観光白書2026が問う「働いてよし」の宿泊業、人手不足・低賃金・低生産性の連鎖、まず何から変えるべきか?【コラム】

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東京都立大学観光科学科教授の清水哲夫です。

今回は、2026年7月に観光庁が公表した令和8年版(2026年版)観光白書を取り上げます。私は、2026年版観光白書の調査分析業務を担当した事業者からの依頼で調査アドバイザーを引き受け、観光白書の「特集」の方向性を決める議論に参加しました。そこで、今回は、その調査結果に触れつつ、考えたことを述べたいと思います。

「白書」とは、「政府が、外交・経済などの各分野の現状を明らかにし、将来の政策を述べるために発表する報告書(デジタル大辞林より)」です。観光白書は毎年発行されますが、発行時点で観光庁が持つ問題意識をベースに目次が構成されています。

2026年版は3部構成で、第1部に観光の動向、第2部に「令和7年度(2025年度)に講じた施策」、第3部に「2026年度に講じようとする施策」がまとめられています。第2部と第3部は、観光立国推進基本計画に準拠しており、2026年度に計画が更新されたため、第2部は第4次、第3部は第5次の「施策の柱」に基づいて構成されています。

第3部は、5カ年計画初年度のアクションプラン(行動計画)のような位置づけと捉えればよいでしょう。もっともページ数を割いているのが、第1章第2節の「地方誘客の推進による需要分散」で、この項目だけで15ページに及びます。観光地の魅力向上、コンテンツ開発、高付加価値旅行者の誘致、MICE誘致、交通ネットワーク強化、ストレスフリー対策といった施策群がリストアップされ、地方誘客の目標を達成するにはこれほど幅広い取り組みを組み合わせる必要があることが理解できます。

また、第4章では国際観光旅客税が取り上げられています。2026年7月に1000円から3000円に引き上げられたことを踏まえ、改めて設置目的や使途の考え方について説明する狙いがあるとみられます。

宿泊業の人材確保と生産性向上にフォーカス

第1部では、第1章で「世界の観光の動向」、第2章で「日本の観光の動向」が整理されています。注目したいのは、第3章に特集としての位置づけで「『働いてよし』の観光産業の実現に向けて〜宿泊業の人材確保と生産性の向上」を取り上げたことです。

2025年版では「日本人の国内旅行の活性化に向けて」、2024年版では「インバウンドの地方誘客と消費拡大に向けて」が特集されており、これらの状況認識が現在の観光施策に反映されています。この意味で、「働いてよし」の観光産業を目指す取り組みは、今後の重点施策として登場してくる可能性があります。

大学教員として学生に専門教育を施し、社会に送り出す立場から観光産業を見ると、「本当に働き先として魅力ある産業になっているのだろうか」と、自戒を込めて問い直す必要があると思っています。2026年版の白書から、私自身が最も考えさせられたのは、この点でした。

私は所属大学で、観光産業に関連する講義科目として、「1.ツーリズム産業論」「2.観光産業の実際」「3.ホスピタリティ産業の経営戦略論」を担当しています。

「ツーリズム産業論」では、日本観光振興協会の協力を得て、日本の代表的な観光関連企業・団体の幹部の方々に登壇していただいています。「観光産業の実際」では対極的に、私や同僚のネットワークをフル活用し、規模は小さくても独自の強みを持つ事業や施策をおこなっている企業や団体の幹部に講義をしていただいています。いずれの講義も、観光産業としてのビジネスモデルにふれていただくと同時に、受講生から見て就職希望先になるような魅力的な内容にしていただくように強くお願いしています。講師の皆様の企業・団体や業界がチャレンジにあふれ、大きなやりがいを感じられることを熱心に語ってくださるおかげで、授業評価アンケートでも受講生の満足度は高い状況です。

「ホスピタリティ産業の経営戦略論」では、経営学が専門ではない私ですが、上記の二つの講義で得た知識に、これまでの業界や政策関係者との交流で獲得した独自の知見を交え、旅行業や宿泊業などの観光・ホスピタリティ系業種のビジネスモデルや持続可能性について議論しています。しかし、白書でも課題に挙げている「生産性」が他産業と比べて低く、主要企業の利益率も高くないという現実から話を始めなければならず、この状況が学生に対してネガティブキャンペーンになってしまわないかと、毎年難しさを感じています。

今の学生に接していると、上の世代が思っているよりもはるかに地域の社会課題への関心が高く、その解決に関わることにやりがいを持っていると感じます。学生は、著しく高い報酬を求めているわけではないのですが、一方で極端な労働時間の長さや、企業・団体運営の不安定さにはとても敏感です。

宿泊・飲食サービスの課題が浮き彫りに

ここで、白書での調査結果を簡単に総括します。統計データからは、休日の少なさ、労働時間の長さ、賃金の低さ、離職率の高さが宿泊業・飲食サービス業の課題であることが読みとれます。宿泊業の労働生産性(付加価値額)は米国やイタリアに比べて低く、小規模事業者ほどこの傾向が顕著です。従業員1人あたりの設備投資額は全産業平均の6割程度、業務の効率化につながるソフトウェアストック額にいたっては同1割程度にとどまっています。つまり、デジタル技術による効率化、DXが進まず、施設改修による宿泊単価の向上も見込めないため、生産性が上がらない状況に陥っているのです。

今回の調査で実施した宿泊施設に対するアンケートの結果からは、人手不足による従業員の大きな業務負荷が浮き彫りになりました。小規模施設ほど人手不足改善に向けた取り組みが少なく、効果を感じにくい構造がうかがえます。人材採用が進まない理由に「賃金」を挙げる施設が多くみられます。収益性向上のために宿泊単価の引き上げに踏み切った施設が多いものの、小規模施設ほどそれが純利益の増加につながっていません。原材料費の増加や人件費の上昇が利益を圧迫している状況が示されています。

結局のところ宿泊業、特に小規模事業者では、「人手不足」「厳しい就業環境」「不十分な報酬」のマイナス要素が連動している実態が改めて確認されました。これに対し白書は、「需要の繁閑に応じた休館日の設定」「休日数の増加」「マルチタスクの推進」「顧客の満足度に応じた適正な価格設定」「自治体等による投資」などの対応策を例示しています。

しかし、事業者にとっては「対応が必要なことはわかっているけど実行できない」というのが現実ではないでしょうか。調査により様々な負の要因が連動していることがわかったとしても、「どこから手を付ければいいのか」ということが明確になっていなければ取り組みが進みません。事例調査の拡充など、今後の継続調査と検証が待たれます。

近年の施策は改善につながったのか?

あわせて、観光庁が近年おこなってきた宿泊事業施策の効果をきちんと検証することが必要です。この10年ほど、経営・担い手の人材教育、生産性改善ノウハウ提供から施設・設備投資の補助まで、幅広い施策が実施されてきました。高付加価値事業で施設改修をしたことが、果たして従業員の給与増加や宿泊者の満足度向上につながったのか、研修プログラムで本当にスキルが身についたのか、デジタルサービスの導入の効果が一時的なものになっていないかなど、確認すべき点が数多くあります。

いずれにせよ、「働いてよし」の宿泊業を実現するためには、人手が足りないという根本原因に向き合わなくてはなりません。本当に必要なのは、地域に数多くある小規模宿泊施設に、意欲あふれる経営者や従業員を戦略的に送り込むことではないでしょうか。これを短期間で実行できる施策パッケージはどのようなものか、その費用を官民連携でどのように確保するのか、そして大学生が即座に起業しようと思えるような環境をつくれるか。観光政策や産業を研究・教育する立場として、想いが膨らみます。

こうした構造的な課題は、飲食サービス業、旅行業、運輸業、娯楽業に共通しています。大学教員である私個人としては、観光産業やホスピタリティ産業経営の講義に現場や小規模事業者の視点を盛り込み、充実させていくことを実践していきたいと考えています。

清水哲夫(しみず てつお)

清水哲夫(しみず てつお)

東京都立大学都市環境学部観光科学科教授、博士(工学)。非常勤で日本観光振興協会総合調査研究所所長を務める。土木計画学が専門で、観光分野におけるデータサイエンス×観光地域づくり×モビリティマネジメントの領域で研究・実践活動を展開する。

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