大震災直後、東北に臨時便を飛ばし続けた航空会社、その日のトップの決断

ジェイ・エアが主力機材として運航する76人乗りのエンブラエルE170

【秋本俊二のエアライン・レポート】

 臨時便を東北へ! 逃げ遅れた乗客を「3.11」直後から輸送しつづけたジェイ・エアの物語(上)

東日本大震災から5年。あの「3.11」発生直後に、逃げ遅れた人たちを輸送するため東北へ臨時便を飛ばしつづけた航空会社があった。大阪・伊丹を拠点にローカル路線を運航するJALグループのジェイ・エアだ。社長として同社を率いた山村毅氏(現在はJAL執行役員・貨物郵便本部長)に当時を振り返ってもらいながら、知られざるドラマを再現する。

地震発生 ――仙台/伊丹運航予定の機材は?

3.11当時、ジェイ・エアを社長として率いていた山村毅氏

ジェイ・エアは1996年、JALグループのローカル路線を担う会社として設立され、県営名古屋空港を拠点にネットワークを展開してきた。2010年1月のJAL経営破綻後は、不採算路線の縮小を中心にグループの路線計画が見直され、ジェイ・エアの運航便は伊丹空港を拠点に路線を再構築する。2011年2月28日には、名古屋から大阪・伊丹へ本社移転も完了した。東日本を巨大地震が襲ったのは、その直後だった──。

「3月11日は、ジェイ・エアの本社に伊丹空港や関空の両支店長など大阪地区のJALグループ関係者が集まっての連絡会が開かれる予定でした。スタートは午後3時で、みんなすでに会議窒の席につき、そろそろ始まるというときに地震が起きたんです。午後2時46分で、そのとき社内でJALの本社(天王洲)と電話していた社員が『天王洲はものすごい揺れみたいです!』と声をあげました。その後、震源は宮城県の三陸沖だと情報が入り、それで大阪まで揺れるというのは阪神大震災を上回る規模の大震災ではないかと愕然とした記憶があります」

予定していた会議は中止に。集まった関係者も、急いでそれぞれの持ち場に戻っていく。山村氏がそのとき考えたのは「うち(ジェイ・エア)の飛行機はいまどこにいるのか?」ということだった。スケジュールを調べると、1機(エンブラエルE170=76人乗り)は仙台空港でステイしているはずの時間だったという。

「その便の機長に、会議の前に社内で会ったことを思い出しました。いまから仙台へのフライトだという彼は、機材整備の関係で出発が2時間ほど遅れると話していたんです。その遅れがあったため、彼の飛行機は仙台には降りていない。上空でコクピットに地震の情報が入ったそうで、伊丹に戻ってきました」

臨時便運航の決断 ――山形空港はチェックイン作業不能に

被害がとくに大きかったのが、仙台空港である。滑走路が水没する様子がリアルタイムでテレビのニュースなどで報じられる。幸いにも、仙台をはじめ東北の他の空港に駐機していたジェイ・エアの飛行機はない。地震で影響が出た機材は1機もなかった。ただし、別のクルーたちが一組、仙台にステイしている。CRJ200(50人乗り)のクルーで、パイロット2名と客室乗務員1名、それに仙台で仕事をしていた整備士が1名の計4名だ。札幌から仙台に飛び、そこでクルーチェンジがあって彼らは仙台に滞在していた。

「仙台に残されたチームとまず連絡を取るというのが、私の優先すべき行動でした。その次は、東北地方の他の空港の状況把握です。東北地方のすべての空港が一度閉鎖されました。羽田も成田も、もちろん閉まりましたが。東京の本社も強い揺れで混乱し、まずは飛んでいる飛行機をどこかの空港に着陸させることに忙殺されていました。そのような状況下、こちらは自分たちで情報収集を進めるしかなかったですね」

3月11日は深夜12時まで会社にいたものの、その時点では何ら対策を取りようがないと山村氏は判断する。機材繰りを担当する社員は残して翌日飛べる可能性のあるダイヤを引いてほしいと依頼し、ほかの本社社員は全員、帰宅させた。翌日は朝8時半に集合するよう指示して。

「次の日の朝、早めに出社して各空港の状況を確認すると、電力が途絶えて『あと数時間しか電気がもちません』という状況で、電話も携帯もつながらない空港もありました。そんななか、山形空港は再開できそうだ、オペレーションもどうにかなるという情報が届いたんです」

東北に残された人たちを、何とか連れ戻したい! そんな思いから、山形への臨時便を飛ばすことを決意する。朝8時過ぎに出社した社員たちは、空港スロットの確保や乗員の調整を手分けして進めた。山形行きの最初の臨時便(エンブラエルE170=76人乗り)が伊丹を飛び立ったのは、午前11時過ぎだった。

「コクピットクルーは、別の都市から伊丹に向かっているチームに依頼しました。カンパニーラジオで連絡をとり『伊丹に戻ったら申し訳ないが、もう2レグ、山形へ往復してほしい』と。そのあと、12時発の山形への定期便(ERJ)もあったので、それもほぼ予定の時間に出しました。スポットアウトするのを見届けて、食事に行こうとオフィスを出かけたら、12時発の定期便がなぜかスポットに戻ってきたんです。山形空港から『受け入れ不可』の連絡が来たと報告を受けました」

ジェイ・エアが主力機材として運航する76人乗りのエンブラエルE170

いまこそ恩返しを ――山形発・満席の乗客に「料金後払い」で対応

山形空港で乗客のチェックイン業務ができないから──というのが理由だった。チェックイン業務には、予約情報と発券情報が必要になる。予約情報は把握できていても、発券情報(乗客が運賃を支払って発券されたという記録)がないため、山形から伊丹への便のチェックインができないというのだ。

「ちょっと待ってくれ、と思いました。この状況で山形からの便を空っぽで戻す? JALグループでいまこそ『破綻のときに助けていただいた恩返しを』とがんばっている中、着の身着のままで空港に逃げ着いた人を置いて出発するなどできるわけがない。何とか伊丹までお連れしなければ、私たちの存在意義などなくなってしまいます。そこは伊丹で何とかするから、予約情報だけあれば、あるいは予約がなくても乗っていただける方には乗っていただいてとにかく飛ばしてくれ! 私の権限で、そう伝えました。発券情報についてはこっちで後で調べるから、と。そうして定期便も少し遅れて山形に向け出発させました」

徹夜明けで自宅で休息をとっていた伊丹空港の支店長に山村氏は電話し、山形の状況を伝えた。「とにかく満席で便が到着するので、運賃をまだ払われていない方などの対応をお願いしたい」と。降りてきた乗客を誘導するため、ジェイ・エアからも社員を応援に出した。山村氏は同時に、仙台でステイしているクルーたちの救出に動き出す。

「仙台まで行ってくれるタクシーを探してほしいと山形空港に依頼しました。もちろん、すぐには見つかりません。どうしようか考えていると、しばらくして『どうにか1台を確保できた』と連絡がきたんです。そのタクシーに、クルーたちが滞在しているホテル名を伝え、山形空港に向かっている臨時便と定期便が伊丹に折り返し出発する時間に間に合うよう急いでもらいました」

山村氏はクルーたちに、こうメッセージを送ったという。「伊丹に戻ってもらうが、座席は用意できない。76席あるシートはすべて乗客で埋まるだろうから」と。4名のクルーには制服を着用しておくよう指示し、コクピットのオブザーブシートに1名、残る3名は客室乗務員が座るジャンプシートで帰ってきてもらったそうだ。クルーチームと同様、朝早くから臨時便を飛ばすために精力的に動きまわってきたジェイ・エアの社員一人ひとりにも、肉体的な疲労と精神的ダメージがたまり始めていた。

── 後編はこちら ──

秋本俊二(あきもと しゅんじ) 作家/航空ジャーナリスト

秋本俊二(あきもと しゅんじ) 作家/航空ジャーナリスト

東京都出身。学生時代に航空工学を専攻後、数回の海外生活を経て取材・文筆活動をスタート。世界の空を旅しながら新聞・雑誌、Web媒体などにレポートやエッセイを発表するほか、テレビ・ラジオの解説者としても活動する。『航空大革命』(角川oneテーマ21新書)や『ボーイング787まるごと解説』『みんなが知りたい旅客機の疑問50』(ソフトバンククリエイティブ/サイエンスアイ新書)など著書多数。

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