観光産業に参入した異業種企業を取材しているジャーナリストの坂元です。今回は、「無印良品」で知られる良品計画の宿泊施設プロジェクトについて取材しました。
都心から車で1時間半。千葉県・房総半島の養老渓谷近くの小高い丘の上に、良品計画が1年前にオープンした「MUJI BASE OIKAWA(老川)」があります。廃校となった千葉県大多喜町立老川小学校の建物を改修した地域体験型宿泊施設です。
といっても、外観も建物もほぼ小学校だった当時の姿を残しています。校歌の歌碑や小さな水泳プール、校庭のブランコなどもそのまま、講堂や音楽室、図工室などもあり、職員室は管理事務所になっています。宿泊施設は、教室だった2棟で、それぞれ最大10人の宿泊が可能です。もう一つの教室棟には「無印良品」の売店が入っています。
音楽室。壁には、なつかしい「楽聖」や「音楽の父」の肖像画が掲示されている
廃校を利用した宿泊施設は、ほかの地域にもありますが、このMUJI BASE OIKAWAは、客室に一歩入っただけで不思議な感覚にとらわれます。テーブルや椅子など、家具や壁面の置物などは小学校だった時代の備品がそのままが使われていますが、キッチンやベッドルーム、バスルームなどには食器や浴室用品、家電など無印良品の商品が配置されています。いかにも学校らしい、どこか懐かしい空間に、無印良品のシンプルで清潔な雰囲気がお互い邪魔せずに自然に溶け合っているように見えるのです。
「これまで商品を通じて伝えてきた無印良品の”感じ良いくらし”という世界観を宿泊することによってより深く体験できます。また、観光の視点ではなく、無印良品の視点から、地域と連携して地域の魅力を発信していきます」
OIKAWAを含め、古民家を改修したKAMOGAWA(千葉県鴨川市)やTESHIMA(香川県土庄町)など4つのMUJI BASEのプロジェクト責任者である良品計画ソーシャルグッド事業部「遊」創事業部 部長の廣川剛史さんはプロジェクトの趣旨を説明します。
インタビューに応じる廣川氏
良品計画では、2018年に中国・北京、深セン、2019年には銀座に「MUJI HOTEL」を展開。宿泊業に参入しましたが、同じころから準備が始まったMUJI BASEは「地域文化の体験基地」を実現する施設という新しいコンセプトを掲げています。
廣川さんは「既存の宿泊施設は非日常、いわば“ハレの日”(非日常)の存在ですが、MUJI BASEは“ケの日”(日常)の空間で、(宿泊者の)もう一つのふるさとのようになることを目指しています。帰宅しても、その体験を日常の暮らしに生かすことができるようにしたい」と話します。
もともと観光に携わる事業者にとって、観光は顧客に「非日常体験」を提供するのが一番の使命と考えるのが常識です。しかし、このプロジェクトは、ライフスタイルの提案によってタビアトの日常も豊かにすることを目標に据えているのです。
「もう一つのふるさと」を作るカギは地域とのかかわり
「もう一つのふるさと」を作るうえでキーとなるのは、言うまでもなく、地域とのかかわりです。
良品計画の社内では、早くから地域活性化への取り組みの一環として地方の遊休不動産を活用した宿泊施設を作る構想がありました。しかし、MUJI BASEを実際に立ち上げるまでには苦労も少なからずあったようです。
「宿泊事業として成立するのか、(社内で)経営層に納得してもらう必要がありました」と話すのはOIKAWAの支配人、野村俊介さんです。野村さんは大学時代にアルバイトをしたのがきっかけで良品計画に入社しました。無印良品の店舗の店長などを経て、ソーシャルグッド事業部に入り、ホテルの立ち上げに関わったのち、2022年にMUJI BASE担当となり、OIKAWAをオープンに導いてきました。自分自身も初めての宿泊事業の立ち上げで戸惑いもあるなか、先行オープンしたKAMOGAWAの顧客の声などを丹念に拾って経営陣の説得に努めてきました。
ただ、社内の説得以上に苦労したのが、地域と協力関係を築くことでした。MUJI BASEが掲げる「地域文化の体験基地」を実現するためには、関係構築は不可欠です。
客室となった元教室の内部と支配人の野村さん。奥の小上がりも小学校時代の作りそのまま
養老渓谷温泉を中心とした地元の観光事業者には、野村さんの前任者の時代から足掛け7年を費やし「リゾートを作るわけでなく、施設を外から来る人と地元の人の接点にしたい」「顧客層が重なることはない」というMUJI BASEの趣旨を根気よく説明して回ったそうです。
その姿勢は言葉だけでなく、施設のリノベーション自体にも地元の要望を反映させました。ひとつは、管理棟のなかに大型のコインランドリー機を設置したことです。利用者のターゲットは、宿泊者というより地元の人たちです。もともと地元にはコインランドリーがなく、不便だという声がありました。今では、一般の地域住民だけでなく、旅館のスタッフも洗い物を車に積んでやってくるそうです。
もうひとつは、言うまでもなく、「無印良品」の売店です。ほかの地域からやって来る宿泊者や訪問者も利用しますが、近隣にはコンビニも少なく、「無印良品」の店舗もほとんどない地域の住民にとっては、売店ができたことは朗報でした。
このような地道な努力が実り、地元の観光事業者にも理解を得られるようになり、今では旅館組合にも受け入れられて良好な関係を維持しているそうです。
廃校を拠点にした地域共生モデル
施設の「大家」でもある大多喜町は、きわめて協力的で、オープンしたときには町の広報誌の表紙でMUJI BASE OIKAWAを紹介するという異例の扱いをしてくれました。元小学校だけあって、現在も選挙のときには投票所としても利用されるなど、地域の日常に深く根を下ろしています。
オープンから1年が経ち、当初想定したような成果はあがっているのでしょうか。
野村さんによると、開業当初に近くの幹線道路ががけ崩れで通行止めになるなどアクシデントにも見舞われましたが、地域観光の繁忙期となる3月以降は認知度も上がり、集客は伸びているといいます。企業が宿泊研修などで宿泊施設や多目的ホールをまとめて借り上げる需要も少なくありません。そのような場合、施設に食堂がないことを補うために、地元の飲食店から仕出しを頼んだり、足りない客室を確保するために地元の宿泊施設に泊まってもらったりしています。地元との協力関係が力を発揮し、徐々に地域内での経済循環が生まれています。
客室になった元教室の内部と支配人の野村さん。テーブルや椅子は小学校の備品
体験イベントが宿泊の一部に
客室の販売はオンライン予約サイトを通じて行っていますが、顧客の大半は東京都内や千葉県の住民です。元小学校の遊び場などが人気で、子ども連れのファミリー層が多く滞在しています。
ファミリー層を中心に人気なのが、農村地域ならではの農業体験です。施設から歩いて数分のところに施設専用の畑があり、旬の野菜の収穫体験ができます。また、施設のバルコニーでは養蜂もおこなわれていて、子どもたちに人気です。家庭科教室では麹の専門家を先生に招いて、味噌作り体験も実施しています。いずれも地元の農家や専門家が指導にあたっています。地域との接点としてのMUJI BASEの理想「地域文化の体験基地」は、こうした交流から少しずつ実現に向かっているようです。
廣川さんは「都市部ではオーバーツーリズムで(旅行者に)、訪れた地域本来の暮らしが見えにくくなっている。まだ価値の伝わっていない地域の暮らしを紹介していきたい」と抱負を語ります。現在、OIKAWAの宿泊者は大半が日本人ですが、古民家をリノベートしたほかの施設では、インバウンドの顧客がかなり多いところもあります。インバウンド客を都市部から地方に分散させ、持続的な成長を確保できるかどうかに、日本の観光立国の成否がかかっています。ライフスタイルと結びついたMUJI BASEの今後は、日本の観光産業の未来を占う試金石ともいえるでしょう。
