オンライン旅行予約の世界大手ブッキング・ドットコムは、生成AIの普及を受け、旅行商品ごとにサービスをつなぐ従来の発想から、旅行全体を中心に据えたサービス設計へと転換を進めている。
最高事業責任者ジェームズ・ウォーター氏が、同社のAI戦略や競争優位、今後の旅行予約のあり方についての説明したオランダ・アムステルダム本社でのメディアセッションを取材した。
ウォーター氏は、生成AIを利用できること自体は企業の差別化要因にはならないとの認識を示す。競合企業にも同じ技術を利用する機会があるためで、「重要なのは、どれだけ賢く活用するかだ」と話した。
そのうえで、ブッキング・ドットコムの差別化につながる要素として、顧客への深い理解、豊富な自社の旅行データ、大手テクノロジー企業との関係という3点を挙げた。
同氏は「当社は他社よりも顧客を深く理解していると考えている。また、世界でも最も深く、豊富な自社のファーストパーティー旅行データを持っている。生成AIの基盤となるLLM(大規模言語モデル)は、与えられたデータをもとにしか機能しない。当社には、より多く、より強力なデータがある」と述べた。
さらに、事業規模を背景に、メタ社(フェイスブック)/アマゾン/グーグル/ChatGPT/アンソロピックなどと、上位レベルの関係を構築していると説明。それぞれの技術やサービスを比較し、用途に応じて最適に組み合わせることができる企業は限られているとの見方を示した。
独自データで旅行分野に最適化、技術導入より顧客課題を重視
ブッキング・ドットコムでは、自社サイトやアプリ上では公開していない内部データをLLM(大規模言語モデル)に与え、旅行分野の用途に合わせて調整しているという。ウォーター氏は「当社だけが持つデータをLLMに与えてファインチューニングすると、旅行のユースケースでは一般的なLLMよりもはるかに高い性能を発揮する」と説明した。
一方で、生成AIの登場によって、新規企業や小規模事業者がサービス開発を始める際の障壁は低下しているとの認識も示した。エンジニアでなくても、自然言語を使って開発する「バイブコーディング」(対話ベースでソフトウェアを作っていく開発スタイルのこと)を短期間で学び、数日から数週間で動作する製品を作ることが可能になっているためだ。
同じような事業領域から競争を始める場合には、大規模なデータを持つ企業に優位性があるとしながらも、データ量だけで成功が決まるわけではないと強調。「顧客の信頼を維持し、優れた顧客体験を提供し、現実に存在する顧客の課題を解決しなければならない」と話した。
ウォーター氏はひとつの例として、自身が学生時代に友人と出かけた海外旅行と、妻や子どもと父親の75歳の誕生日を祝うために英国を訪れた旅行を比較。旅行の目的や同行者は異なっても、適切な場所を予約できたか、料金は妥当か、同行者に合っているか、交通の接続や現地での活動に問題がないかといった旅行者の「不安」は変わらないとした。
「そうした課題から離れてしまえば、技術のために技術を開発する企業になってしまう。当社は学術研究をする企業ではない。旅行者とパートナーに価値を提供する企業であり、そこに集中しなければならない」と述べ、AIの導入そのものではなく、旅行者への価値提供を基準に技術を活用する姿勢を示した。
旅行者によるAIの利用については、利用意向と実際の利用、さらに意思決定を任せることへの信頼との間に依然として大きな差があるという。
ウォーター氏が示した直近の数字では、旅行にAIを利用したいと回答した人は89%に達する一方、AIに意思決定を任せてもよいとした人は12%、その判断を完全に信頼するとした人は6%だった。数字は12カ月前より若干改善しているものの、AIの利用は予約よりも旅行の調査段階に集中していると説明した。
その一方で、旅行情報の調査手段として、LLMやAIインターフェースは急速に成長している。ChatGPTやグーグルのジェミニなどが大規模な利用者基盤を構築したことが、その変化を後押ししているという。
また、AI技術の競争状況は短期間で変化していると指摘。ある時期にはOpenAIが先行し、その後は多くの評価指標でジェミニが優位となり、現在はアンソロピックが前に出ているように見えると話した。
「今、最も優れた製品を活用できるようにする一方、今日の最良の製品が6カ月後にも最良であるとは考えないことが必要だ」と説明。企業が外部サービスを3~5年単位で調達してきた従来のサイクルは、AI分野では通用しにくくなっているとの見方を示した。
ブッキング・ドットコム最高事業責任者のジェームス・ウォーター氏
商品別の連携から「旅行全体」へ、旅程と予約をつなぐ
生成AIの登場は、ブッキング・ドットコムが推進してきた「コネクテッド・トリップ」の考え方にも変化をもたらしている。
従来の旅行予約では、利用者が航空券を探し、その後に宿泊施設や現地での体験を個別に検索し、再び宿泊施設の条件を確認するといった行動を繰り返していた。最終的には一つの旅行になるものの、検索や予約の過程では、旅行全体ではなく一つひとつの商品が別々に扱われていた。
ブッキング・ドットコムも、宿泊、航空、現地体験などの事業領域を比較的独立して構築し、適切なタイミングで別の商品を提案することに重点を置いてきた。しかし、ウォーター氏によると、同社はこの発想を転換。過去1年半、特に直近約9カ月には、国や地域、旅行テーマを起点とする検索や、旅程全体を管理する「トリップ・プランニング」の機能に投資してきた。
同機能では、旅行を構成する各要素を時間軸と地図上に配置できる。予定が入っていない日や、複数週間の旅行中に宿泊予約がない期間があれば、その空白を利用者に示すことも想定している。
ウォーター氏は「これまでは、実績のある旅行商品の各領域をどう結びつけるかという発想だった。現在は、旅行という概念をどう事業の中心に置くかを考えている」と説明した。
LLMは旅程作成を得意とし、利用者にもAIを使って旅行全体を計画する行動を定着させつつある。一方、現在のLLMには、作成した旅程を実際の予約へ円滑に移行させる点で課題があるとした。ブッキング・ドットコムは、この旅程と予約の間をつなぐ役割を担う考えだ。
同社の成長戦略でも、目的地を指定する従来型の検索に加え、旅行の初期段階にあたるテーマ検索や旅行全体の提案を強化する。ウォーター氏は、トリップ・プランニング機能について「最初のリリースにすぎず、今後さらに多くの機能が加わる」とした。
さらに、自社データを組み込んだLLMを、サイト内のレコメンド、マーケティング、カスタマーサービスなどに横断的に活用する方針を説明。どの接点でも同じ顧客像を共有し、旅行の各段階で適切な提案をおこなうことを重点課題に挙げた。
AIエージェントにサービス開放、最後の競争力は「信頼」
旅行者の代わりに検索や予約を実行する「AIエージェント」(英語での表現は「エージェンティックAI」)の普及に対しては、ブッキング・ドットコムのサイトや商品をAIエージェントから利用できるようにする方針だ。
ウォーター氏は「当社のウェブサイトと商品を、AIエージェントがアクセスし、利用できるようにしていく」と説明。利用者がAIエージェント経由でブッキング・ドットコムを使う場合と、人を介して利用する場合の双方を選べるようにする考えを示した。
ただし、汎用的な水平型LLMが、旅行分野のすべてをブッキング・ドットコムと同等以上に処理できるようになる可能性には慎重な見方を示す。旅行は多くの時間と費用、感情を伴い、言語、国境、文化をまたぐ複雑な行動で、時間や場所の条件も重要になるためだ。
「旅行は極めて複雑だ。水平型のLLMが、当社と同じ水準で旅行を解決できるとは考えていない」と話した。また、利用者が生活のあらゆる領域を一つのAIエージェントに任せる状況についても、「一つの企業が、私たちが世界で接するすべてを管理するという考えを、多くの人が好むとは思わない。期待よりも怖さを感じる側面がある」と述べた。
AIが旅行業界の標準機能となった場合でも、ブッキング・ドットコムに残る最大の競争優位として挙げたのが「信頼」だ。
AIは与えられた情報をもとに回答するため、基盤となる情報の検証、正確性、信頼性が重要になる。ウォーター氏は、LLMは保有する情報の範囲内では極めて高い能力を発揮する一方、重要な情報を持っていない場合でも、自信を持って回答することがあると指摘した。
「LLMは知っている範囲では非常に賢い。しかし、根本的に知らないこともある。問題は、持っている情報だけをもとに、非常に自信を持って答えることだ。それは危険であり、リスクになる。違いを生み出すのは信頼だ」と強調した。
AIの進化に伴い、セキュリティへの投資と優先度も高まっている。同社には数百人規模の専任セキュリティ組織があるほか、数千人のエンジニアもそれぞれの業務でセキュリティに関わっているため、投資額を単一の数字として示すことは難しいという。
ウォーター氏は「セキュリティは以前から重要だったが、過去18カ月で、その重要性と優先度が大幅に高まった。この傾向は今後も続くだろう」と述べた。
AIとテーマ検索の活用は、旅行需要の分散にもつながるとみる。目的地名を起点とする現在の検索では発見されにくい地域や宿泊施設を、旅行者の関心や目的から提案することで、需要を地理的、時間的に分散できる可能性があるためだ。
ウォーター氏は、オーバーツーリズムについて、旅行そのものを制限するだけでは需要が周辺地域へ移り、新たな混雑を生む可能性があると指摘。「人々の旅行したいという意欲は非常に強く、それを取り除こうとしてもうまくいかない。需要をどのように移動させるかを考える必要がある」とした。
同社は広告商品を通じ、世界各地のDMO(観光地域づくり法人、観光局など)との連携も拡大している。観光客の受け入れを希望する地域への需要を促すことで、訪問者を受け入れる余力のある地域へ旅行需要を動かし、過度に訪問されている地域からの分散に貢献する考えだ。
取材・文: 鶴本浩司