地域観光の魅力を掘り起こす手法とは? 地理学の視点で価値を言語化するために必要な「比較」と「因果の物語化」【コラム】

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こんにちは。日本地域地理研究所の瀧波です。

日本各地の観光関係者から「うちには何もない」という言葉をよく耳にします。

しかし、地理学の視点から見れば、「何もない」場所など存在しません。問題は魅力が「ない」ことではなく、魅力を「語れていない」ことにあります。

本稿では、地理学的な「比較」と「因果の物語化」という手法が、地域の魅力をいかに掘り起こせるかを海外事例とともに紹介し、それを伝える観光ガイドの可能性について考察します。

「地理」と「地理学」の違いは?

最初に、私の専門である「地理学」について少しだけ説明させてください。

多くの方にとって「地理」とは、学校で習った都道府県の名前や山脈の位置、特産品の暗記といった印象ではないかと思います。しかし「地理学」は、それとは大きく異なります。

地理学とは、ある場所で「なぜそうなっているのか」を問う学問です。

なぜこの場所にこの地形が生まれたのか、なぜこの気候がこの農業を可能にしたのか、なぜこの地域にこの文化圏が成立したのかなど、地形、気候、歴史、産業、人口動態といった複数の要素を横断的に結びつけ、土地の成り立ちを因果関係として解き明かす、いわばその場所の「物語」を読み解く学問です。

この「なぜ」を問う姿勢は、観光と極めて相性が良いのです。

なぜなら、旅行者が旅先で最も心を動かされるのは、まさに「なぜここはこうなっているのか」という問いへの答えだからです。

そして、この視点を持って日本各地を見ると、一つの深刻な問題が見えてきます。

なぜ地元の人は、自分たちの魅力に気づけないのか?

「いやあ、うちは水と米しかないんですよ」「山しかないから、人なんか呼べるわけないんです」。地方の観光関係者と話をしていると、驚くほど頻繁に、こうした言葉を耳にします。

私は地理学を専門としており、観光業界の「ど真ん中」にいる人間ではありません。しかし、だからこそ断言できることがあります。日本の地方で「何もない」場所など、まず存在しません。

では、なぜ地元の方々は自分たちの魅力に気づけないのでしょうか? その構造的な原因は、主に次の2点に集約されます。

 「当たり前」の壁:

毎日目にしている風景や幼い頃から慣れ親しんだ食文化は、あまりにも当たり前すぎて、その価値を問い直す動機が生まれません。

当たり前のものに対して、人は「なぜそうなっているのか」という因果を掘り下げようとしないのです。

 「比較対象」の不在:

世界や他地域を知らなければ、自分たちの独自性は見えてきません。

「ここは普通だ」と思い込んでいるものが、外部の人間にとっては唯一無二の価値を持つ可能性に気づけないのです。

「なぜこの土地にこの作物が育つのか」「なぜこの渓谷がこの形をしているのか」「なぜこの地域にだけこの祭りが残っているのか」。地元の方に尋ねると、返ってくるのは「昔からそうだから」「あるからあるんだよ」という答えです。

悪気はないのですが、外から来た旅行者にとっては、それでは何もわからないのです。

地理学的な「比較」と「因果の物語化」で、魅力を掘り起こす

この「当たり前の壁」を打ち破る手法として、私が実践しているのが地理学的な「比較」と「因果の物語化」です。

「比較」の力:

世界や他地域と比べることで、自分たちの土地の独自性が浮き彫りになります。例えばある温泉地の泉質が「普通」に見えていても、世界の温泉分布と比較すればその成分や湧出条件の特殊性が明らかになります。

私はこうした比較を「比較文化論」としてnoteなどで発信していますが、日本と外国の文化の違いがどこに立脚しているのかを地理学的に解き明かすと、自分たちと他地域の違いの本質が見えてくるのです。

「因果の物語(ナラティブ)化」の力:

比較で独自性を見つけたら、次はその「なぜ」を因果関係として物語にします。

地形、気候、歴史、産業構造といった多様な要素がどう繋がり、今の風景や文化を生み出しているのかを一本の筋として語ることが「ナラティブ化」です。単なる事実の列挙ではなく、「だからこうなった」という因果の筋を通すことで、地域の魅力はぐっと立体的になります。

この2つの手法を組み合わせれば、どんな地域でも「ここにしかない物語」を掘り起こすことが可能です。

しかし、多くの地域にとって「世界との比較」は容易ではありません。だからこそ、その視点を提供し、地域の魅力を「言語化」できる人材が必要なのです。

「キラキラしたドバイ」の事例が示唆すること

この「言語化」の重要性を痛感させてくれるのが、ドバイの事例です。

ドバイは長年にわたり「中東にありながら安全で清潔で、キラキラ輝く都市」というイメージを発信し続けてきました。世界中から観光客を集め、観光立国の成功モデルとして語られることも少なくありません。

しかし、ひとたび周辺地域の情勢が緊迫すると、その「キラキラ」のイメージは驚くほどあっさりと揺らぎます。表面的な魅力だけに依存する観光地の脆さは、この事例に端的に現れています。

ところが、ドバイには表層の下に何層もの豊かな「物語」が眠っています。地理学的な視点で掘り起こすと、例えば次のようなものが見えてきます。

ペルシャ湾からの湿気がもたらすドバイの濃霧。高層ビル群が雲海のように包まれる(Shutterstock)

  • 歴史の層:もともとペルシャ湾沿いの小さな漁村であり、真珠採取で栄えた交易の歴史があること
  • 戦略の層:石油依存から脱却し、サービス・観光立国への転換を国家戦略として進めてきた都市計画の構想と実行があること
  • 気候と地理の層:砂漠の都市でありながら、ペルシャ湾からの暖かく湿った空気が砂漠の冷たい気流と出会うことで独特の濃霧が発生し、高層ビル群が雲海のように霧に包まれる幻想的な光景が生まれること
  • 政治経済の層:世界一の高さを誇るブルジュ・ハリファの名称が、当初の「ブルジュ・ドバイ」から変更された経緯。2008年の世界金融危機で財政難に陥ったドバイが隣国アブダビから巨額の支援を受け、2010年の開業式典でアブダビ首長の名に改称されたという政治・経済史が刻まれていること

さらに具体的な例を挙げましょう。

ドバイ中心部から車で約45分の場所に、ラハバブ地区の「ビッグレッド」と呼ばれる赤い砂丘地帯が広がっています。ここはドバイ観光で最も人気の高い「デザートサファリ」の舞台で、4WDでの砂丘走行やサンドボーディング、ラクダ乗り、ベドウィンスタイルのキャンプでのBBQディナーなど、多彩な体験型コンテンツとして定番化しています。

ドバイ郊外ラハバブ地区の赤い砂丘。鉄分の酸化が独特の色をもたらしている(Shutterstock)

この砂丘はただ走り抜けるだけでも十分に楽しいアトラクションです。しかし、「なぜこの砂は赤いのか」という一つの問いを加えるだけで体験の質は一変します。

赤い色は砂に含まれる鉄分が酸化したことによるもので、砂の年代や供給源となった岩石の種類を反映しています。つまり、この赤い砂丘の上を走るという体験は、アラビア半島の地質史に触れることでもあるのです。ペルシャ湾側の白い砂浜との色の違い、内陸に入るにつれて変化する砂の粒径や組成。こうした因果を語れるガイドがいれば、デザートサファリは「スリルを味わうレジャー」だけではなく、「地球の歴史に触れる体験」へと昇華します。スリルは競合の台頭や陳腐化のリスクがありますが、地球史に触れる体験はその場所が持つ唯一無二のコンテンツです。

こうした多層的な物語を語ることができれば、たとえ表面のイメージが傷ついたとしても、その土地の魅力は決して失われません。「キラキラだけじゃないドバイ」を知った旅行者は、港を見に行き、旧市街を歩き、砂漠の地質に興味を持ち、何度でも訪れる理由を見つけることができるでしょう。

表面的なイメージだけで集客しているとき、その魅力はいわば「メッキ」の状態にあります。一度剥がれれば下地がむき出しになってしまうのです。

しかし、本質的な魅力の層を丁寧に掘り起こし、言語化し、伝えることができていれば、それはメッキではなく、磨けば磨くほど輝きを増す地金そのものになります。これは日本の地方観光にも、そのまま当てはまる話ではないでしょうか。

「知っている」と「語れる」は違う、観光ガイドの質的転換

地域の魅力を掘り起こしたとして、それを旅行者に届けるのは誰でしょうか。私は、観光ガイドがその最前線に立つ存在だと考えています。

日本の観光ガイドの多くは、非常に勤勉で、豊富な知識を持っています。しかし現状では、ガイドの質は「どれだけ知っているか」という知識量で測られる傾向が強いように見受けられます。旅行者がスマートフォンを持ち歩く時代に、「この建物は何年に建てられました」といった単語レベルの知識の価値は大きく低下しています。なぜならそれは、その場で検索すれば数秒で手に入る情報だからです。

旅行者が本当に知りたいのは、「なぜ」の部分です。

なぜここにこの建物が建てられたのか?

なぜこの地域にだけこの様式が残っているのか?

あの山とこの川と、目の前の食文化は、どう繋がっているのか?

点と点を線で結ぶ「因果」の説明を聞いた時、旅行者の知的好奇心は一気に満たされ、その場所への理解と愛着が深まります。この「因果を物語として伝える力」を「インタープリテーション(解釈)」と呼びます。

今の観光ガイドに求められているのは、まさにこのインタープリテーション能力への転換ではないでしょうか。

エジプトのガイドに見るインタープリテーションの実践

インタープリテーションの力を体感できる国の一つが、エジプトです。

エジプトでは、考古学サイトや博物館でガイドを務めるために、観光省が発行する公式ライセンスが必要とされています。関連分野の学位取得に加え、専門知識を問う試験に合格しなければライセンスは得られません。

こうした厳格な制度に支えられたエジプトのガイドは、旅行者のどんな問いに対しても、その場で因果関係を紡ぎ出して答えることができます。ある遺跡の説明をしながら、離れた別の遺跡との関連性を指摘し、その背景にある地理的・政治的な前提条件まで遡って語ることができるのです。しかも、相手の関心や知識レベルに合わせて説明の深さを調整することすらできます。彼らのガイドによって、旅先での感動が格別なものとなるのです。

エジプトの遺跡とガイド(Emily Marie Wilson / Shutterstock.com)

また注目すべきは、Glassdoorの給与データによると、エジプトのツアーガイドはチップやコミッションを含めた総報酬が基本給を大きく上回り、トップクラスのガイドは同国内でかなりの高収入を得ているとされる点です。

高い専門性に見合う対価が支払われるからこそ、ガイドたちは誇りを持ち、さらに学び続け、旅行者を満足させるという使命感を維持できる。優れたインタープリテーションには、それに見合う経済的な裏付けが不可欠です。

AIに代替されない、人間のガイドの価値

「それなら、AIに聞けばいいのではないか」という声が聞こえてきそうです。確かに、既存の情報を整理・要約し、大量のデータから傾向を抽出することに関しては、AIは極めて優秀です。

しかし、人間のガイドにしかできないことがあります。

  • 目の前の風景を見て、旅行者の表情を読み取り、その瞬間にふさわしい解釈を紡ぎ出すこと
  • 情緒と分析を組み合わせて、「だからこの場所は特別なんです」と語ること
  • 地元への愛情や個人的な記憶を交えて、その土地の空気感を伝えること

あえて人間にお金を払い、同行を依頼する意味は何ですか?

この問いに正面から答えられないガイドは、いずれAIに置き換えられていくでしょう。逆に、インタープリテーションの力を持つガイドは、AIの時代においてこそ、その存在価値が際立つはずです。

「何もない」を「ここにしかない」に変える

冒頭の「うちには何もない」という言葉に戻りましょう。

この言葉は、魅力の不在を示しているのではありません。魅力を語る「言葉」と「視点」の不在を示しているのです。

世界との比較を通じて独自性を発見し、地理的・歴史的な因果を掘り起こし、物語として伝えるという一連のプロセスを担える人材が地域にいれば、「何もない」は「ここにしかない」に変わります。そして、その物語に触れた旅行者は、もう一度訪れたいと思い、別の場所にも足を延ばしたいと思い、結果として観光の分散と単価の向上が実現するはずです。

観光の魅力は、「ある・ない」ではなく「語れるか・語れないか」で決まる。地理学という分野から見て、私はそう確信しています。

瀧波 一誠(たきなみ いっせい)

瀧波 一誠(たきなみ いっせい)

一般社団法人 日本地域地理研究所 理事長 / World-Building Analyst(世界観分析家)。「地理とは生存戦略の記録である」を信条に、ビジネスや社会課題を地理学的視点から読み解く活動を展開。防災士。著書に『ゼロから学びなおす 知らないことだらけの日本地理』(WAVE出版)。

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