ホテル会社は、ホテルそのものだけで競う時代を終えようとしているのかもしれません。
もちろん、立地やブランド、サービスの質は今後も競争力の源泉です。しかし今年に入り、外資系ホテル大手が相次いで打ち出した施策を並べてみると、競争の主戦場が客室や宿泊料金から、別の場所へ移り始めていることが垣間見えてきます。
ホテル競争の軸は「旅行者との関係」に
2026年4月にはANAとIHGホテルズ&リゾーツがロイヤルティ提携を発表しました。6月には航空連合ワンワールドがインド最大手ホテルグループとの提携、7月にはJALとマリオット・ボンヴォイが戦略的パートナーシップを公表しています。
一方で、ホテル各社は生成AIの活用を加速させるほか、金融サービスや配車サービス、クルーズ会社との連携も広げています。これらを一つの流れとしてとらえると、ホテル業界の競争が新しい局面へ入ったことが分かります。ホテル会社が競っているのは、「どのホテルに泊まるか」だけではありません。旅行者との関係を、どこまで長く、深く築けるか。競争の軸は、そこへ移りつつあるのです。
宿泊客ではなく「旅行者」を獲得する
その変化を象徴するのが、航空会社との連携強化です。ホテルと航空会社のポイント提携自体は珍しくありません。しかし、最近の提携は、単なるポイント交換や販促キャンペーンとは性格が異なります。
JALとマリオットは上級会員資格や特典を相互に連携させ、ANAとIHGも会員プログラムを接続しました。ワンワールドもインド最大手ホテルグループとステータスの相互付与を開始しています。
これらに共通するのは、互いの優良顧客基盤を結び付けようとしている点です。ホテル会社が欲しいのは「宿泊客」ではありません。航空会社が欲しいのも「搭乗客」だけではありません。両者が獲得したいのは、出張や旅行を繰り返す「旅行者」という顧客です。
ここに、ロイヤルティ戦略の変化があります。一般にはポイント制度として理解されることの多いロイヤルティですが、経営の視点では、顧客との関係を継続するための基盤です。そして、その戦略の背景にあるのは、OTAの存在です。
OTAは旅行者に利便性をもたらしました。一方でホテル会社にとっては、販売手数料の負担だけでなく、顧客との接点を持ちにくくなるという課題も抱えています。だからこそ、各社は自社サイトや公式アプリからの予約を増やし、旅行者との直接的な関係を強化しようとしています。旅行頻度や滞在履歴、好みを把握できれば、より適切な提案が可能になります。航空会社との提携も、その延長線上にあります。
互いが長年育ててきた顧客基盤を結び付けることで、「旅行」という体験全体を自社のロイヤルティの中で支えようとしているのです。つまり、ホテル会社の競争相手は、もはや同業のホテル会社だけではありません。航空会社もまた、「旅行者との関係」を巡る競争相手であり、同時に重要なパートナーになっています。
AIが狙うのは「予約」ではなく「旅の入口」
こうした競争は、旅行中だけにとどまりません。旅行を思い立つ、さらに前の段階にも広がっています。その代表例が生成AIです。
ヒルトンは旅行計画を支援する「ヒルトンAIプランナー」を発表し、マリオットも生成AIを活用した「アスク・ボンヴォイ(Ask Bonvoy)」を展開しています。いずれも旅行者との対話を通じて旅程づくりを支援し、そのまま予約へとつなげることを目指しています。
ここで重要なのは、AIそのものではありません。ホテル会社が獲得しようとしているのが、「旅行先を探し始める瞬間」という新たな接点であることです。これまで旅行会社や検索サービスが担ってきた「旅の入口」に、ホテル会社自身が踏み込み始めたと言ってよいでしょう。
旅行者との関係は、ホテルを予約した日から始まるのではありません。「今年の休暇はどこへ行こう」「次の出張はどこに泊まろう」と考え始めた、その瞬間から始まっています。生成AIは、その入口を押さえるための新しい競争手段なのです。
ロイヤルティは「旅」から「日常」へ広がる
ホテル会社が広げようとしている接点は、旅行前だけではありません。非旅行時の日常生活にも及び始めています。
IHGホテルズ&リゾーツは、英国でレボリュート(Revolut)、ビザ(Visa)と提携したデビットカードを展開しています。宿泊だけでなく、日常の買い物でもポイントが貯まり、利用実績が会員資格にも反映される仕組みです。
ホテル会社は、「旅行のときだけ思い出してもらうブランド」から、「普段から使うブランド」への転換を目指しているとも言えます。アコーも、会員プログラム「ALL」を軸に、配車サービスのウーバーとの連携や、レストラン、イベントなど宿泊以外のサービスを拡充しています。
ヒルトンも、高級クルーズブランド「エクスプロラ・ジャーニーズ」と提携し、ホテルとクルーズを横断したロイヤルティの強化を進めています。業態もサービスも異なりますが、目指す方向は共通しています。
ホテル会社は「一泊」を売るのではなく、「旅」という体験全体を設計し、その前後の日常生活まで含めて顧客との関係を築こうとしているのです。
変わり始めた「ホテル会社」という言葉の意味
航空会社との提携、生成AIへの投資、金融サービスやライフスタイル分野への進出。これらは個別の施策ではありません。旅行者との関係を起点に事業を再設計するという、一つの戦略の異なる表れです。
ホテル会社が目指しているのは、客室稼働率の向上だけではありません。旅行を思い立ち、航空券を予約し、ホテルを選び、現地を移動し、食事や買い物を楽しみ、帰宅後に次の旅行を計画するまで。その一連の体験を、自社のロイヤルティの中で支えようとしているのです。
だから競争相手も変わります。ホテル会社だけではありません。航空会社、決済サービス、AI企業、モビリティ企業、さらにはクルーズ会社まで、旅行者との接点を持つ企業はすべて競争相手であり、同時に協業相手でもあります。
私たちはホテルを予約しているつもりでも、ホテル会社が目指しているのは「一泊」の販売ではありません。旅全体の体験を設計し、その中で継続的な関係を築くことです。ホテル会社は、「宿泊業」の枠を越えつつあります。そして、その変化はまだ始まったばかりです。
ホテル会社は、ホテルを売る企業から、「旅」という時間そのものをデザインする企業へ変わり始めています。



