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観光は平和産業、と言うならば – 独自の国際交流と永続的な平和努力を

2018年 12月 28日 カテゴリ:コラム , ニュース

コラム「観光レジェンドからの手紙」(最終回)

トラベルボイスでは、ツーリズムの活性化に貢献した先人の知見を次代につなぐための企画として、シリーズコラム「観光レジェンドからの手紙」を不定期に設け、2018年6月に逝去された亜細亜大学の元教授・小林天心氏が同大学学内誌に発表した論考を再編したものを掲載しています。

「旅行は平和へのパスポート」とはよく聞く言葉です。実際、1991年の湾岸戦争の際に海外旅行業界は大きな打撃を被りました。そしてその後も、感染症や地震、テロ、紛争など想定外の事態は途切れることがなく、そのたびに旅行業は自粛ムードに包まれました。ただ、だからこそ旅行産業は、世界平和のためにできることがあるのではないか。我々はそれに気づけているのでしょうか。

今回は、故・小林天心氏が「旅行業と世界平和」について正面から問いかける内容をお届けします。

湾岸戦争で喧伝された「海外旅行自粛論」

「ものをつくるという仕事は、戦争とかに屈してはいけないと思う」といって、コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんは、湾岸戦争中にパリでのファッションショーを予定通り実施した。1991年のことである。

この頃、政治家による「海外旅行自粛論」が大手を振ってまかり通り、「海外旅行=ぜいたく=不要不急」という論調がマスコミによって流された。本来であれば旅行は重要な文化産業のひとつであり、音楽や文学、スポーツなどと同列に語られなくてはならないはずである。戦争となると、誰もが興奮したり、ある一定の方向へ大衆を誘導するという、正体不明の倫理メカニズムが働きだす。こうしたなかにおいては「戦争は戦争としても、自分たちの仕事をきちんと遂行しよう」というメッセージは、なかなかストレートに表現しにくい。

「観光は平和産業」と言うならば

1991年の春、私はある旅行業界紙にこんな主旨の寄稿をした。

独自の国際交流・需要促進策をJATAへ

まぁ、一種の檄をとばしたわけである。日本は当時のアメリカから「旗をたてよ」とか「軍靴を踏み出せ」とまで言われ、「カネだけ出して血は出さない」といった批判までされていた。血迷った政治家やマスコミまでが、戦争ムードをかきたてていた頃である。今では考えられないが、旅行業界でも大手流通業界関連の会社が、海外旅行業務をすべて中止するなどという発表をおこない、政府に対する“しおらし気”な体裁を取り繕ったりしたことまで。

旅行業界全体でも、こうした自粛ムードのために全体の売り上げが何割も下がってしまい、存亡の瀬戸際にまで追い込まれたところが少なくなかった。そこで筆者は日本旅行業協会(JATA)に対して「国際交流・需要促進キャンペーン」の必要性を説き、資金の集め方などまで含めた提案を行った。

旅行業界の社会的地位の低さというのも、このころ各方面で話題になることが多かったし、こういう時こそ旅行業界全体がピリッとしなくてはいかんだろうと、マジに考えた結果である。このあたりの数多い評論やエッセイは、2006『海外旅行という仕事』(観光進化研究所)にまとめて収録した。そうとう自分なりに気合いが入っていたのである。

観光産業は永続的な平和努力を

あれから四半世紀、目下の自民党政権は武器禁輸3原則を緩和、秘密保護法を制定し、自衛隊を「フツーの軍隊に」、米軍とともに海外派兵へという道筋をつけた。平和憲法という何物にも代えがたいジャパン・ブランドも危うい。イスラム国からは敵と認定され、世界の中でもユニークな「不戦の国ニッポン」のイメージは相当ぼやけてきつつある。

さてこれからどうなるであろう。旅行・観光産業は21世紀最大の産業だと、多くのデータは示しているものの、平和が何もしないまま与えられるわけはない。残念ながら、人類は戦争好きである。それゆえ、これからもいっそう観光産業の平和への努力が必要とされるだろう。

(初出:2005『ツーリズム・マーケティング実践』観光進化研究所、2015年3月 亜細亜大学経営学『ホスピタリティ・マネジメント学科紀要』より)


【編集部より】

小林氏は1968年から旅行会社で数々の観光マーケティングを実践。1998年から2005年までニュージーランド政府観光局の日本支局長を務めました。また北海道大学では客員教授として教鞭を取られていました。

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