東京都立大学観光科学科の清水です。
今回は「インフラツーリズム」の現状と課題、今後への期待を述べたいと思います。インフラツーリズムとは、ダムやトンネル、橋、放水路などのインフラを観光資源とするツーリズムです。施設の構造美やスケール感、自然と調和した景観を楽しむことはもちろん、その役割や整備の背景を学ぶことができます。
※写真:栃木県・五十里ダム(編集部撮影)
社会のインフラへの関心、その変遷
私は土木工学分野の出身です。大学に在学していたのはバブル末期でしたが、当時、日本は海外で不動産を買いあさっていました。国際的に批判され、「そんなことよりも国内のインフラ投資を行うべきだ」という圧力を受けていました。そこで政府は、巨額のインフラ投資計画を決定したわけですが、当時の土木工学科の学科長が「これで土木業界は安泰だから、君たちは将来を何も心配しなくてよい」と語っていたことを今でも覚えています。
しかし、その後、私が土木工学科で教員になった頃にはアジア通貨危機が発生し、日本も深刻な不況下にありました。21世紀に入ると、特に借金を重ねて建設を続ける高速道路ネットワークに大きな批判が集まりました。新しいインフラへの投資は難しい時代に入り、私自身は土木工学を選択したことを少し後悔しましたし、全国の大学・学科から「土木」の名称が徐々に消えていく状況に悲しい思いもしました。
一方で、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の中越地震を経て、安全安心のためのインフラ投資への関心は再び高まりました。2011年の東日本大震災の発生で、その機運が決定的になり、「国土強靱化」という発想が登場しました。近年は地震に加えて土砂災害や水害の頻発化もあり、国土強靱化への世間一般の関心が確実に広がってきたように感じます。
このように、インフラへの社会の関心は10年単位で浮き沈みを繰り返してきました。土木学会は、産官学の強固な連携を持つ一方、市民との連携は不十分という課題を抱えており、「インフラへの恒常的関心を、どう維持するか」が長年のテーマでした。2010年代に入ると、土木学会内でも広報機能が強化され、2014年には土木学会誌で「土木観光」という特集が組まれました。大手旅行会社と連携して建設中のインフラを見学するツアーが造成される動きも始まりました。
そして2018年には、政府の観光ビジョン実現プログラムで「魅力ある公的施設・インフラの大胆な公開・解放」が施策リストに位置づけられたのです。土木屋の立場としては「いよいよ時が来た」と感じる瞬間でした。同年、国土交通省総合政策局がインフラツーリズム有識者懇談会を設置し、私が座長を務めることになりました。
インフラツーリズムの考え方、3つのステージ
懇談会では、「インフラツーリズム拡大の手引き」を作成し、その中で、インフラツーリズムの拡大への考え方を以下の3段階として整理しました。
- 土木広報
- 土木広報 + 付加価値
- (土木広報 + 付加価値)×周辺観光資源
インフラツーリズムの前提として、主に公的に管理されているインフラ空間を観光客に開放する必要があります。このためには、インフラ施設管理者の積極的関与が不可欠です。懇談会を始めた当初は、管理者内の熱意ある責任者の旗振りで取り組みが進んでいた一方、地域の観光業者がほとんど関与していなかったように感じられました。
管理者はインフラを適切に運用することが責務であり最優先です。彼らからすれば、市民によるインフラ管理への理解増進が主目的となることは否めません。しかし、参加者の体験価値の配慮・設計や地域への経済的波及が意識されなければ、単なる土木広報の域を出ず、観光コンテンツに昇華できないという危機感を持ちました。そこで、地域のDMOや観光協会などの地域観光組織が主体的に関わる体制づくりをお願いしました。
インフラ単体で集客することの限界
懇談会では2019年度から、地方整備局からの推挙で順次モデル地区を選定し、私を含む有識者委員が伴走支援しながら、一緒に商品化の検討をおこないました。初期のモデル地区はダムが中心でした。当時のダムでは、観光放流に加え「ダムカレー」や「ダムカード」といった取り組みが各地で展開されていましたが、近隣に宿泊拠点や観光資源が乏しい場合、それ以上の広がりが厳しい側面がありました。
私が伴走支援したモデル地区である宮城県の鳴子ダムは、日本人技術者が外国からの力を借りずに初めて独自に設計したアーチダムで、土木遺産に指定されています。それ自体は素晴らしい資源性ですが、インバウンドへの訴求力は限定的です。集客力のある見事な「すだれ放流」は、雪解け後の年1回のみ。管理用インクラインの乗車体験やパトロール船によるガイド付き湖面遊覧は、受け入れ規模に限界がありました。
結局、ここではインフラ施設が単体で勝負するのは厳しいという結論に至りました。一方で、ダムから数キロのところには多様な泉質を有する温泉郷があり、こけしや散策路のような活用できる観光資源もあります。何よりも江合川中流には世界農業遺産「大崎耕土」があり、欧米豪系インバウンドに対しては、「インフラ × 食× 地域文化」という地域ストーリーで接続する優位性を発揮できる環境にあります。
このようなインフラ施設、地域は「(土木広報+付加価値)×周辺観光資源」の実現を目指すべきと考えています。そのためには、インフラ管理者と地域観光組織に加え、インフラ開放の際に重要となるプレーヤーの自治体による協議の場を設定し、地域観光組織のリードによってコンテンツの開発と情報発信をおこなうべきです。インフラツーリズムが地域経済に貢献できる絵姿を示せれば地域の目も変わり、結果としてインフラへの理解が進むのではないでしょうか。
インフラツーリズムが拡大するために必要なこと
懇談会のモデル地区選定では、インフラ種別の多様性に取り組みました。具体的には橋梁、砂防施設、交通ターミナル、放水路になります。しかし、それぞれの施設内での体験価値や周辺観光資源の状況は異なります。
首都圏外郭放水路(埼玉県春日部市)は施設自体の圧倒的資源性と東京からの近接性をベースに、観光事業者がツアーを運営することで休日開催を可能にしています。大源太川砂防堰堤(新潟県湯沢町)や新日下川放水路(高知県日高村)は、地域開発の歴史を絡めた商品開発ができるかしれません。一方、白鳥大橋(北海道室蘭市)の主塔登頂ツアーは、特別感のある絶景体験によって単体でも勝負できるポテンシャルを持っています。
どんな周辺条件のどんなインフラ施設でツアー化できるのか、手引きの更なる充実化に向けて、全国での多様な取り組みを期待しています。
そのために一番汗をかいて欲しいのが、地方整備局や都道府県の土木担当部局です。より積極的なインフラ開放に向けて、管理者に重い腰を上げてもらえるよう働きかけをして欲しいと思います。そして、地域の観光組織からもインフラ活用に対する積極的なラブコールも後押しになります。
過去にトラベルボイスの記事でも取り上げられましたが、ゼネコンの佐藤工業がインフラツーリズムの部局を設置しました。インフラ整備だけでなく、供用後にも関わっていく考え方は素晴らしいと思います。そして、私がゼネコンにぜひトライして欲しいのは、専業ガイドの活用ではなく、技術者ガイドの育成です。複数のインフラ施設整備を経験した技術者の将来キャリアのひとつとして位置づけて欲しいと願っています。
インフラツーリズムが「エンタメ」として成立するだけでなく、その先でインフラへの理解が進み、結果として来たるべき災害での防災・減災にもつながる。この流れを実現することが、懇談会に残された責務だと感じています。
