日本のシェアリングエコノミーは何処へ向かうのか? 民泊新法が成立する前に考えてみた【コラム】

旅行ジャーナリストの山田友樹です。

これまで、シェアリングエコノミーを題材にした取材・執筆を数々行ってきました。そんな経験から、民泊新法の成立が見込まれる今年だから考えておきたい、日本におけるシェアリングエコノミーのゆくえを考えてみました。

日本でもシェアリングエコノミーの注目が高まっています。今春には民泊新法の施行が予定されるなど、この新しい経済の仕組みが次の段階に入ると期待されています。日本が一足飛びに、シェアリングエコノミーの先進都市であるアムステルダムやソウル、C2Cビジネスが次々と生まれるアメリカのようになるとは考えにくいですが、新しいものを恐る恐る試しながら取り入れていく日本の伝統は、それはそれでうまく働くのかもしれません。

「シェアリングエコノミーが20世紀型資本主義に取って代わるのか」という挑発的な議論も活発になっています。そういう議論が起こること自体、巨大な格差、歪な富の分配、低成長など現代資本主義の負の部分が無視できないレベルに達していると言えるのかもしれません。欲望を糧とする資本主義のもとで、経済的な不平等が社会の分断をも引き起こしている現実は、世界中で見られますから。

昨年開催された「シェア経済サミット」で、シェアリングエコノミー研究の第一人者でニューヨーク大学経営大学院のアルン・スンドララジャン教授は、「私の娘は今ではテレビをほとんど見ないで、YouTubeばかり見ている。YouTube自体は、テレビと同様に大企業によって所有されているが、コンテンツは基本的に個人が制作あるいは配信しており、テレビとは大きく異なる」と話し、個人と個人がシェアする経済活動を『クラウドベースの資本主義』と定義しました。クラウドとはcrowd、つまり「大衆」という意味です。

ニューヨーク大学経営大学院のアルン・スンドララジャン教授

ただ、スンドララジャン教授は、その著書「シェアリングエコノミー」のなかで、「シェア自体は新しい経済概念ではない」として、<シェアリングエコノミーは、かつて存在した共有体験、自己雇用、コミュニティー内での財貨の交換が、現代のデジタル技術によって復活したもの。“経済コミュニティー”が家族や近隣住民の枠をはるかに超えて、デジタル的に身分証明された全世界の人々に広がる>という点において新しいと記しています。

そして、そのデジタル化によってもたらされた大きな変化として、さまざまなボーダーが曖昧になってきたと指摘します。プロとアマチュア、フルタイムとパートタイム、自営と雇用、仕事と余暇などなど。

遊休資産は恒久資産に? 個人が業に?

米国ロサンゼルスでウーバーを利用したとき、ドライバーにいろいろ聞いてみると、「本業は映画関係の仕事だよ。ウーバーを始めて約5ヶ月だけど、いい副収入になってる」と教えてくれました。シェアリングエコノミーは基本的に遊休資産、この場合は、本来動かしていない車とドライバーの余った時間ですが、個人がそれを活用して経済活動をすることです。しかし、ドライバーはこうも続けました。「ウーバーでもっと稼ごうと思えば稼げるけどね」。それを聞いてちょっと違和感を覚えました。

米ロサンゼルスで開催されたAirbnb Openに登壇した共同創業者のネイサン・ブレチャジック氏、ジョー・ゲビア氏、ブライアン・チェスキー氏(左から)

同じ時期、ロサンゼルスのダウンタウンでAirbnbに対する抗議デモに遭遇しました。彼らは、賃貸物件がAirbnbに流れることで賃貸価格が高騰していることに加えて、個人が個人宅を貸出すのではなく、事業目的を持ったホストが複数の物件をAirbnbのプラットフォームで貸し出しているために、若者が借りられる長期賃貸物件が不足していることを問題視していました。つまり、供給サイドが本来的な個人事業主(マイクロアントレプレナー)ではなく、集合的な業としてプロ化していると。

ウーバーで覚えた違和感もそこにあります。遊休資産が恒久資産にもなりうる素地が十分にあり、自家用車と個人の時間を恒久資産として、パートタイムではなくフルタイムで活用することもあり得るということです。スンドララジャン教授も著書の中で、シェアリングエコノミーの特長のひとつとして、<従来「私的」とされてきた個人間の行為が労働とサービスの供給源になり、しばしば商業化・大規模化する>ことを挙げています。

ホームシェアリング(民泊)では年間営業日数に制限が設けている都市がほとんどですが、複数の物件を持つことによって、あるいは複数のプラットフォームを介することで、業としてやりくりすることも可能になります。

果たして、この個人と業を区別して、シェアリングエコノミーに規制をかけることは可能なのでしょうか。あるいは、アダム・スミスのいう「神の見えざる手」にゆだねて、マーケットの意志に任せておくべきなのでしょうか。ある都市の観光行政担当者は、私とのインタビューでこう言いました。「マーケットにゆだねていたから、安価なビジネスホテルばかりができて、それに見合う旅行者ばかりが増えた」。大きな政府、小さな政府にかかわらず、行政が民間にどれだけ介入すべきかは永遠の課題です。

民泊新法は出発点、シェアリングの未来を決めるのはクラウド(大衆)

世のデジタル化によってシェアリングエコノミーが速度をあげて広がりを見せる中、さまざまな境界が曖昧になってきたのと同時に、さまざまな対立軸が明らかになってきたのは皮肉なものです。個人と業や行政(規制)と民間だけでなく、既存対新規、コミュニティー対コミュニティー、人種対人種(人種によって宿泊や乗車を拒否するケースもあるようです)、消費者保護対自己責任・・・・。

Airbnbは昨年末、ニューヨーク市が短期賃貸サイトに課した規制(違法物件を掲載したホストには最大7,500米ドルの罰金を課すというもの)に対して訴訟を起こしていましたが、それを取り下げることを決めました。一方で、サンフランシスコ、ポートランド、ロサンゼルス、フランスなどではホストの納税を代行するプログラムも始めています。「シェアリングエコノミーは過渡期にある」(スンドララジャン教授)なかで、行政と民間の対立軸は歩み寄りを見せています。

シェアリングエコノミー先進国アメリカでさえ、サービスが拡大していくにつれて、次々と課題が現れ、その対処に追われています。日本でも民泊新法ができる予定ですが、それは終着点ではなく、新たな出発点なのでしょう。

すべてのシェアサービスを一括りに語るのは危険ですが、デジタル化によって“シェア”という経済システムが、今後「経済思想」にまで進化し、アダム・スミスの「国富論」のように一般社会に浸透していくのか。対立軸を克服しながら、あるはC2C取引における自己責任を醸成しながら、文字通り「シェア」されていくのか。

プラットフォームを介して需要と供給がある限り、マーケットは存在し、「神の見えざる手」が相変わらず機能するとすれば、無邪気に「シェアリングエコノミーが20世紀型資本主義に取って代わる」とは言えません。私は経済学者ではありませんが素人なりに考えてみると、ダイナミックなパラダイムシフトではなく、シェアリングエコノミーの仕組みを内包したハイブリッド型の資本主義に向かっていると言えるのかもしれません。いずれにせよ、その方向性を決めるのは、シェアリングエコノミー崇拝者や、ある限定的なコミュニティーではなく、クラウド(大衆)の総意なのでしょう。

トラベルジャーナリスト 山田友樹

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