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栃木県那須町の観光人材定着への福利厚生、その協力店と、参加する従業員の声を聞いてきた

栃木県那須町で2025年6月から本格運用が始まった「那須ワークコミュニティ(なすワク)」。那須町観光協会の会員事業者の従業員が、町内の協力店が提供する様々な割引特典を受けられるという町ぐるみの福利厚生の仕組みだ。観光産業の担い手不足が深刻化するなか、同協会が地域全体を一つの企業に見立てて従業員を支える施策として打ち出した。

2025年12月現在で協力店は72店・施設、参加従業員は618人まで増えた。「なすワク」はどのように利用されているのだろうか。協力店と参加従業員に聞いてみた。

※写真:「なすワク」のイベントとして開催された森林ガイドウォークの様子。観光で働く参加者が交流を深めた。

協力店・那須とりっくあーとぴあ、「とにかく見てもらう」

協力店として2024年12月からの実証段階から参加している「那須とりっくあーとぴあ」を運営するエス・デー社代表取締役の清水洋信さんは、「いい取り組みだと思いました。協力に全く抵抗はなかった」と振り返る。那須町では、すでに那須地区ホテル&レジャー施設連絡協議会の会員施設が従業員向けに入場無料カードを配っていたことから、「その仕組みが町全体に広がるのは、さらにいいこと」と話す。

那須とりっくあーとぴあは、「トリックアートの館」「トリックアート迷宮?館」「ミケランジェロ館」の3館を展開している。トリックアートとは、人間の目の錯覚を利用して「立体的に見える絵画」や「観る角度により印象が変化する作品」など、平面が立体的に見える作品のこと。エス・デー社は、トリックアートの総本山で、全国で展開されているトリックアート施設は同社の直営あるいはフランチャイズだという。アトリエ工房も併設され、体験見学が旅行者にも開放されている。

那須とりっくあーとぴあは、協力店として「なすワク」で入館無料の特典を提供している。さらに、同行する家族や友人3人までは入館料を半額にするという破格のサービスをつけている。清水さんは、「飲食店などとは違い、原価をあまり気にする必要がないんです。とにかく、トリックアートの世界を見てもらうのが第一優先」と話す。

ただ、実証を含めると「なすワク」が開始されて1年だが、「まだ利用が広がっている状況ではないですね。もっと認知が必要でしょう」と課題も口にする。

那須町観光協会が2025年12月に実施したアンケート調査によると、「なすワク」の割引サービスを利用した観光従事者は調査対象の63%と高いものの、利用するサービスで最も多かったのは、「ローソン那須インター店」が提供する7円引きガソリンクーポンや店内調理フードの1品半額サービス。旅館の日帰り温泉を利用した人はいるものの、観光施設での利用は少ないのが現状だ。

日常生活でお得になるサービスは仕事帰りに立ち寄れる手軽さが利用に繋がっている面があるが、アンケート結果では利用していない理由として「タイミングが合わなかった」が6割以上にのぼる。成果は長期的な視野で見ていく必要があるかもしれない。

清水さんも「観光業で働いている人たちは忙しすぎる。余裕がなければ、なかなか観光施設には足を向けないのでは」と話したうえで、「参加者を増やしていくためには、期間限定の『クローズドイベント』など人が集まる機会が必要ではないでしょうか」と提案した。

清水さんによると、那須町が好きで那須町にプライドを持っている人は多いが、特に若者の間では、つながるタイミングや機会が少ないという。「若い時に仲間になって、それが続けば、地域を盛り上げていく力になる」。福利厚生としてだけでなく、若い観光従事者たちを繋げる役割としての「なすワク」にも期待を示し、「そうなれば、離職率も減るのではないでしょうか」と続けた。

「ミケランジェロ館」で清水さん。ここには、ゴヤ「着衣のマハ」やエドワード・ホッパー「ナイトホークス」などのトリックアートがある

参加する従業員、「“新たな那須”の魅力を知るきっかけに」

一方、「なすワク」に参加する従業員の声も聞いてみた。

那須の観光と農業に福祉を合わせた「観福農」連携で新しい産業作りに取り組む「GOOD NEWS」の河野愛翔さんは、結婚と同社への入社を契機に2025年1月に東京から那須に移住してきた。

河野さんは、東京に住んでいた頃も、那須にはよく遊びに来ていたため、全く縁もゆかりもない土地と言うわけではなかったという。それでも「移住者同士や会社以外のコミュニティへの入り方が分からなかった時、『なすワク』で少し踏み込める場所を作っていただきました」と明かし、「なすワク」を「すごく温かいシステム」と表現した。

GOOD NEWSが協力店となったのは2025年10月だが、河野さんは「なすワク」のイベントとして同月に開催された森林ガイドウォークにも参加。年齢の近い参加者との交流を深めるとともに、「旅行では分からなかった那須のことを、一層知るきっかけにもなりました」と振り返った。

また、特典サービスではガソリン割引クーポンをよく利用すると明かす。東京ではガソリン代を払わない生活を送っていたが、那須は車社会。「今は、ガソリンの割引をありがたく使わせていただいています」という。さらに、温泉旅館「山水閣」の日帰り温泉も利用。「20代には山水閣の敷居は高かったですが、『なすワク』がきっかけになりました」と話す。

河野さんは那須に移住してまだ1年ほど。「東京にいる頃は、3ヶ月先の休日まで予定を入れるようなタイプでしたけど、那須に来てすごく変わりました。『今日は天気がいいから、ちょっと山に紅葉を見に行ってみようか』と思うようになり、時間に縛られなくなった気がします」と明かし、「『なすワク』を利用して那須のいろいろな魅力を発見できればと思っています」と続けた。

GOOD NEWSの河野さん。同社が地元の畜産業と連携して製造する「バターのいとこ」は那須の定番土産にもなっている

「なすワク」で従業員が地域のコンシェルジュに

「なすワク」の発案者で「那須高原の宿 山水閣」宿主の片岡孝夫さんは、「例えば、旅館一軒は部屋、那須街道は廊下として、町全体を大きな旅館と見立てれば、そこで働く人たちが、仕事終わりに『各部屋』のお風呂を使えることは大きな恩恵。喜んでもらえるのでは」と考えたという。

片岡さんは、人材の定着と確保に向けた福利厚生サービスの側面以外にも、副次的な効果として、「なすワク」を利用した従業員自身が地域のコンシェルジュにもなり得ることを挙げる。「自分の施設や宿を訪れた旅行者に向けて、自分が体験したことを自分の言葉で紹介できるようになると思うんです」と話す。「なすワク」は、そのネタ集めの機会にもなるとの考えだ。

GOOD NEWSの河野さんも「友達や家族が来たときは、いろいろなところに案内してあげたい」と意欲的だ。

山水閣の宿主、片岡さん。「離職を止めるには、社内で色々なヒーローをつくって、その人を認めることが大切」と話す那須町観光協会事務局長の伊藤美香さんは、「なすワク」の今後について、「従業員の皆さんが、那須で働けば、いろいろな特典があるし、生活も豊かになると感じられる環境を作っていきたい」と話す。さらに、「日常生活を補填できるサービスも増やしていきたいと思っています」とサービスの拡充に意欲的だ。

那須町観光協会が実施した従業員向けのアンケートでも、今後、増やして欲しいサービスとして、「生活に密着した事」「スーパーやコンビニなど普段よく使う店舗でのサービス」「生活必需品の店舗」などの意見が挙げられた。協力店になってもらうためには、観光協会の会員になってもらう必要があるが、「ミスタータイヤマン那須店」が会員となった例もある。スタッドレスタイヤへの交換費用割引で参加従業員に喜ばれた。

那須町は昔から観光地として一体感があるという(那須町観光協会戦略企画室次長の岩渕英人さん)。伊藤さんも「那須町の受容力がなければ、『なすワク』はこれだけ早く広がっていない」と話す。

将来的には、観光事業者にとどまらず、「なすワク」を町民が参加できる仕組みに発展させていきたい考えだ。

聞き手:トラベルボイス編集長 山岡薫

記事:トラベルジャーナリスト 山田友樹