オンライン旅行会社(OTA)の世界大手アゴダ(agoda.com)CEO、オムリ・モルゲンシュテルン氏が、観光産業ニュース「スキフト」創業者のラファット・アリCEOとの対談で、AI時代の旅行ビジネスの変化について語った。同氏は、消費者向けAIの進化について「まだ大きな差を生む段階ではない」としながらも、開発、業務効率化、社内オペレーションでは急速な変化が進んでいるとの認識を示した。
※写真:アゴダCEOオムリ・モルゲンシュテルン氏(左)とスキフトCEOラファット・アリ氏
今回の対談は、バンコクで開催された「スキフト・アジア・フォーラム2026」でおこなわれた。両氏は1月にAIをテーマに議論しているので、約4カ月ぶりとなる。
アリ氏が「この3、4カ月でAIをめぐる考えは変わったか」と問うと、モルゲンシュテルン氏は、AI関連の発表が相次ぐなかでも、実態としては「発表から発表へと見るほどには大きく変わっておらず、まだ小さな前進の積み重ねだ」と説明した。
一方で、企業内でのAI活用については、変化の速度が明らかに上がっているという。特にエンジニアリング領域では、単にAIがコードを書く、あるいはエンジニアがAIを使うという段階を越え、開発ライフサイクル全体をAIでどう支援するかに議論が移っているとした。
同氏は「エンジニアが時間を使うのはコーディングだけではない。コードの実装、品質保証(QA)、要件理解のための会議、プロダクト担当者とのやり取りなどがある」と述べ、AI活用の本質は、個別のコーディング支援ではなく、開発工程全体を複数のAIエージェントで支援し、それらを相互に接続することにあると指摘した。
同氏によると、コードを書くエージェント、テストをおこなうエージェント、テスト失敗時に修正を促すエージェントなどが連携することで、開発現場の生産性が高まる。さらに、セキュリティ、コンプライアンス、プライバシーといった観点から横断的にコードを確認するエージェントの重要性にも言及した。「そこで初めて、キッチンの中で魔法が起き始める。単にコードが自動で書かれる、全員がAIでコーディングするという話ではなく、1人あたりの効率が高まり、より多くのものをリリースできるようになる」と語った。
AIは雇用を奪うのか?仕事を失わせるのは「AIを使わないこと」
AIによる効率化が、旅行産業のような人を中心とする業界で人員削減の理由に使われるのではないかという問いに対して、モルゲンシュテルン氏の考えはどうか。同氏は、「人々が仕事を失う理由は、必ずしもAIではない。むしろ、その仕事で競争している相手がAIを使っているのに、自分がAIを使わないことだ」と述べた。エンジニアの仕事は変化しているが、優秀なエンジニアは引き続き必要であり、「もし2万人のエンジニアをさらに雇えるなら、そうしたい」とも語った。
同氏は、AI時代の人材像について、AIツールを使いこなすことで、従来の10倍の成果を出せる「スーパーエンジニア」や「スーパー営業」といった存在が生まれると説明した。CEOも例外ではなく、経営者の役割もAIによって変化していくという。
「スーパーCEOとは何か」と問われたモルゲンシュテルン氏は、より多くの意思決定を、より速くおこなうことだと答えた。CEOは膨大な情報にさらされ、それを読み、処理し、意思決定しなければならない。AIは、必要なデータの理解や要約を速め、時間の使い方を最適化し、適切な判断に近づくための支援をするという。
一方で、AIが経営判断に与える影響については、過信への警戒も示した。
AIが利用者の意見に迎合し、反論しない「人に合わせる」回答をする可能性について問われると、「AIは非常に強力な助言者だが、あくまで一つの声だ」と述べた。専門家の意見であっても、それをそのまま受け入れることが最善とは限らないのと同じように、AIの回答も他者の意見や人間の判断と照らし合わせる必要があるとした。
アゴダ社内では、AI活用は特定部署に閉じた取り組みではなく、組織全体に広がっているという。正式なチーフAIオフィサーは置いていないが、モルゲンシュテルン氏自身もAI活用を強く推進している。そして、社内には、より大規模な視点でAI活用を推進する人材もいると説明した。
個人の利用ではChatGPTを多用しているとしながら、ClaudeやCursorなども試し、モデルごとの変化を把握しているという。また、アゴダ社内では多くのサービスがMCP(Model Context Protocol:AIと、外部データやツールをつなぐための共通の規格)で接続されており、エージェントを通じて質問、チャート作成、メール送信、メール返信などが可能になっていると明かした。
アゴダCEOオムリ・モルゲンシュテルン氏
OTAの優位性は失われるのか? 「垂直特化型プレイヤー」に機会
LLM(大規模言語モデル)を活用した次世代のAIチャットをはじめとした生成AIサービスの浸透にともない、消費者が旅行計画を生成AI上で始め、OTAなどの中間事業者を迂回する可能性について、モルゲンシュテルン氏は否定的な見方を示した。現時点で、LLMからアゴダに流入する利用者を確認できているものの、「まだ重要な規模ではない」という。
ただし、消費者行動の変化は見え始めている。アゴダでは、ユーザーラボを通じて顧客がどのように旅行を計画するかを観察しており、複雑な旅行計画ではLLMを使う人が増えているという。従来はGoogle検索や旅行ブログを使っていた旅行計画の一部が、LLMに移りつつある。
しかし、その後の予約行動は大きく変わっていない。同氏は「多くの人、あるいは大半の人は、その後、予約のために他のプレイヤーへ向かう」と述べ、LLMで計画を立てても、実際の予約はOTAなど既存の旅行サービスでおこなわれる構造が続いているとした。
モルゲンシュテルン氏は、旅行業界では「業界をよく知る垂直特化型プレイヤー」に大きな強みがあると強調した。旅行体験を適切に提供するには、宿泊、航空、キャンセル、カスタマーサポート、決済、地域ごとの利用体験など、多様で複雑な要素が絡む。単に見栄えの良いデモを作ることと、旅行体験を最初から最後まで堅牢に提供することは異なるという。
同氏は「クールなデモを見せることと、旅行体験を最初から最後まで提供することの間には大きな違いがある」と述べた。そのうえで、消費者との関係性を持つOTAにとっては、AIは中抜きの脅威というより、より多くのサービスを提供し、旅行者の課題を解決する機会だとした。
アゴダが長年掲げてきた競争優位の一つが「最低価格」だが、AI時代には新たな対応が必要になる。消費者がAIエージェントを使って最安値を探すようになれば、そのエージェントとどう接続し、アゴダを見つけてもらうかが重要になる。
同氏は、アゴダの中核的な信念として、価格、ローカルに最適化された利用体験、消費者の課題解決を挙げた。「我々は価格を信じている。非常にローカルな消費者体験を提供することを信じている。スケーラブルな体験をすべての人に押し付けるのではなく、その人たちが慣れているものを提供し、摩擦を取り除く」と述べた。
焦点は「旅全体」を支援する導線
アゴダのAI活用は、消費者向けサービスにも広がり始めている。モルゲンシュテルン氏は、単に「AIチャットで旅行をすべて予約できる」という新しい体験を置くだけでは、良いデモにはなっても、必ずしも成果にはつながらないと指摘した。
同氏は、消費者の旅行購買プロセスを細かく分解し、それぞれの段階で異なる課題を解く必要があると説明した。旅行者が決済しようとしている段階、特定の宿泊施設を見ながら比較している段階、検索・発見の段階、あるいはまだ旅行計画を持たずにサービスに訪れた段階では、それぞれ支援すべき内容が異なる。
そのためアゴダでは、各ページや各段階に応じて異なるAIエージェントを配置し、それらを統合していく方向に進んでいるという。「それぞれのページで、消費者がその時点で抱えている問題を解くための異なるエージェントを置き始めている」と述べた。
今後は、こうした複数のエージェントを統合し、旅行者のUX全体を支える「旅行エージェント」のような存在に近づけることを目指す。単に旅行計画のリストを提示するのではなく、利用者がカスタマイズし、変更し、編集し、差し替えられる体験を提供し、適切なタイミングで一部または全体を予約できるようにする構想だ。
同氏は、次回、同じ場で話す頃には、アゴダまたは他社において、AIが消費者体験の各段階を支援する姿がより明確になっているとの見通しを示した。AIは旅行計画を提示するだけでなく、予約、変更、キャンセル、サポートまでを含む旅行体験の導線全体を支える存在になり得る。
「AIは、旅行者により多くを提供し、コネクテッド・トリップを加速する大きな機会だ」。モルゲンシュテルン氏の見方は、AIによる中抜き論とは異なる。OTAの競争力は、AIそのものを導入することではなく、価格、ローカル体験、消費者課題の解決、そして旅全体を支える実行力を、AIでどこまで高められるかに移りつつある。
取材・文: 鶴本浩司




