
フランス南東部オーヴェルニュ・ローヌ=アルプ地域圏は、オーヴェルニュ地方とローヌ=アルプ地方が統合された地域。世界中から旅行者を惹きつけるこの地域を、旅行業界向け商談会ランデブー・アン・フランスの視察ツアーで5日間かけてめぐった。
同地域圏は、12県とメトロポール・ド・リヨンの基礎自治体で構成される。東はスイスとイタリアに接するフランス・アルプスと呼ばれる地域で、2030年の冬季五輪の開催地にも決まった。地域圏内には5カ所のユネスコ世界遺産があり、加えて「フランス最も美しい村」に認定された22村が点在。自然、文化、歴史、ガストロノミーなど、フランスらしい見どころが詰まっている。
フランスで重要な意味を持つ「クレルモン・フェラン」
オーヴェルニュ地方ピュイ・ド・ドーム県の中心都市クレルモン・フェランは、フランスの自然、歴史文化、産業にとっては重要な意味を持つところだ。
その郊外に広がる自然はフランスの中でもユニーク。約3500万年もの年月をかけて進んだ地殻変動と火山活動は、独特の景観と貴重な地質学的遺産を残してることが評価され、「ピュイ山脈とリマーニュ断層の地殻変動地域」としてフランス本土で初めてユネスコ世界自然遺産に登録された。
そのハイライトが標高1465メートルの「ピュイ・ド・ドーム」。頂上まではハイキングあるいは登山電車でアクセスできることから、クレルモン・フェランから気軽に行ける自然体験観光地として人気を集めている。
ピュイ・ド・ドームから火山列を見下ろす
日本人にとってはカルデラなど火山帯が形成する光景は、馴染みがある。しかし、この火山帯の一角に、ミルラルウォーターで有名な「ボルビック山」があることを知ると一気に親近感が湧いてくる。ボトルラベルに描かれている中央、窪んだ山がそれだ。
幾層もの火山層から濾過されて汲み上げられるミネラルウォーターは、ソフトな口当たりで飲みやすい軟水として日本でもファンは多い。クレルモン・フェランの郊外にはボルビックの工場があり、ここから世界中に配送される。工場を案内してくれたピエールさんは、「ボルビックで働けることは誇り」と胸を張る。世界的ミネラルウォーターは、この地域のブランド力を上げているとともに、地域の人たちのプライドにもなっている。
ボルビック山を背景にボルビッククレルモン・フェランは、世界的タイヤメーカー「ミシュラン」の本拠地として、世界の自動車産業を支えてきた街でもある。街中には、「ミシュラン博物館(L'Aventure Michelin)」もあり、農具タイヤから戦闘機タイヤまでその開発の歴史、「ミシュランガイド」誕生の裏側、未来のタイヤまでを学ことができる。企業博物館ながら、レーシングシュミレーターゲームなどもありテーマパークのような場所。ミュージアムショップの「ミシュランマン」グッズを楽しみにしている来場者も多いという。
ただ、各展示の説明はフランス語のみで、オーディオガイドに日本語はない。ツアーに同行した日本の大手旅行会社は、「ファムツアーを案内してくれた英語ガイドが常駐していれば、添乗員での対応も可能だが」と残念がる。
ミシュラン博物館のアイコンとなっている巨大なミュシュランマン
クレルモン・フェランは、歴史文化でも見どころは多い。6世紀初めのクレルモン司教によって創設され、12世紀に再建されたオーヴェルニュ・ロマネスク様式の教会「ノートル=ダム・デュ・ポール」は、スペインに続く「サンティアゴ・デ・コンポステーラ街道」の一部として世界遺産に登録されている。黄金比を駆使した設計による均整のとれた美しさが高く評価されている。
「ノートル=ダム・デュ・ポール」も世界遺産
また、「クレルモン・フェラン大聖堂」は、この地域らしく火山岩で建設され、その外壁の色から「黒い大聖堂」と呼ばれている。建築様式はゴシック。1248年に建設が始まったが、百年戦争やフランス革命の影響で、完成したのは実に約650年後の1902年のことだ。高台の「プレイズ・バスカル庭園」から街を見下ろすと、黒い尖塔の存在感は圧倒的だ。
ウェルネスとデザインの「ヴィシー」
オーヴェルニュ地方北部の町ヴィシーは、第二次世界大戦中、フランスに侵攻したナチスドイツが政権を置いた場所だ。フィリップ・ペタン元帥を主席とする「ヴィシー政権」として歴史に刻まれている。一方で、ナポレオン3世時代に栄えた温泉地として名高く、美しい街並みや広大な公園が点在し、公園内では温泉水が飲める蛇口が設置されており、健康を目的とした滞在型リゾートとしても人気がある。
その温泉施設は、歴史的文化的価値も高く、ヴィシーは「ヨーロッパの大温泉保養都市群」の一部として世界文化遺産に登録されている。町中心にある源泉施設「Hall des Sources」では、実際に蛇口から出てくる温泉水を飲むことが可能。スパ併設の5つ星ホテルなどもあることから、ウェルネスツーリズムのデスティネーションとして訴求力は高い。
源泉施設「Hall des Sources」。Célestinsと呼ばれる水は、重炭酸塩を含んだ、薄い塩味と微炭酸が特徴
また、ヴィシーはデザインの街としても知られる。Hall des Sourcesも、その造りはアールデコ様式。2025年はフランスでのアールデコ100周年に当たることから、ヴィシーの注目度も増している。
さらに、シンプルでデザイン性の高い市松模様が生み出された街でもあり、そのデザインパターンは「ヴィシー」として親しまれている。
「フランスの最も美しい村」で地方分散を
ツアーでは「フランスの最も美しい村」に認定されている村にも立ち寄った。この制度は、フランスで質の良い遺産を多く持つ小さな村の観光を促進するために設けられたもの。人口が2000人を超えないこと、最低2つの遺産・遺跡があること、地元住民の合意が得られていることが基準となる。地方への観光需要分散が大きな目的だ。
その一つ「シャルー(Charroux)」は、ブルボン公の時代に築かれた城壁に守られながら、ローマ街道が交わる交通の要衝として栄えた。時計通りと名付けられた道の入口では、17世紀に建てられた時計塔が出迎えてくれる。中央広場も小さく、10分も歩くと中心から出てしまう小さな村だ。
シャルー村でランチもフランスらしい体験同行の旅行会社によると、ツアー募集にあたって「フランスの最も美しい村」のアピール度は高いという。ただ、「フランス国内に点在していることから、そのツアー名での商品化には課題がある」と明かす。周遊の途中でランチ休憩などで立ち寄るのが現実的だという。
もう一ヶ所、ピュイ・ド・ドーム県の「モンペルー(Montpeyroux)」にも訪れた。村の最も高い場所には、13世紀に建てられたモンペルー城の主塔が聳える。村の名はラテン語で「石の山」という意味。この村でとれた石材は、クレルモン・フェランのノートル=ダム・デュ・ポールなどロマネスク様式の教会の建設に使用された。
19世紀にはワイン産業でも栄えたこの村には、ブドウ醸造家の民家が数多く建ち並び、現在でも、その歴史は受け継がれている。その一つ「レ・ショマン・ド・ラルコズ(Les Chemins de l’arkose)」でワインテイスティングを楽しんだ。この土地のテロワールが生み出した芳醇な味わいのファンは多く、京都のワイン輸入業者にも納品しているという。
日本にも輸出するレ・ショマン・ド・ラルコズのワイン。同行のアメリカ人は試飲後「確かに白はスシに合うかも」と感想を一言
リヨンには美食だけではない魅力も
「美食の街」として世界に知られるリヨン。世界的スターシェフ、ポール・ボキューズを産んだ街だ。レストラン「ポール・ボキューズ」、ボキューズ系列ブラッスリー、「ポール・ボキューズ市場」などがガストロノミーが強力な観光コンテンツとなっている。
一方で、ソーヌ川沿いの石畳の街並みが残る旧市街とクロワ・ルースにかけては「リヨン歴史地区」として世界遺産に登録されている。その特徴の一つが、建物の回廊や中庭を通り抜けられる「トラブール」。この造りは、15世紀ごろから絹織物が発達したリヨンで、織物が雨に濡れないようにするため、あるいはデザインを盗まれないようにこっそりと運ぶためと言われている。リヨンの繊維産業は日本との関わりも深く、日本の開国時、上質な日本の生糸と病気に強い蚕を横浜港から輸入し、さらに発展を遂げたと言われている。
観光客も、その中庭などに入れるところがあるが、一般住居として現在も使われているところが多く、観光には配慮が必要だ。
トラブールはリヨンの歴史に欠かせない場所市内にはシルク制作のアトリエも点在。エルメスなど高級ブランドのシルクスカーフなども手掛ける「L’Atelier de Soierie」では、訪問者向けにガイドツアーも催しており、デザインの発想から織りやプリントの技法まで、シルクを通じてリヨンの過去と今に触れられる。
リヨンのシルク文化は知れば知るほど奥深い日本の大手旅行会社は、視察ツアーを受けて、「街歩きが楽しいクレルモン・フェランと都会のリヨンのセットは、距離もそれほど離れていないのでツアー化が可能かもしれない」との感想を漏らすとともに、「オーヴェルニュ・ローヌ=アルプ地方は、フランスリピーター向けのデスティネーションだろう」と指摘。「その人たちに向けて訴求するのではあれば、一歩踏み込んだストーリー性、テーマ性での設定が必要になるのでは」と付け加えた。
トラベルジャーナリスト 山田友樹
取材協力:フランス観光開発機構(Atout France)、オーヴェルニュ・ローヌ=アルプ観光局