コロナ禍からの回復が続くアジア太平洋地域(APAC)の航空・観光市場は、地政学リスクや中国市場依存・消費者の行動変容といった課題に直面しながらも、2028年は7億6100万人規模へ成長する見通しが示されている。2026年2月末に太平洋アジア観光協会(PATA)が実施したウェビナーで、OAG、香港理工大学、ユーロモニターの専門家が、2028年へ向けた需要予測と市場見通しを多角的に分析した。
航空市場:国内線依存と地政学リスクが収益を圧迫
2025年冬期、アジア太平洋地域(APAC)の航空市場は航空座席数で2019年比約14%増の成長を達成した。しかし、航空データ分析OAGのマユール・パテル氏は、業界が回復のピークを過ぎ、新たな局面に進んだと指摘する。「地政学的な要因やサプライチェーンの問題が長期化し、航空会社は長期計画を立てにくい状況が続いている」という。
APAC市場の構造的弱点は収益性の低さにある。旅客1人あたりの純利益は3.20米ドル(約338円)にとどまり、中東地域の28.60ドル(約4518円)と比較して大きく見劣りする。背景にあるのが、市場全体の約71%を占める国内線への依存構造だ。APACの上位10カ国のうち7カ国では国内線供給量が国際線の2倍に達しており、1路線に多数の航空会社がひしめく過当競争が収益を押し下げている。国際線も例外ではなく、好調な日韓路線ですら約10社のLCCが競合する状態だ。対照的に、キャセイパシフィック航空、シンガポール航空、カンタス航空などのレガシーキャリアは過去最高水準の利益を記録しており、国際線やプレミアムセグメントへの集中が奏功している。
また、中国による地政学的状況が市場を直撃した例として、日中関係の影響が挙げられた。中国当局の指示により、わずか4週間で週あたり約6万席が削減され、2025年12月初めの計画値の約半分まで落ち込んだ。この供給余剰の受け皿として利益を得たのがオーストラリアだ。さらに中国東方航空は上海/オークランド/ブエノスアイレスという新路線を開設するなど地政学リスクを避ける路線の開拓が進んでいる。一方、パテル氏は日本の航空会社はもともと日中間の供給量が少ないため直接的な影響は限定的であり、国際線ネットワークを生かして柔軟かつ機敏に対応していると評価した。
今後の市場構造を変えるのは新機材の導入と輸送能力の拡大だ。今後10年間で10億席が追加される予定で、2030年代以降はエア・インディアやインディゴなどの大量発注機が順次導入され、インド発着のネットワーク拡充が期待される。カンタス航空が進める「プロジェクト・サンライズ」に代表される超長距離便を可能にするA350-1000型機や、地方都市間を直結するA321XLRなどのナローボディ機の普及は、新たな需要を掘り起こすと見られる。空港インフラも、ムンバイやデリーの新空港、西シドニーの新空港、チャンギ空港第5ターミナル建設、仁川空港のターミナル拡張、香港国際空港の新ターミナルと第3滑走路、中国国内の18プロジェクトなど域内で大規模な拡張が進んでいる。
パテル氏は「予期せぬ事態に備えた柔軟な対応こそが最良のアプローチ。収益性の改善は依然として避けて通れない課題だ」と締めくくった。
OAGアジア太平洋・中東・アフリカ商工部門責任者マユール・パテル氏
インバウンド予測は日本が最速成長、北東アジア44%シェア回復
香港理工大学の宋海岩(ハイイェン・ソン)教授は、確率的な変動を考慮した需要予測を発表した。それによると、APACへのインバウンド旅客数は2026年末に7億1000万人(2019年比104%)と完全回復を果たし、2028年には7億6124万人(同111.5%)に達するという。なお、2028年の予測値は上限約9億1760万人、下限約5億9966万人と幅を持たせている。
地域別では、北東アジアが2022年の15%から2028年までに44%へとシェアを回復させる見込みだ。西アジア(主にトルコ)がコロナ前比133.6%と驚異的な伸びを見せ、南アジアも124%と堅調に推移する一方で、太平洋地域は2028年でも同比106%、アメリカ大陸も107%程度にとどまる。
国別で特筆すべきは日本だ。インバウンド旅客数は2026年に2019年比150%、2028年には168%という驚異的な伸びが予測され、「APAC域内で最も成長著しい目的地」と宋教授は位置づける。主要源泉市場は中国と韓国だが、日中間の地政学的緊張が下振れリスクとして残る。他方、タイは2026年末時点で97.4%と完全回復には至らないが、中国人観光客の回帰とイベント需要が下支えする。インドは2028年までに2019年比で約17%成長する見通しで、166カ国への電子ビザ拡大が追い風となっている。
アウトバウンド市場では、中国は依然としてAPAC最大の送客源泉市場であり続け、旅行先として香港・マカオ・タイ・日本・韓国・ベトナムが上位を占める。宋教授は、APAC内の39の目的地のうち2026年末までに完全回復できるのは24カ所にとどまると指摘。旅行費用の高騰、地政学的要因、自然災害や安全上の懸念に加え、国家間紛争やオンライン詐欺などの報道によるイメージ悪化などが懸念材料だと指摘した。
香港理工大学ホテル観光マネジメント学部の宋海岩(ハイイェン・ソン)教授。同大学観光デジタルトランスフォーメーション研究センター長でもある
域内旅行シフトで生まれる新観光回廊と「価値重視」の旅
消費者の価値観も変化している。消費者の旅行に対する価値観は変わりつつある。ユーロモニターの年次グローバル旅行調査では、APAC消費者の35%が「今後5年で世界はより危険になる」と懸念する一方で、28%が「来年の旅行支出を増やす」と回答した。ユーロモニター・インターナショナルの旅行部門グローバルインサイトマネージャー、スティーブン・ダットン氏は「旅行は日常の閉塞感から逃れるための解毒剤となっている」と指摘したうえで、今後5年でAPAC全体の新規旅行支出は3000億米ドルを超えるという予測を示した。
最大のトレンドは「域内旅行(イントラ・リージョナル・トラベル)」の拡大だ。2025年時点でAPACの旅行支出の68%を域内旅行が占め、トップ7源泉市場のうち5市場がAPAC諸国である。欧米のビザ取得の煩雑さや地政学リスクを避け、心理的・物理的に近い旅行先を選ぶ傾向が強まっている。域内旅行のトップ3は香港/中国、韓国/日本、タイ/カンボジアで、東南アジアや中央アジアでも新たな観光回廊が形成され、エアアジアXはこの潮流を捉え、2019年比でほぼ倍増の売上を達成した。
ユーロモニター・インターナショナルの旅行部門グローバルインサイトマネージャー、スティーブン・ダットン氏
一方で、中国市場への過度な依存という構造的リスクも浮き彫りになった。ダットン氏は「中国経済の減速は、タイ・日本・マレーシアなどに大きな打撃を与える」と警告し、源泉市場の多様化を強調する。消費行動も、単なる娯楽から「個人の成長・変容」や「感情的なつながり」を重視する質的な変化が起きており、APAC消費者の59%が「体験」への支出を重要視している。収益性の観点からは、急成長するGCC(湾岸協力協議会)諸国や1回あたりの支出額が2400米ドル(約38万円)に達する北米の高支出旅行者の取り込みが重要だ。
将来を見通しづらい今、「体験」こそが極めて重要な価値創出の源泉であり、域内シフトによって生まれつつある成長領域を取り込むためには、それぞれのデスティネーションがどのような価値体験を提供できるかを見直すことが必要、とダットン氏は強調した。
最後に、司会を務めたPATAのポール・プルアンカーン氏は、域内旅行の重視、中国への過度な依存からの脱却、GCCや北米市場の開拓という提言は、PATAがこれまで発信してきたメッセージと合致すると強調して締めくくった。
PATAのポール・プルアンカーン・マーケティング・コミュニケーション担当ディレクター




