
2025年5月8日、公正取引委員会は東京都内の老舗高級ホテル15社に対し、独占禁止法に基づく警告を出しました。警告の対象となったのは、ニューオータニ、帝国ホテル、ホテルオークラ東京、京王プラザホテル、パレスホテル東京など、日本を代表する高級ホテル群です。ゴールデンウイーク前には、観測報道が出ていました。
警告の根拠は、これらのホテルが定期的に集まり、稼働率や客室単価について情報を交換していたことにありました。こうした行為が、不当な取引制限=すなわちカルテルに発展する可能性を否定できないとして、是正を促した形です。
一連の事案は、「価格が高止まりしているのではないか」との国民の不満や、インバウンド需要の増加によるホテル価格の高騰が背景にあるとみられます。特に、夏や秋の観光シーズンなど繁忙期を控えた時期での警告という点において、公取委の牽制的な意図があるのではないかという、うがった見方もあります。もっとも、公取委の調査自体は半年前から各ホテルに対しておこなわれていました。
今回は、この問題を外資系ホテルの視点から考察してみたいと思います。
国内大手はいるが、外資系大手がほとんどいない
まず注目すべきは、今回名指しされた15社の顔ぶれが、ほぼすべて国内資本の老舗ホテルである点です。東京を代表する歴史あるホテルのうち、確かに営業担当者が月例で集まり、情報交換を行っていた実態はあるといいますが、最近続々と日本市場に進出している外資系のラグジュアリーホテル群は、今回のリストにはほとんど含まれていません。
正確には、ハイアットリージェンシー東京とシェラトン都ホテル東京の2軒が含まれています。それぞれハイアット、シェラトン(マリオット)という外資系大手ブランドですが、国内企業が所有・運営していたため、当初から会合に参加していたのです。
過去には、いくつかの外資系ホテルが一時的にこうした情報交換グループに参加していたこともありますが、徐々に脱退していきました。その背景には外資系ホテルのコンプライアンス意識の高まりとグローバルな運営基準の強化があります。
ホテル業界関係者によれば、かつてはFAXや紙媒体による情報共有が当たり前だった時代に、RevPAR(販売可能客室1室あたりの収益)や稼働率といった実績数値を共有するのはごく普通のことだったといいます。ただし、「将来の価格方針」まで踏み込むことはなかったとの認識が一般的です。
また、「実績の数字ですら、他社が何を根拠に出しているかわからず、正確性は疑わしい。あくまで“勢い”を見る参考にしていただけで、それをもとに自社の料金戦略を決めることなどなかった」と語るホテル関係者もいます。
こうした会合は、営業担当者に限られた話ではありません。婚礼・宴会担当者の横のつながりも存在し、全国各地(主に県単位)で情報交換が行われてきました。さらに、調理部門のシェフ同士やバーテンダー、レストランマネージャーといった職種ごとの集まりも各地で存在し、「業界の勉強会」的な役割も果たしてきたのです。
しかし、外資系ホテルチェーンでは、こうした慣習はもはや過去のものです。2000年代以降、マリオット、ヒルトン、ハイアット、IHGといったグローバル企業は、独禁法違反へのリスク管理を徹底し、コンプライアンス研修において「競合他社と価格に関わる話をすること自体が違反」と明示しています。したがって、現在ではそうした“横のつながり”に外資系ブランドが関わることは基本的にありません。
それでも、国内資本によって所有・運営されるホテルが外資ブランドを冠しているケースでは、グループが主催する地域会合に参加していることがあります。これは、外資本社側からすれば「自社ブランドを冠していても、所有・運営が現地法人であればコンプライアンス責任はローカルに帰属する」と判断している証左とも言えます。仮にその会合が明示的な価格談合の場であれば、ブランド毀損のリスクから本社主導で即時脱退させていたはずです。
価格情報が“ガラス張り”のホテル業界
ここで注目したいのは、ホテル業界の特殊性です。例えば、自社サイトやOTAでは半年先の価格動向まで誰もが閲覧可能となっており、競合の価格は「隠すもの」ではなくなっています。こうした情報から、AIが競合の価格分析や需要予測をおこない、価格を最適化するなどの動きも一般的におこなわれています。価格は需要によって日々変化し、新たな地域の体験などを組み込んだ宿泊プランが開発され、一物一価の法則が当てはまらない業界です。
つまり、情報交換の場での会話は、単純に価格を話し合うだけの場ではなかったと考えられます。同業者が持続可能な運営をしていくために、同地域の事業者が情報交換する場が存在すること自体に、一定の合理性がある場合もあるということです(もちろん、カルテルを容認するものではありません)。今後、情報交換そのものが一律に“リスク”とみなされるようになると、業界全体が萎縮してしまう可能性もあります。
とはいえ、今回の警告によって価格動向に大きな影響が出るかといえば、その可能性は低いでしょう。現在のホテル価格は、物価上昇・人件費の高騰・観光需要の復活といった実体経済の動きに裏付けられており、いわば“自然な値上がり”だからです。
オーバーツーリズム問題に絡んで、ホテル価格の高騰もやり玉に挙げられがちですが、ゴールデンウイークや夏休み、年末年始など特定の期間を除けば割安な価格帯となる時期もあります。繁閑で価格を調整する「ダイナミック・プライシング」も定着してきています。
宴会担当者の会合などでは、大口顧客の予約情報などは「マル秘中のマル秘」であり、近隣ホテルは「いつ、どういった顧客が、どんな価格で利用しているか」がわかりません。国際的な会合などがあれば、関係者の宿泊や飲食利用も伴うのでホテル全体としては大きな売り上げとなりますが、「会議室とセットで予約するから宿泊・飲食は割引で」といった“バルクセール”も多く、その場合、宿泊の担当者はノルマ達成のために他の客室の価格をきめ細かく調整する必要に迫られます。
一律に値上げできればホテルにとって御の字ですが、周辺との競合もあり、青天井な価格設定はできません。料飲部門は客数増・単価増などで予算クリアを目指すことになるでしょう。
“情報の公平な共有”で地域創生を
一方で、今回の警告を受け、全国各地で開催されていた業種別・地域別の親睦組織の会合が中止、あるいは自然解散に向かう可能性があります。大半の外資系ホテルはそもそも参加していないため直接的な影響は限定的ですが、同業者とともに抱える課題や解決方法を共有する場が失われることは、別のリスクとなる可能性があります。
たとえば、黒川温泉では、「黒川温泉一旅館」という理念のもと旅館同士が連携し、地域全体でブランド価値を高めてきました 。景観の統一や入湯手形の導入など、協調的な取り組みが成功の鍵となっています。
しかし、こうした協議の場がすべて「リスク」とされて消滅してしまえば、地域の持続可能性そのものが揺らぐことになりかねません。企業単体の法令遵守は重要ですが、地域全体で築いた知恵と工夫を一括りにすることには、慎重な視点が求められるのではないでしょうか。
公取委の警告がもたらす波紋は、必ずしも価格や競争環境そのものではなく、「日本型ホテル業界の構造そのもの」あるいは「地元が連携して地域創生をすることの難しさ」への問いかけと言えるのかもしれません。