かつて、「LBGT」と呼ばれた性的少数者の総称は、現在、さらなる多様性を反映して「LGBTQ+」(エルジービーティーキュープラス)と呼ぶのが世界で一般的になった。
レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)、クィア(既存の性の枠組みに当てはまらない人)やクエスチョニング(自身の性のあり方を決めていない、または模索している人)(Q)で、さらに「+(プラス)」を加え、LGBTQのいずれにも当てはまらない、さまざまな性的指向や性自認、性のあり方を含むことを示している。
LGBTQ+の旅行者が安心して旅行できる環境を、観光産業はどう整備すべきか?ブッキング・ドットコム(Bookin.com)の取り組みを、オランダ本社で取材した。
※冒頭写真:2026年8月に開催された「WorldPride」パレードの様子
ブッキング・ドットコムでは、LGBTQ+の宿泊客への包括的なホスピタリティプログラム「Travel Proud(トラベル・プラウド)」を推進している。参画する宿泊施設は世界15万軒を突破した。
このほど開催された、同プログラムのメディア向けセッションでは、旅行者、ホテル、国際LGBTQ+旅行協会の視点から、研修、情報発信、サプライチェーン、通年での取り組みが共有された。世界各地から、LGBTQ+の当事者や支援者がオランダ・アムステルダムで開催する国際的なイベント「WorldPride(ワールド・プライド)」に合わせて実施されたものだ。
登壇したのは、「国際LGBTQ+旅行協会」(IGLTA)マネージャーのアントネラ・ベネデッティ氏、「ソフィテル・ザ・グランド・アムステルダム」のディレクター、ケース・ホヘトーン氏、「トラベル・プラウド」のアンバサダーを務めるエンヴィー・ペルー氏。このセッションでは、ブッキング・ドットコムのステファニー・フランク氏が司会を務めた。
ブッキング・ドットコムの「トラベル・プラウド」では、宿泊施設を対象に教育プログラムも展開している。LGBTQ+の旅行者をより適切に迎えるための知識やツールを宿泊施設に提供するもので、フランク氏によると、これまでに世界15万軒以上の宿泊施設が参加。研修内容に対する参加施設の満足度は90%を超えているという。
一方、LGBTQ+の旅行者を取り巻く環境は、必ずしも一方向に改善しているわけではない。パネルでは、LGBTQ+の旅行者の44%が、数年前よりも多くの安全対策を講じているとのデータが紹介された。フランク氏は、この数字について、旅行環境の進歩が直線的ではないことを示すものだと指摘した。
LGBTQ+と「Travel Pride」のパネルディスカッションの模様
旅行前から始まる安全確認、「ホテルが自分をどう感じさせたか」
トラベル・プラウドのアンバサダーとして世界各地を訪れるペルー氏は、一般の旅行者が「このホテルは素敵か」と考えるのに対し、自身はまず「このホテルは自分にとって安全か」「この旅行先は安全か」と考えると説明した。
旅行先の法律、LGBTQ+の人々に対する扱い、ホテル従業員の対応など、予約前から確認しなければならない項目は多い。仕事で移動する際には、衣装やメイクなどを通じて性別表現を創造的に演出する「ドラァグ(drag)」の姿でホテルを出入りするため、従業員が理解を持って接してくれるかどうかも重要になる。
ペルー氏は、「ほかの人々が考える必要のない多くのことを考えなければならず、目的地に到着する前から大きな不安やストレスが生まれる」と話した。
その一方で、インクルーシブで歓迎されていると感じられるホテルでは、旅行者は緊張を解き、滞在を楽しめるようになるという。
同氏は「旅行後に部屋番号や朝食ビュッフェの内容は覚えていなくても、ホテルが自分をどのような気持ちにさせたかは覚えている。尊重され、自分の存在を認めてもらい、自分について説明する必要がないと感じられたなら、それは単に良いホスピタリティではなく、忘れられないホスピタリティになる」と語った。
また、LGBTQ+旅行者が求めているのは特別な待遇ではないとも強調。「私たちは特別扱いを求めているのではない。ほかのすべての人と同じように、普通に扱われることを求めている」と述べた。
ホテル側では、過度に慎重になることも課題の一つとなる。ソフィテルのホヘトーン氏は、LGBTQ+の宿泊客を特別視し、従業員が必要以上に緊張するのではなく、相手の様子を読みながら、ほかの宿泊客と同様に自然に接することが重要だと説明した。
例えば、同性カップルがチェックインした際、予約されたダブルルームを確認したあとで、ツインルームに変更しなくてよいかと改めて尋ねることは、基本的な対応として避けるべきだという。そのうえで、アムステルダムで外出する場所について相談された場合には、適切な案内を提供するなど、一歩踏み込んだ接客によって安心感を高めることができる。
同氏は、ホテルの経営陣やフロント、レストランの従業員だけでなく、客室清掃員、ポーター、提携するタクシー運転手など、宿泊客と接点を持つ幅広い関係者が同じ考え方を共有する必要があると指摘した。
ブッキング・ドットコムのフランク氏も、宿泊施設から「すべての人を同じように扱っているのに、なぜ研修が必要なのか」との意見が寄せられることがあると説明。そのうえで、「すべての人を同じように扱うことと、すべての人を平等に扱うことは同じではない」とし、長年の経験を持つホスピタリティの専門家であっても、学び続ける必要があるとの考えを示した。
ブッキング・ドットコム「トラベル・プラウド」アンバサダーのエンヴィー・ペルー氏
一つの旅行者像は存在しない、属性ごとに異なる課題
IGLTAのベネデッティ氏は、観光産業に残る大きな盲点として、LGBTQ+の旅行者が全員同じ旅行体験を持つと考えられがちなことを挙げた。
実際には、ゲイの旅行者とトランスジェンダーの旅行者が同じ目的地を訪れても、直面する課題は異なる。パートナーと手をつないで歩けるかを心配する旅行者がいる一方で、トランスジェンダーの旅行者は、それに加えて安全に利用できるトイレがあるか、外見やパスポート上の表記を超えて本人として認識されるかを考えなければならない場合がある。
ベネデッティ氏は「インクルージョンは、すべての人に適用できる単一の方法ではない」と強調。異なる旅行者が置かれている現実を理解することが第一歩であり、次の段階として、観光事業者がそれぞれのニーズに対応するための知識と具体的な手段を持つ必要があるとした。
IGLTAはブッキング・ドットコムと協力し、「From Empathy to Action」(共感から行動へ)と題する新たなグローバル調査に取り組む。ジェンダーに配慮した観光商品、サービス、職場環境を共同で構築することを目的とし、観光産業がインクルージョンを実際の業務に導入するための提言や実践的なツールを提供する予定だ。
同氏は、ホテルと航空会社では必要な対応が異なると説明し、各事業者の業態や具体的なニーズに合わせた実行可能なガイダンスが必要だとした。
旅行先を選ぶ際には、政府の政策や社会的、文化的な環境も旅行者の判断に影響する。特にトランスジェンダーやノンバイナリーの旅行者にとって、安心して訪問できるという確信は、目的地を選ぶうえで重要な要素となる。
ただし、ベネデッティ氏は、政府や社会全体の議論とは別に、観光産業や都市が独自に行動する余地はあると指摘した。IGLTAは、ニューヨーク、マイアミ、ダラス、タンパ、パームスプリングスなどの都市と連携。これらの都市では、Pride Monthに限定せず、年間を通じて旅行者を歓迎するための活動を進めているという。
同氏は「政府が政策を形成する一方で、旅行者が現地で体験することを形成するのは観光事業者だ。その体験こそが、宿泊客や旅行者の記憶に残り、最も価値を感じてもらえる部分になる」と語った。
研修をホテルの外へ、取引先やサプライチェーンにも働きかけ
ホヘトーン氏は、トラベル・プラウドのプログラムの開始当初から参加したホテル関係者の一人。ブッキング・ドットコムから案内を受け取った際、世界中のホテルやブランドと取引する中立的なプラットフォームによる取り組みである点に価値を感じ、すぐに参加を決めたという。
その後は、自社ホテルだけでなく、オランダ国内や世界各地のグループホテルにも活動を広げるよう働きかけた。大規模なホテルグループでは、地域、ブランド、施設所有者、投資家などによって考え方が異なるため、取り組みを一気に進めることは難しい。
同氏は、組織を動かすには「少し活動家になる必要がある」とした一方、異なる文化や価値観を持つ関係者に対しては、取り組みが宿泊客や事業にもたらす前向きな効果を示しながら、慎重かつ継続的に働きかけることが重要だと説明した。
「大企業では利害関係者が多いため、何事も速くは進まない。しかし、決して諦めず、働きかけ続けなければならない」と話した。
レインボーカラーの旗やロゴについては、表面的なマーケティングや「ピンクウォッシング」(LGBTQ+への支持を掲げながら、実態を伴う取り組みが十分でないこと)との批判を受ける場合もある。しかし、ペルー氏は、旅行者にとって、その表示が具体的な安心材料になると説明した。
「ホテルに掲げられたレインボーフラッグやウェブサイト上のロゴは、単なるマーケティングに見えるかもしれない。しかし、私たちにとっては『ここでは安全だ』『ここでは自分自身でいられる』『自分について説明しなくてよい』という意味を持つ」と話した。
従業員が適切な接客方法について研修を受け、トラベル・プラウドのロゴが表示されていれば、同氏はそのホテルを予約する可能性が高まるという。同性カップル、子どもを連れた女性同士のカップルなど、多様な旅行者が、希望するベッドタイプやサービスを当然のものとして選べることが、旅行体験そのものを変えるとした。
一方で、ロゴを掲げるだけでは十分ではない。ベネデッティ氏は「私たちのアイデンティティは季節限定ではない。インクルージョンも季節限定であってはならない」と述べ、6月だけ企業のロゴを変更するのではなく、年間を通じて企業戦略や組織文化に組み込む必要性を強調した。
IGLTAは、20社を超える世界的な旅行ブランドとグローバルパートナーとして連携し、80カ国以上、4500人を超える観光専門家のネットワークを持つ。各社がインクルージョンを日々の業務や観光戦略に組み込み、業界全体で連携することが、実際の変化につながるとの考えだ。
ホヘトーン氏は、ホテルが影響力を及ぼす対象をサプライチェーンまで広げるべきだとも指摘した。提携する交通事業者や外部スタッフ、商品を納入する事業者についても、差別的な対応がないか、適切な方針を持っているかを確認する必要がある。
同氏のホテルでは、レインボー柄のチョコレートを製作する過程で、取引先にも新しい経験が生まれたという。小規模な取り組みでも、取引先が多様性に触れ、それを別の顧客や企業に伝えることで、変化が広がる可能性がある。
また、ワールド・プライド開催期間中であっても、LGBTQ+の旅行者とそれ以外の旅行者を分けず、すべての宿泊客にレインボーをテーマとするサービスを提供していると説明。「全員が同じレインボーの体験を受けることで、それが例外ではなく普通のことになる。そこに存在することが当たり前になればなるほど、状況は良くなる」と語った。
インクルージョンを「優れたホスピタリティ」の一部に
ベネデッティ氏は、欧州では、多くの企業がインクルージョンを社会的な価値だけでなく、優れたホスピタリティを構成する要素として捉え始めていると説明した。
同氏が紹介した調査によると、海外市場のLGBTQ+の旅行者の80%が今後3年間に欧州を訪れる意向を持ち、すでに欧州を訪問した旅行者の92%が再訪を予定しているという。
「歓迎され、安全だと感じ、居場所があり、自分自身でいられると感じれば、人々はその場所を訪れ、再び戻り、そのブランドを支持する。私たちは、自分たちを支持してくれた企業を支持する」と話し、インクルーシブな環境が旅行者のロイヤルティにもつながるとの見方を示した。
今後について、ホヘトーン氏は、LGBTQ+の旅行者を受け入れることが、ほかの接客と同じように自然な状態になることを望むとした。そのためには、従業員研修だけでなく、異なる背景を持つ人々が直接対話し、日常的に接する機会を増やすことが重要になる。
ペルー氏も、最終的にはトラベル・プラウドのようなプログラムが必要とされなくなる社会が理想だとしながら、教育は継続的に必要になると指摘した。
「自由は『あなたが自由である』ことから始まるのではなく、『私たちが自由である』ことから始まる。自分とは異なる人々も自由でなければならない」と語り、「すべての人が誰かのために自分を隠すことなく、快適な旅行体験を持てる未来を望んでいる」と締めくくった。
取材・文: 鶴本浩司



