観光はいま、転換点に立っている。これまで成功の指標とされてきたのは訪問者数の拡大だった。しかし、オーバーツーリズムや環境負荷、地域社会への影響が顕在化するなかで、その前提は大きく揺らいでいる。
グローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(GSTC:Global Sustainable Tourism Council)が2026年4月にタイ・プーケットで開催した「グローバル・サステナブル・ツーリズム・カンファレンス2026(GSTC2026)」では、「受入れ可能な容量」「観光客の分散」「レジリエンス(逆境に耐え、適応し、回復する力)」といった概念を軸に、観光のあり方そのものを再設計する議論が展開された。議論の核心にあったのは、観光をどう「設計」するかという問いだ。各セッションで示された実践へのヒントを抄録する。
写真上:GSTCスタッフたちが集合(筆者撮影)
受入拡大モデルの限界、分散はインフラ整備が鍵
「観光は量ではなく価値で測るべきだ」。太平洋アジア観光協会(PATA)CEOのノア・アフマド・ハミド氏は「受入可能容量と観光客分散」のセッションで指摘し、スペイン・バルセロナの事例を挙げた。バルセロナは人口162万人に対して観光客が2600万人を超え、地域の許容量を大きく上回っている。問題は単なる人数ではなく、「どこまで受け入れられるのか」という許容量の設計だ。しかし、その許容量をどう測るかについては、いまだ統一された方法論が存在しない。観光は環境、経済、社会が複雑に絡み合うため、単一の指標では管理できない構造的な難しさを抱えている。
観光の再設計においてカギとなるのが分散だが、単純な需要の問題ではない。登壇者のAirbnbミッチ・ゴー氏は「アジア太平洋地域では、旅行者の89%がすでに非都市部を訪れている」と述べた。需要があるにもかかわらず分散が進まないのは、宿泊施設や交通など供給側の制約によるものだと分析する。実装のヒントはデータ活用だ。ハミド氏は、韓国・済州島ではビッグデータを使ってリアルタイムで混雑を可視化するシステムが導入されていることを紹介し、データに基づく制御の重要性を強調した。
また、フィジーでは観光がGDPの約45%を占めるなか、北部地域への分散を進めている。フィジー観光局CEOのパレシュ・パント氏は「インフラ基盤整備と需要創出は、同時に進めることで効果的な観光分散が可能になる」と指摘する。世界銀行の支援のもと、インフルエンサーを活用したデジタルマーケティング戦略を展開している。
さらに、タイのDASTA(持続的観光特別地域開発管理機構)総局長のシリパコーン・チェオサムット氏は、タイにおける「開発・指導・分散」の枠組みを紹介。これにより、45のコミュニティで観光収入を前年比22%増加させた。「地域住民の幸福度は収益と同じくらい重要だ」と話し、観光が経済指標だけでは測れない段階に入っているとの見方を示した。
「受入可能容量と観光客分散」と題する全体セッション
スロートラベルの理想と現実、背後に巨額インフラ投資
分散と並ぶもう一つの柱が、観光の「質」への転換だ。
その象徴的な概念がスロートラベルである。「スロートラベルと二次的観光地」について話し合うセッションでは、GSTC会長のルイジ・カブリーニ氏がスロートラベルを「単に長く滞在するだけではなく、ゆっくりとした移動や体験を通じて地域の文化・食・人とのつながりを深く味わう旅行」と定義した。背景には、ウォーキングやサイクリング、鉄道やロードトリップといった移動そのものを楽しむ旅、コミュニティや自然と深く関わる体験が重視されていることがある。
タイ国政府観光庁(TAT)のチラワディー・クンサップ氏は、「成功は到着者数ではなく、訪問者が生み出す価値と、その利益がどのくらい国中に分散しているかで測るべきだ」との考え方だ。現在、TATが実施しているキャンペーン「Healing is the New Luxury~癒しこそ、新しいラグジュアリー~」という言葉に、価値観の変化が表れている。
一方で、理想と現実の間にはギャップもある。二次的観光地の多くは国際市場への準備が整っておらず、戦略コンサルタントのアンドリュー・リアリー氏は「スロートラベルにおける本質的な課題はマーケティングではなく、インフラとガバナンスの問題だ」と指摘する。美しいキャンペーンで遠隔地や地方都市の魅力を発信し続けても、訪問者を受け入れる準備が整っていない地域へと人々を誘導してしまうことになる。リアリー氏は州内分散を目的とした米国ケンタッキー州のバーボン・トレイルを例に挙げ、美しいマーケティング・キャンペーンの背後には、事業所から関連団体、国や自治体が長年にわたって関係性を築いてきた基盤と大規模なインフラ投資が隠れているとし、「うまくいっているデスティネーションは、うまくいけばいいと願っているのではなく、そうなるように設計している」と述べた。
また、アゴダ(Agoda)のクリシュナ・ラティ氏は、空港を持たない地方都市の成長率が主要都市を上回るケースも増えている一方、ソーシャルメディアによる急激な需要増が環境負荷を高めるリスクもあることを指摘。そのため「データに基づく慎重なプロモーションが不可欠」と提言した。
バハマは、分散の可能性と課題を同時に示す事例だ。観光依存国であるバハマは、GSTCの支援のもと観光ガバナンスを官民連携型からコミュニティ主導へ移行させている。複数の島への分散により滞在期間と消費が増加する一方、労働力不足や住宅問題といった新たな課題も生じているが、コミュニティ主導で空港やホテルなどの開発においてキャパシティの上限を設定するなど、成長のコントロールが試みられている。
「スロー・トラベル:長期滞在とセカンダリ・デスティネーションの魅力」のセッション観光地のレジリエンス設計が急務
観光の再設計をさらに複雑にしているのが、気候変動と災害リスクである。アジア開発銀行のニコラス・ピテ氏は、「アジア太平洋地域は世界の災害の40%以上を占める。設計の初期段階から気候リスクを組み込むべきだ」と述べ、インフラ投資とリスク管理の統合の重要性を強調した。
リスク評価の専門家であるジェームズ・ダニエル氏は「観光地域の区分と世界銀行が使用するリスクモデリング用の行政区域が一致していないことが大きな問題だ」と指摘し、物理的資本だけでなく自然や歴史建造物といった観光資本も含めた、包括的かつ世界で標準化されたリスクデータベースの整備を訴えた。
また、環境コンサルタントのフェデリカ・ボスコ氏は「観光価値の80%は自然に依存している」と述べ、生態系の保全にはすべての関係者の関与が不可欠だと主張した。タイ天然資源環境省のウクリット・サタプーミン氏は、サンゴ礁の白化対策として移植プログラムや定着用の構造物、代替ダイビングサイトを紹介し、「自然の自己回復力に頼るのでなく、自然保護への積極的な投資と介入が必要だ」と語った。
一方、観光インフラが災害時の資源として機能した事例もある。台湾ホテル協会副会長のステファニー・チャン氏によると、2024年の花蓮地震ではホテルの5700室以上が避難所として活用された。すなわち、観光はリスク要因であると同時に、地域の復興力を支える資源にもなり得る。
「気候変動へのレジリエンス、災害、持続可能な復興」セッション
プーケットの評価で露呈したデータの壁
GSTCによる評価の現場では、多くの課題が浮かび上がっている。過去2年間にGSTCがプーケットで実施した「デスティネーション評価」では、戦略設定や文化保護、中小企業支援が評価される一方、訪問者数が登録住民の30倍に達する過密状態、廃棄物・水資源の不足、モニタリング体制の欠如などの課題が浮き彫りになった。実際の居住者数100万人に対し、登録住民数は50万人と乖離しており、政府からの予算配分が現実に追いついていない実態を明らかにした。1日1200トンの廃棄物に対し、焼却炉の処理能力は700トンと、インフラの限界を象徴する数字も示された。
地域専門家として同評価に関わったブラパ大学のパネート・マノマイヴィブール氏は「異なる組織のデータが不一致でベースラインがなく、モニタリングシステムも体系化されておらず、受入れ可能な容量の最適値が分からない」という現状を明かし、GSTCのミヒー・カン氏は、GSTC評価について「国際基準を押し付けるものではなく、地域の文脈を理解した上で、デスティネーションが自ら改善するための鏡だ」と指摘した。持続可能性は理念として共有されていても、実装には制度と資源の壁が立ちはだかる。
プーケットのデスティネーション評価について語る識者たち
研修だけでは変わらない、実装支える人づくり
観光の再設計を実現するのは、制度やデータだけではない。最終的には「人」の変容が不可欠だ。GSTCのトレーナーとして多くの訓練経験を持つデイビッド・エルメン氏は多くの研修が「知識の理解」にとどまり、実践に結びついていないと指摘する。「記憶・理解・適用から分析・評価・創造の思考レベルに至らなければ行動は変わらない」と述べ、その根本原因として「講義型の教育方法そのもの」を挙げた。
GSTCで研修プログラムを担当するジスン・キム氏も、持続可能性を反射的に実行できるような「習慣化・組織文化への転換」が重要だとし、職種別・機関別に設計された研修プログラムで業界全体を強化する仕組みづくりを進めている。具体的には、マレーシアやマルタの政府機関とGSTC基準を共有し、AgodaやJTBなどの大手企業と人材育成に取り組む。またスリランカ大学やカリフォルニア州立大学でも基準の導入が進むなど、業界全体の構造に組み込まれつつある。
AgodaはGSTCと「サステナブル・ツーリズム・アカデミー」を共同開発し、無料のデジタル研修プラットフォームとして提供。さらに研修・資金支援・収益化の3段構えで「研修だけでは変わらない」という課題に重層的なアプローチで取り組んでいる。スリランカの専門家チンタナ・ドゥミンドゥヘワ氏は「持続可能性の実装には段階的なステップが必要。小さなことから始めて、関心ある人と一緒に動けば、やがて波及していく」と述べ、現場の実情に根ざした段階的なアプローチの重要性を強調した。
会議では観光を再設計する人づくりについても議論
観光再設計はデータと制度で方向づける時代へ
これらの議論が示すのは、観光の完全な管理は難しいが、「設計」は可能ということだ。
済州島の混雑管理や台湾の災害時のホテル活用のように、部分的には仕組みが機能している。つまり、観光は一括管理するものではなく、データやインフラ、制度、そして人々の行動を組み合わせて「方向づける」ことができる。
重要なのは「管理できるか否か」という二項対立ではなく、どこまで設計し、どこからは許容するかというバランスだ。そのためには、制度の整備と人材育成の両方が欠かせない。観光の再設計とは、すべてを制御できないという前提に立ちながら、運営そのものをより持続可能な形へと変えていくマネジメントの取り組みでもある。そしてそれは、データと人の力を両輪とした地道な積み重ねのみで実現するといえる。
取材、写真・記事 平山喜代江