五輪取材の海外メディア記者が観光視察ツアーで見た東京、都民との接触は完全に遮断、博物館も公園も時間外に【外電】

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2021年7月23日、賛否両論のなか開幕した東京五輪。世界から東京に取材に訪れたジャーナリストもプレイブックによって行動を厳しく管理されている。そのなかで、ジャーナリスト向けの東京ツアーに参加したAP通信の記者が、その様子をリポートして世界に発信した。その記者の言葉をまとめた。

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東京五輪の取材許可を表す黄色いバンドを身に着けたジャーナリストを乗せたバスは日が暮れた後、閉館後の博物館に到着。裏口からその中に入った。中にはもちろん誰もいない。

ガイドは「みなさんだけのために開けています。みなさんはVIPです」と言うが、実際のところ、この夜間の訪問の意味は、海外からのジャーナリストをなるべく地元の人たちから遠ざけるところにある。

五輪開催都市は、通常であれば、その都市の観光素材をアピールするため、できるだけ多くのジャーナリストに見学ツアーを用意する。しかし、今回は事情が違う。ジャーナリストをはじめ東京五輪への参加者を東京の1400万人の住民から切り離したバブルのなかに閉じ込め、より小さなグループで行動するように決められているのだ。

我々は、この「管理されたガイドツアー」への参加に当たり、「ツアーから離団することはない」という誓約書にサインしなければならなかった。住民への取材はなし。ルールに違反すれば、国外退去の可能性もある。

最初に訪れたのは東京湾の端にある「浜離宮恩賜公園」。その日は約600人が訪れていたが、彼らがすべて外に出た後、我々が中に入った。太陽が沈んだあと、ツアーガイドは日本の典型的な風景を撮影できるポイントに案内した。そこは、手入れされた庭園にある盆栽のように曲がった松の木。その背後には東京の高層ビルが煌めいていた。

バスに戻り、出発するとき、庭師たちは、巨大な石の前に並び、我々が見えなくなるまで手をふって、別れを告げた。それは客を見送るときの日本の習慣だ。

バスは、高速道路に入る。五輪期間、混雑を避け、選手や関係者の輸送をスムーズに行うため、一般車の高速料金を値上げしている。バスは住宅街に入ったが、歩道にはほとんど人がいなかった。東京都民は現在、新型コロナウイルスの新たな波に苦しんでいる。

博物館に入ったのは、完全に暗くなってから。ジャーナリストたちは一人ひとり、空虚な展示ホールをうろついた。その展示は、戦後20年目にして初めて開催した1964年の東京五輪。その開会式では、平和の象徴として8000羽の鳩が空に放たれた。

57年後の今、再び五輪が東京で開かれているが、祝福の空気はほとんどない。五輪の外では、世界で新型コロナウイルスによって400万人以上が死亡している現実がある。

ツアー参加者は博物館の裏口からバスに戻り、何事もなくオリンピックバブルの中に戻った。

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