益や観光客視点に目を奪われ、地域住民の視点に立った活動ができていたかどうかを振り返る契機にもなりました。観光が地域創生、経済波及効果をもたらすことは疑いがありませんが、それが本当に地域住民の安心、安全、豊かな生活に結びついているのか。今一度、地域における観光の立ち位置、あるべき姿について考えることにしました。
スチュワードシップ(Stewardship)という考え方
日本観光振興協会は、米国のDMO・CVB(コンベンション・ビジターズ・ビューロー)を統括する世界的な組織「Destinations International/DI」に加盟し、最新の潮流に接しています。世界のDMOとの交流、最新のトレンドなどの情報収集などが具体的な活動です。米国では、19世紀末に今のDMOの考え方につながるCVBのような組織が生まれ、長い歴史の中で各地で独自に進化してきました。連邦政府が登録制度や監督機能を持たず、中央集権的な日本とは大きく違います。
その米国のDMO関係者の間で、近年頻繁に語られているのが「スチュワードシップ(Stewardship)」です。直訳すると「受託責任の姿勢」、もう少しかみ砕くと「組織内外の責任を負い、財産の管理を任された者の責務」。観光、DMOの文脈でのStewardshipとは、「観光地(地域資源・文化・住民の暮らし)を、責任を持って運営し、目先の利益ではなく地域の幸福や持続可能性を第一に考える経営姿勢」といってよいでしょう。地域の資源を託された者として、責任と誇りをもってマネジメントをしていくことがDMOの役割だという声が大きくなっています。
DIが作成した以下の図は、DMOの役割についてわかりやすく説明しています。
「観光地域づくり法人(DMO)のやるべきこと」(DI作成の図を日本観光振興協会が日本語化)
DIの考え方を整理すると、DMOの役割は、日本でよく使われる「訪れてよし(観光客誘致)、住んでよし(地域住民の満足度向上)」に「働いてよし(雇用創出)、投資してよし(新たな投資)」が加わり、この4つの価値を好循環させることにあります。DMOがステークホルダー、特に地域住民の意見を丁寧に聞き取り、合意形成を図りながら、適切な速度で観光をマネジメントすることが重要とされています。観光地域づくりは、DMOが単に機関車となって引っ張ることでなく、地域住民、地域社会の立場、価値観を尊重した活動をしていくことで、サステナビリティにつながるという考えがトレンドになりつつあります。
日本のDMOに求められること
日本でも、観光庁が新たなガイドラインを策定しました。新ガイドラインでは、日本におけるDMOの主な役割は次の5つとしています。
- データに基づく観光地経営戦略の策定
- 観光資源の磨き上げ、二次交通など受け入れ環境の整備
- プロモーション
- 関係者間の合意形成、体制構築
- 財源の確保
新しいガイドラインと策定に至る有識者の議論経過も読み返しました。この中で、特に、4.の「関係者間の合意形成」について、私は地域住民、地域社会の立場にたった仕組みが必要ではないかと感じています。具体的な取り組みを重視し、登録要件に定めるなど踏み込んだ内容にしても良かったのではないかと考えています。
観光庁のガイドラインには「DMOは住民の理解促進、閑散期対策等の需要の平準化、旅行者や周辺交通等のデータ分析を通した特定時間や特定箇所の分散、旅行者マナー向上等に取り組みながら観光地域全体のマネジメントをおこなうとともに、災害等の非常時には地方自治体と連携し、インバウンド等への適切な情報発信や安全・安心対策に取り組む必要がある(原文のママ)」とされています。
なぜスチュワードシップ(Stewardship)が求められるのか
訪日外国人旅行者4000万人時代となれば、一部の観光地では混雑が慢性化することが想定されます。地域住民の観光に対するネガティブな感情は、悪化するリスクも否定できません。DIが求める「合意形成」、観光庁の新ガイドライン4.にも書かれている「合意形成」、それを「多数決」で決めるのか「地域の代表者の合議にするのか」などは、新ガイドラインに書かれていません。地域の特性に合わせて検討が必要です。
1人の異論もなく物事が決まるなど、あり得ないことです。私自身、JR東日本で輸送計画に携わっていた経験からも、合意形成の難しさは実感してきました。朝の通勤ラッシュで3000名近い乗客がいる電車でも、全員の快適さを完全に満たすことはできません。満足度の最大公約数を少しでも高くしていくことを目標としていました。
乗客から寄せられる様々な意見・苦情を読み込み、できる限り現場の乗務員や駅社員の声を聴き、利用者の様子を自分の目で確かめることを心がけていました。少しでも満足度を上げる努力を続けること、その姿を見せていくことが必要だと思いました。
湘南新宿ラインは東海道線、横須賀線沿線と渋谷、新宿、埼玉を結ぶ。20年前にデータ分析と徹底した現場志向で作り上げられたルート(著者提供)
現在は、スマホやクレジットカードなどの普及で移動や購買データが取得でき、分析能力は格段に向上しています。DXと、それを後押しするAI技術で戦略立案も短時間で効果的におこなうことができる時代がやってきました。
そこで生み出された時間と余力をどう使うのか、データだけでとらえきれない現実も多々あります。例えば、スマホでは子ども連れの行動、家族構成、グループ構成などは購買データからも想定は難しいと言われています。
だからこそ、DMOは現場に足を運び、観光客だけでなく地域住民の表情を確かめながら対話を重ねることが肝心です。DX、AIで生まれた余力は、「現地・現物・現人」の実践にこそ使うべきです。地域住民の方々としっかりフェイス to フェイスで話を聞く、DMOの姿を地域に見せる、これが合意形成を得ることにつながる最短で最重要な活動ではないでしょうか。
オーバーツーリズム、観光公害といったネガティブな言葉はなかなかなくすことはできません。しかし、観光が地域住民、地域社会に必要不可欠な存在と認められるためには、DMOは常にスチュワードシップ(Stewardship)の心構えを持ち、地道に地域社会の信頼を積み上げていく活動が求められると思います。
次回のコラムでは持続可能な観光(サステナブルツーリズム)の国際基準「GSTC」における地域住民、地域社会との共存のあり方、定義について紹介したいと思います。

最明 仁(さいみょう ひとし)
日本観光振興協会 理事長。1985年日本国有鉄道入社、JR東日本で主に鉄道営業、旅行業、観光事業に従事。日本政府観光局シドニー事務所を経て、JR東日本訪日旅行手配センター所長、新潟支社営業部長、本社観光戦略室長、ニューヨーク事務所長、国際事業本部長などを歴任。2023年6月より現職。自他ともに認める鉄道・バスファン。