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観光需要分散のカギは二地域居住、「疎開」の再評価、オーバーツーリズム時代の処方箋【コラム】

こんにちは、国学院大学観光まちづくり学部の井門隆夫です。

脱・オーバーツーリズムを背景として、観光需要の分散化が急務となっています。観光庁の2025年度補正予算では「観光需要分散のための地域観光資源のコンテンツ化促進事業」に49億円が計上され、2026年3月に地域支援事業が本格化し、公募が開始されます。目的は主として一部地域へのインバウンドの需要偏重を解消することとされていますが、「国内旅行者の減少」といった深刻な裏テーマが隠れています。

分散化の対象となる多くの地域では、メインとして想定する需要がインバウンドであることからか、ガストロノミーやアドベンチャー、ウェルネスツーリズムといった新しい分野にも取り組みながら、付加価値増による単価アップや満足度の最大化に舵を切っています。しかし、実質賃金が上がらない日本人にとって、単価アップは、旅がより非日常の特別な消費へとなってしまうおそれをはらんでいます。

今回は、日本人需要を喚起し、需要分散化につながる観光コンテンツとは何かを考えてみたいと思います。

写真:休耕田で大豆を植え、味噌などにして保存する「地大豆湯治」(提供:宮城県・旅館大沼)

日本人の観光分散化のキーファクターは「疎開」

オーバーツーリズムへの処方箋として、いま、私たちが注目すべき結論は、「疎開(分散型旅行:Dispersing travel)」です。疎開という言葉は、現代の日本人にとって戦時中を強く想起させるかもしれませんが、私が提唱したいのは物理的な戦火だけではなく「日常の不安からの逃避と自己の回復」という形態です。

わかりやすいのは新型コロナでした。パンデミックにより世界的に旅行先は分散され、人のいない地域へと人々は旅をしました。残念ながら日本では、自宅へのおこもりが目立ったかもしれませんが、疎開していれば、より心身の癒しや子どもたちの成長へとつながったかもしれません。

具体的に挙げると、新型コロナが蔓延していた頃、東北地方のある温泉宿に都内に住む女性が移り住んできた事例がありました。かつて何度か訪れた経験があり、温泉の良さを知っていたからこそ、彼女は疎開して長期に滞在することを決断しました。しかしそれは長期滞在にとどまらず、客室を自分なりに改装し、二地域居住の拠点としたのです。まさに疎開です。

江戸時代には、疎開に通じる旅の形態が常態化していました。それが「湯治(とうじ)」でした。地域ごとに湧く温泉には効能があり、重曹泉は眼科、強酸性の湯は外科、硫酸塩泉は胃腸科といった泉質ごとに異なる薬効が認知され、「七日一巡り」で3回繰り返して滞在する湯治場は、療養を主目的とした疎開の役割を果たしていました。

脱・学校、脱・病院を導く観光の未来

20世紀後半を生きた思想家イヴァン・イリイチは、官僚制をはじめ制度化された社会を批判し、自立性・自発性に基づく「脱・学校」「脱・病院」といった概念を提示し、脱産業化する時代には、制度から逃れ、自給自足しながら生きるヴァナキュラーな領域が再評価されると予想しました。現在、フリースクールへと通う子どもたちや湯治場へと疎開する人々が増えているとすれば、脱・学校、脱・病院といった彼が示した思想が現実化しているように思えます。

脱産業化という言葉の背景には、経済成長の限界という意味があります。経済成長がもたらす様々な社会の歪みが生みだす人間関係や環境の変化と、それに伴う不安の増大が、フリーランス化や自給自足といったニーズを生み出していると考えられます。親子の過干渉、職場や学校でのいじめなどの人間関係上の不安に加えて、自然災害の増加や食糧危機といった不安ばかりが増える時代においては、満足の最大化より不安の最小化が生活に求められるようになります。

観光の目的も不安の最小化だと考えた時、これからの観光は「脱・都市」「脱・定住」であり、「脱・不安」を具現化できる疎開の再評価が求められていると考えられます。

農業と温泉の組み合わせが生む旅人のコミュニティ

食糧危機と述べましたが、世界中から食糧を調達できる日本は危機ではないと思われるかもしれません。しかし、「食料自給率100%を目指していきたい強い思いがある」と高市早苗首相がこだわりを見せるように、日本の食料自給率は38%(カロリーベース)と先進国で最低レベルという問題を抱えています。政府は、2030年度に45%を目標としていますが、そのためには日本人の食生活や米の生産のあり方を見直さなくてはなりません。

輸入肉や養殖魚介、小麦を食べる生活から、国産米や豆といった生活に回帰すれば自給率は回復し、生産過程で排出するCO2も抑制できます。何でもかんでも焼却処分し、世界の焼却炉の数の半分を占める日本のごみやフードロスの問題も見直す必要があります。あらゆる生活を見直さないかぎり、気候変動ばかりを誘発させ、天変地異や有事の際に食料を探して右往左往することを繰り返すばかりです。

宮城県・東鳴子温泉「旅館大沼」では、2008年から休耕田を利用して毎年大豆を植え、味噌などにして保存する「地大豆湯治」をおこなっています。無農薬の地大豆の栽培と温泉療養を組み合わせ、種まきから収穫、味噌づくりまで1年を通して通うプログラムで、都市に住む宿泊客が共通の活動を通じて湯治場のコミュニティとなり、一種の「疎開」を通じて農作業という放電と、湯治という充電を楽しんでいます。鳴子温泉郷には、創立103年の私立のこども園があり、疎開で訪れた旅行者の子供の一時保育も受けてくれます。

宮城県・東鳴子温泉「旅館大沼」では、宿泊客のコミュニティを構築して毎年大豆を植え、味噌などにして保存する「地大豆湯治」をおこなっている(写真提供:旅館大沼)

疎開の特徴は、心身を癒すだけではなく、農業など一次産業の生産に関わることです。温泉があれば、温泉熱で部屋を暖められます。いつでも温かい風呂に入ることができます。日本は水には恵まれていますので、あとは食料を自給自足できれば、生きていくことができます。

旅館大沼では、湯治を通じて宿泊客のコミュニティができ、「湯治みらい研究所」という湯治の効果の普及を目的とした組織までできました。こうした宿泊客の皆さんは、ひとり旅が大半です。ひとりで参加し、徐々に巻き込まれコミュニティができていきます。

イリイチは、世界がコンヴィヴィアル(自立共生的)な方向へとむかっていると説きました。制度に縛られた組織下ではなく、コンヴィヴィアルなコミュニティでは、人は創造性を発揮します。日常の不安を解消し、創造性を発揮しながら自己を回復する疎開こそが、日本人の観光需要を創造し、かつ分散化できるスタイルではないでしょうか。全国で新時代の疎開先が広がることを願っています。

井門隆夫(いかど たかお)

井門隆夫(いかど たかお)

国学院大学観光まちづくり学部教授。旅行業、シンクタンクで25年勤務し、関西国際大学、高崎経済大学を経て2022年から現職。専門分野は宿泊産業論、観光マーケティング。文教大学や立教大学を含め、20期以上のゼミ生を各地でのインターンシップや国内外でのフィールドワークで育成。観光を通じて社会変革をもたらすことが目標。