オーストラリアのインバウンド観光産業で、政府観光局とは異なる立場から業界の声を政策に届け、事業者間の商談や市場別の教育を担う組織が、オーストラリア観光輸出協議会(Australian Tourism Export Council=ATEC)だ。
ATECが創設当初から重視してきた市場の一つが日本。代表のピーター・シェリー氏は、「日本は、オーストラリアにとって最も質の高い市場の一つだ」と語る。野生動物、美しい景観、歴史、食、ワインなど、日本人旅行者に訴求する観光資源を挙げ、「日本市場は今後も成長していくと考えている」と期待を示した。
2026年5月にアデレードで開催された観光BtoB商談会「ATE26」で、シェリー氏にATECの活動を聞いてきた。
政府へのロビー活動、独立した立場で官民を橋渡し
ATECは、1972年に発足。現在は約1200会員を擁する。会員は、海外からの旅行者を扱うインバウンドツアーオペレーター(ITO)約200社と、ホテル、クルーズ事業者、ツアー事業者、ワイナリーなどのサプライヤーで構成され、ATEへの出展サプライヤーの約9割がATECの会員だ。
ATECの活動は、大きく4つに整理できる。
第1は、インバウンド観光産業を「ツーリズム輸出セクター」として代表し、政府に対するロビー活動をおこなうことだ。ビザ、オーストラリア政府観光局の国際マーケティング予算、空港到着時の旅客処理、ワーキングホリデーメーカー制度、新たな観光事業者が長期的な輸出事業者になるための輸出市場助成金などについて、業界の課題と要望を政府に伝える。シェリー氏は、国際旅行者の体験を改善するために必要な施策を政府に働きかけることが役割だと説明する。
ATECの主な収入源は会費とイベント収入で、政府から恒常的な資金提供を受けていない。研修プログラムの立ち上げ時などに一部支援を受けることはあるが、組織運営は会員基盤で成り立つ。この独立性があるからこそ、政府の方針に対して必要な意見を率直に示す一方、観光産業の事業者と政府との橋渡し役も果たせる。シェリー氏は「政府から独立しているから、『ビザ制度をもっと良くすべきだ』と言える」と強調した。
改善点として考える具体例が、日本からオーストラリアを訪れる旅行者のビザ手続きだ。申請書に英語で記入する必要がある点について、同氏は「オーストラリアにとって機能するビザ制度かもしれないが、訪問者にとって機能しているのか」と問題提起する。オーストラリア政府観光局も同様の考えを持つとしつつ、政府機関ではないATECは「より強く言うことができる」と語った。
政府予算についても、観光産業にとって評価できる点と不十分な点をメディアに発信している。シェリー氏は「私たちは自由に発言できる」と説明。より多くの旅行者を呼び込み、旅行消費を増やすための観光予算が不足していると発信することもある。
ATECの活動範囲。市場別の多彩なプログラムが用意されている
B2B商談と市場別教育、ムスリム旅行者へのハラル対応も
第2の活動は、商談機会の創出だ。ATECは、短時間の面談を重ねるスピードデーティング形式のB2Bミーティングをオーストラリア各州で実施している。大規模イベントは年2回で、それぞれ約800人が参加するほか、クイーンズランド州、ノーザンテリトリー、西オーストラリア州などでも小規模イベントを開く。会員であるオーストラリアの観光商品、とりわけ新しい商品をインバウンドツアーオペレーターに紹介し、その先のホールセラーなどへの流通につなげることが目的だ。
第3は教育である。ATECは、異なる文化圏から訪れる旅行者により良い体験を提供するため、市場別の研修をおこなっている。日本市場向けの「Japan Host Program」では、日本人旅行者が何を求めるのか、商品をどのように調整すべきか、文化面でどのような配慮が必要かを学ぶ。シェリー氏は「日本人旅行者が自分のビジネスに求める文化的要件は何かを理解する」と説明する。日本のほか、インド、中国、マレーシア、韓国、インドネシア、ベトナム、タイなどを対象とするプログラムも用意する。
教育には、イスラム教徒(ムスリム)の旅行者への対応も含まれる。そこで重要になるのがハラルへの理解だ。ハラルとは、イスラム法に照らして「許されているもの、行為」を意味する。旅行分野では特に食事との関係が深く、豚肉やアルコールを使わないことに加え、食材の調達、調理器具、保管方法などを通じて禁止されているものが混入しないよう配慮することが求められる。こうした文化・宗教上の要件を観光事業者が理解し、受け入れ環境やサービスに反映できるよう支援することも、ATECの教育機能の一つだ。
第4は、プロフェッショナル・スタンダードの確保である。会員には、必要なライセンス、保険、賠償責任保険を備えることに加え、取引先と建設的に仕事をすること、期限内に支払うこと、他者を中傷しないことなどを定めた行動規範への署名を求める。シェリー氏は「会員が最高水準であることを非常に重視している」と述べる。現在はATEC会員であることに加え、「信頼できる流通パートナー」であることを示す認証のような仕組みも検討しているという。
市場情報の共有も重要な機能だ。中東情勢をめぐってはオンラインセミナーを複数回開き、インバウンドツアーオペレーターらをパネルに招いて各市場の動向を共有。燃料費の上昇などで事業者のコストが増えた場合、それをホールセラーや旅行者に転嫁できるのかも議論する。ATE終了後にも、商談会で見られた傾向や中東情勢の影響を共有するウェビナーを開く。シェリー氏は、こうした場を通じて「現在起きていることを人々に伝えている」と話した。
航空コストが日本市場を左右、旅行流通のデジタル化を後押し
日本市場への期待がある一方、シェリー氏は航空コストに懸念を示す。燃油サーチャージの上昇で以前より約800豪ドル(約9万円)高くなり、市場の伸びを鈍らせ始めているという。「価格は適正でなければならない。安い必要はないが、高すぎてもいけない」と述べ、航空座席と価格のバランスが市場の成長を左右するとの認識を示した。
もう一つの課題が、旅行流通のデジタル化だ。消費者は、よりテクノロジーを通じて予約し、旅行することを望むようになっており、特に東南アジア、中国市場でその傾向が強いという。シェリー氏は「一部のインバウンドツアーオペレーターは、十分にテクノロジーを導入していない」と指摘する。ATECは技術導入を後押しするため、政府に500万豪ドル(約5億6500万円)規模の支援を求め、個別事業者が自己資金を拠出しながら5万豪ドル(約565万円)程度の助成を受けられる仕組みを提案している。
同氏は、業界全体で効率化できれば、オーストラリアの観光産業はさらに競争力を高められるとみる。日本のホールセラーを含め、旅行流通の一部にはテクノロジー導入が遅れている事業者もあるとの認識を示し、「単独で進めるのは難しいが、業界全体として進めれば、より良い機会があるはずだ」と話した。
流通チャネルの課題については、TikTokなどからOTAや予約に直接誘導する動きが広がるなか、伝統的なインバウンドツアーオペレーターのモデルには進化が必要だとの考えだ。「20年後には、現在の形のモデルは残っていないかもしれない。あるいは、かなり進化していなければならない」と危機感を示した。
Airbnbのような民泊型サービスについても、旅行者に宿泊の選択肢を提供している利点がある一方、インバウンドツアーオペレーターが扱うには難しい面があると指摘。規制は全国一律ではなく、都市や地域などの行政単位で異なる。「時間がたつにつれて、住宅やアパートをAirbnbで貸し出せる期間を制限するルールは増えていくだろう」と語った。
ATECが見据えるのは、政府観光局だけでは拾いきれない現場の課題を政策や流通に反映させることだ。日本市場への期待を維持しながら、航空コスト、ビザ、デジタル化という課題にどう向き合うか。オーストラリアのインバウンド観光産業は、量の回復だけでなく、受け入れと流通の質を高める局面に入っている。
※豪ドル円換算は1豪ドル113円でトラベルボイス編集部が算出
取材・文: 鶴本浩司

