日本のホテル市場は、ここ十数年で大きな変化を遂げてきました。かつては国内ブランドが中心でしたが、バブル期以降は欧米の大手ホテルブランドが相次いで進出し、ラグジュアリーからビジネスまで幅広く市場を席巻しました。
その後、2000年代には香港系の3大ブランド(マンダリン・オリエンタル、ペニンシュラ、シャングリ・ラ)がほぼ同時期に日本に拠点を構え、話題を集めました。
そして近年、新しい波が押し寄せています。インバウンドが急増する中、東南アジアや中国本土を本拠とするホテルブランドが日本市場への参入を加速させています。京都や北海道のように観光資源の豊かな地域にアジア系ブランドが次々とホテルを開業し、東京でも長期滞在型の宿泊施設を軸にシンガポール系ブランドの存在感が高まっています。こうした動きは、従来の「欧米発」「香港発」に続く新しい潮流として注目されます。
アジア系ブランドの進出は、単なる数の拡大にとどまりません。文化的背景やホスピタリティ哲学を反映したサービスが特徴であり、日本の伝統や地域性との親和性を生みやすい点が大きな魅力です。
本稿では、これまで紹介した香港系3社を除いたアジア系ブランドに焦点を当てます。具体的には、キャピタランド・インベストメント、シティ・ディベロップメンツ、マイナー・インターナショナル、フレイザーズ・プロパティ、フォースン・ツーリズム、デュシタニ、バンヤンツリーの7社です。それぞれのブランドの歴史的・文化的背景を確認したうえで、日本での展開を紹介し、最後に横断的な比較と今後の展望を整理します。
存在感を増しつつある7社
まず、7社のブランドと概要を紹介します。上場企業で時価総額を把握できることを条件にしています(表参照)。
(注)時価総額の大きい順(2025年9月時点)。S$はシンガポールドル (出所)各社資料などを基に筆者作成
1. キャピタランド・インベストメント(シンガポール)
シンガポールを代表する不動産会社で、現在はアジア最大級の不動産投資運用会社となっています。宿泊分野は「アスコット・リミテッド」が担い、サービスアパートメントを発祥とするのが最大の特徴です。1984年に誕生したアスコットは、世界初の国際サービスアパートメントブランドの一つとされ、その後「シタディーン」「サマセット」「ライフ」などブランドを多層的に展開しました。
文化的背景として、多民族国家シンガポールの国際感覚を基盤にしていることが挙げられます。西洋型のラグジュアリー一辺倒ではなく、アジアらしい機能性や効率性を重視した設計が特徴です。
2. シティ・ディベロップメンツ・リミテッド(CDL、シンガポール)
1963年に設立された不動産大手で、ホテル事業はロンドンを拠点とする「ミレニアム&コプソーン・ホテルズ(M&C)」を中核としています。M&Cは英国の伝統を背景にしながらも、アジア資本によりグローバルな展開を遂げました。欧州の文化的遺産を重視しつつ、アジア的なスピード感を持ち込むスタイルは、独自の国際性を体現しています。
3. マイナー・インターナショナル(タイ)
1978年にバンコクで設立され、当初はレストラン事業からスタートしました。現在は「マイナー・ホテルズ」を通じてアナンタラ、アヴァニ、ティヴォリ、NHなど複数ブランドを展開し、世界500軒以上を運営する規模に成長しました。タイ流の温かいもてなし「サバーイサバーイ」を軸に据えたアナンタラは、東南アジアの文化を色濃く反映したラグジュアリーブランドとして認知されています。
4. フレイザーズ・プロパティ(シンガポール)
シンガポール拠点の不動産開発会社で、1998年に「フレイザーズ・ホスピタリティ」を立ち上げました。長期滞在型のサービスアパートメントやホテルを展開し、「暮らすように滞在する」というコンセプトを提案しています。都市型の滞在ニーズに寄り添い、出張や家族同伴の滞在に強みを発揮しています。
5. フォースン・ツーリズム・グループ(中国)
中国の複合企業フォースングループの観光事業部門で、ブランドの中心は「クラブメッド」です。クラブメッドはフランス発祥ですが、現在はフォースン傘下で再編され、特にアジア市場に照準を合わせています。「家族で楽しむオールインクルーシブ」という理念を守りつつ、中国や日本などアジアのリゾートに適した商品設計を導入しているのが特徴です。
6. デュシタニ(タイ)
1949年創業の老舗で、タイ王室との深い関わりを持つブランドです。バンコクの「デュシタニ・ホテル」は、タイの近代観光産業の象徴的存在であり、王室式典や国際会議の舞台ともなりました。ブランド哲学は「グラジャイ(思いやりの心)」に象徴され、タイらしいホスピタリティを国際的な高級ホテルに昇華しています。
7. バンヤンツリー・ホールディングス(シンガポール)
1994年、プーケットの廃鉱跡地をリゾートに変えたことから始まりました。創業者ホー夫妻が掲げた「環境再生と癒し」を基本理念に、自然共生や持続可能性を重視するブランド文化を築いています。現在は「バンヤンツリー」「ギャリア」「ダワ」など複数ブランドを展開し、ラグジュアリーからライフスタイル型まで層を広げています。サステナブル、エコツーリズム志向は日本の観光政策とも親和性が高いかもしれません。
アジア系ホテル7社の日本での展開
キャピタランド・インベストメントは2000年代初頭から日本に進出し、東京や大阪を中心に「シタディーン」「サマセット」などを展開しています。特に東京・新宿や大阪・難波といった都市型エリアに位置し、長期滞在の外国人ビジネス客や観光客に支持されています。最近では「ライフ」という若年層向けのブランドも加わり、コリビングのような新しい宿泊体験を日本市場に導入しています。
CDLは2014年に「ミレニアム三井ガーデンホテル東京」を銀座に開業しました。日本の大手不動産グループ三井不動産ホテルマネジメントとの協力によるもので、欧州由来のブランド文化と日本の不動産開発力が融合した事例です。
マイナー・インターナショナルは、まだ日本にホテルを開業していませんが、2030年に「アナンタラ軽井沢リトリート」を開業予定としています。さらに、日本企業ロイヤルホールディングスとのジョイントベンチャーを通じて、今後10年以上をかけて20軒以上のホテルを展開する構想を掲げています。すでに欧州や中東で強固な地位を築いている同社が、日本市場でどんな存在感を発揮するか、注目です。
フレイザーズ・プロパティは2020年に「フレイザー・スイーツ赤坂 東京」を開業しました。長期滞在に対応する広めの客室と、キッチン設備を備えたアパートメント型ホテルであり、ビジネス客や家族旅行に適したスタイルを提供しています。都市部におけるレジデンス型ホテルの需要は高まっており、同社にとって日本は戦略的拠点の一つと位置づけられます。
フォースン・ツーリズム傘下のクラブメッドは、中国資本となった後、日本での再拡大を加速させました。日本で展開していたサホロや石垣島などのリゾートに加え、2017年に北海道トマムで開業し、その後キロロに「クラブメッド キロロ ピーク」「クラブメッド キロロ グランド」を展開しました。冬季だけでなく夏季も含めた通年型リゾートとして運営され、オールインクルーシブ型の滞在は国内のリゾートホテルでは先駆けです。特にファミリー層やインバウンド顧客から支持を集め、日本におけるユニークな存在となっています。
デュシタニは2023年に「デュシタニ京都」とライフスタイルブランド「ASAI京都四条」を開業しました。いずれも京都の伝統的な街並みに溶け込む設計で、タイのホスピタリティと日本文化を融合させた試みとして注目を集めています。開業から短期間で国際的な旅行雑誌や業界関係者の評価を得ており、今後の展開拡大も期待されます。
バンヤンツリーは2022年に「ギャリア二条城 京都」と「ダワ ユラ 京都」を開業しました。世界的に展開するウェルネス志向のブランドが日本に根を下ろした初めての事例であり、京都の歴史的景観と共鳴するデザインが特徴です。さらに今後も日本で複数のプロジェクトが進行中とされており、持続可能性やウェルネスに注力するバンヤンツリーらしい進出が続きそうです。
各社各様の日本進出スタイル
これら7社を比較すると、まず目につくのは「進出スタイルの多様性」です。キャピタランドやフレイザーズのようにサービスアパートメントを中心に展開する企業は、長期滞在やビジネス需要に応えることで差別化しています。
一方、クラブメッドのようにオールインクルーシブ型リゾートを提供する企業は、中国資本傘下での再拡大を通じて、国内のリゾート市場に独自のオールインクルーシブ体験を再活性化させました。デュシタニやバンヤンツリーは、京都という文化都市を舞台に東南アジアのホスピタリティ文化を融合させ、日本における新しいラグジュアリーレイヤーを形成しています。
時価総額という観点では、キャピタランドの規模が群を抜いて大きく、グローバルな資本運用力を背景に長期的な成長を目指しています。対照的に、デュシタニやバンヤンツリーのような比較的小規模な企業は、ブランド哲学や文化的背景を強く前面に出し、日本市場でも独自のポジションを築こうとしています。
日本のインバウンド需要が継続的に拡大する中で、アジア系ブランドの進出はさらに進むと予想されます。特に地方都市やリゾート地での開業が増え、日本国内の宿泊市場に多様性をもたらすでしょう。欧米系や香港御三家が築いた伝統的ラグジュアリーとは異なる「アジアらしいホスピタリティ」を打ち出すことで、差別化を図る余地は大きいといえます。
