観光復興の最前線を支える観光ガイド、熊本県・阿蘇火山博物館が挑むガイド育成とデジタル化の取り組みを取材した

世界最大級のカルデラを持つ熊本県阿蘇地域。南北25km、東西18kmに及ぶカルデラの中岳中央火口からは白い噴煙がもくもくとあがり、その周辺の火口原には荒々しい景観が広がる。一方、火口縁から遠ざかるにつれて、その風景は優しさを増していく。多種多様な植物が生育する火山性高原で赤牛や馬がのんびりと草を食べる牧歌的な風景も阿蘇を代表する自然だ。その独特の生態系を旅行者に理解したもらうために、阿蘇火山博物館ではガイド事業に力を入れている。

コロナ禍で、観光産業の復活へのタイムラインはまだ見えない。それでも、熊本地震からの本格的な復興に向けて、コロナ後の観光復活に向けて、その体制を強化する手を緩めない。新たなデジタルシステムも導入し、より効率的で効果的なガイドプログラムの提供に向けて歩んでいる。

ガイドは阿蘇の自然を知る入口

阿蘇でガイドの養成が始まったのは2005年のことだ。エコツーリズムあるいはグリーンツーリズムを推進していく目的でNPO法人阿蘇ミュージアムが「阿蘇インタープリター養成講座」を始めた。その一期生の中村香織さんは、「阿蘇の植物のことに詳しくなりたいと思って参加したら、実際は『溶結凝灰岩』など火山のことばかりの講座でした」と笑いながら当時を振り返る。初期メンバーの山本セツさんと岡山美奈子さんも、地元の山の自然に関心が高かったことから、ガイド養成講座に参加した。

ガイドの仕事は、山頂までの登山ガイドから阿蘇火山博物館内でのガイドなどさまざまだ。3人とも、養成講座を修了し、ガイドとして認定を受けた後も、「いろいろと個人で勉強して、自己研鑽を積み、ガイドの質を上げていった」(岡山さん)。ガイドの方法も試行錯誤して工夫。中村さんは、難しいことを分かりやすく伝える方法を自分で考えた。「たとえば、『カルデラ』はスペイン語やポルトガル語で『大きな鍋』という意味なので、実際に鍋を持参して、『今はここにいます』とか、『大観峰はこのあたり」などと、鍋の底を示しながら伝えました」。子どもたちには、カルデラという言葉を覚えてもらうために、「長崎カステラ、阿蘇カルデラ」というキャッチーなフレーズも考えたという。

鍋を持ってガイドの仕方を説明する中村さんガイドの経験を積み重ねていくうちに、ガイドのやりがいや大切さを実感していった。山本さんは「トラブルもありますが、子どもたちに、自分たちの住んでいる地域のいいところを伝えるのは楽しいですし、子どもたちが山に登ったときに感じる連帯感や達成感はかけがえのないものでしょう」と話す。

「自分で楽しみながら、お客さんにも喜んでもらいたい」と山本さん

熊本地震とコロナ禍で大打撃もガイド体制を拡充

ところが、2016年4月、熊本地震が発生。ガイドの拠点である阿蘇火山博物館も一時閉鎖を余儀なくされた。地震前は年間20万人ほどの来館者があり、ガイド体験の参加者も年間1万人ほどいたが、地震後はゼロになってしまう。

阿蘇火山博物館では、その休館期間を利用し、ガイドの存在意義を再考。2017年12月には「阿蘇火山博物館ガイドセンター」を立ち上げ、ガイド体験の中身も充実させることにした。ガイドセンター長の溝口千花さんは「博物館内だけでなく、博物館と外の自然環境をつなぐために、ガイド体験を付加価値としてプログラム化することにしました」とその目的を明かす。

阿蘇火山博物館は、地震後の2016年11月1日から一部営業を再開。入館者数は2017年度1万4000人、2018年度3万7000人、2019年度5万4000人と徐々に回復し、ガイドプログラムの参加者も昨年度は5400人まで戻った。

そこに、今度はコロナ禍。全国的な感染拡大は熊本県の観光にも大きな影を落とすことになる。地震で甚大な被害を受けた豊肥本線が2020年8月に、国道57号が10月に開通し、熊本市から阿蘇へのアクセスが復活するも、博物館とガイドプログラムの復興にも大きな影響が出た。

2020年度のガイドプログラム参加者は12月初旬までで約4000人。コロナ禍の中、大自然が広がる阿蘇は密が避けられる場所であることから、修学旅行などの教育旅行が増えると予想されるため、溝口さんは「最終的には6000人まで伸ばしたい」と前を向く。

「ガイドで阿蘇を盛り上げていきたい」と溝口さん

デジタルシステムの導入で効率的なガイド管理

コロナ禍の影響を受けるなか、阿蘇火山博物館ガイドセンターは新たな取り組みを始めた。ガイドのスケジュール管理や案件管理のデジタル化だ。2020年7月にNECソリューションイノベータが開発した「NECツアーガイドマッチング支援」を導入した。

「デジタル化以前は、登録ガイドさんのメールリストに、ガイドツアーの日時を一斉に送って、個別に帰ってきたメールを予め作っておいた表に当てはめて、決定した場合に個別にメールで知らせていました」。その作業を行っていたのが副ガイドセンター長で学芸員でもある豊村克則さん。その作業量は膨大で、個別対応のためコミュニケーションの行き違いなどもあり、本来の学芸員としての仕事にも支障が出るほどだったという。

デジタル化を進めるうえで、このシステムに賛同するガイド26人を「阿蘇火山博物館登録ガイド」としてシステムに組み込んだ。開発会社も現地に足を運び、デジタルソリューションにあまり馴染みのない高齢のガイドにマッチングの仕組みや操作方法などを説明した。

「デジタルもやらなければいけない時代ですよね。最初の設定は息子に助けてもらい、説明書を見ながらなんとか操作していましたが、今はもう何も見ずにできるようになりました」とガイドの山本さんは話す。

システムの導入で実現したのは、ツアー催行日毎のガイドの指名作業の効率化。通常、プログラムツアーの日の10日前にシステム上でガイドの募集をかけ、1週間前にアサインが決定する。基本的には応募が早い順にアサインされる仕組みだ。

山本さんは「パソコン上で、しっかりとアサインが確認できるので安心です」と話し、中村さんは「ヒューマンエラーが起こらず、豊村さんの負担も軽減されるので、いい取り組みだと思います」とデジタル化の効果を評価する。

さらに、ガイド後のリポートもデジタル化した。同システムでガイド自身が登録できるもので、ガイド中のトラブルの報告やガイド同士のナレッジの共有なども可能にしている。「ガイド後に自宅でゆっくり書けるので楽です」と岡山さん。以前は紙で報告書を提出していたため、他のガイドの報告書を見る機会はなったが、中村さんは「(デジタル化によって)自分とは違うガイドの視点が分かるので参考になります。これからもっと活用できそうです」と好意的だ。

「阿蘇は特徴のあるカルデラなので説明しやすい」と岡山さん

ますます高まるガイド需要、一方で今後に課題も

「火口からの噴煙の写真を撮るだけでなく、エコツーリズムとして阿蘇の自然体験を求める需要は高まっていると思います」と溝口さん。そのニーズに応えるためにはガイドの存在は欠かせない。

また、ガイドプログラムは、阿蘇の自然を伝える教育的な意味だけでなく、実利的な面でもメリットは大きい。一般の旅行者は、写真を撮ると、そのまま熊本市方面あるいは阿蘇市方面に下るか、大分県の久住高原方面に抜けるため、山頂付近での滞在時間は約30分ほどだという。一方、ガイドプログラムには、博物館内だけでなく、半日の本格的なトレッキングから、2時間ほどの中岳往復コースまでさまざま提供されており、参加すれば、それだけ滞在時間が伸びることになる。それにより、現地の消費額が伸びる機会も増えることになる。溝口さんは「阿蘇のストーリーを伝えることで、それに関係する消費も増えるのでは」と話す。

一方で、課題もある。次世代ガイドの育成だ。現在阿蘇博物館登録ガイドの平均年齢は60歳。ガイドのなり手は定年退職した男性が多いという。ベテランガイドの岡山さんは「ガイドだけでは生活が成り立たないので、若い人は難しいでしょう」と現状を明かす。逆に、ガイドをやっている人は半分ボランティアで、ガイド業がなくても生活できるため、意識が高い人でなければ質がなかなか上がらない問題もあるという。

阿蘇火山博物館登録ガイドの給与は、プログラムの難易度と拘束時間によって決まる。一番平易なミュージアムツアーは1時間~1時間半で3000円。溝口さんは「副業としてのガイドをどのように育成し、回していくか。パートなどの雇用形態や拘束時間などをどのよう変えていくのか考えていきたいと思っています」と話し、来年4月にも新しい枠組みを構築する計画を明かす。

現在インバウンド市場は止まっている。阿蘇火山博物館への入館者が20万人だった当時、そのうち訪日外国人は実に15万人。韓国や台湾から大型バスで乗り付ける団体客がメインだったが、一方で、 阿蘇山の生態系を深く知りたいという個人客もヨーロッパを中心に増えていたという。将来インバウンドが本格的に再開された後、そうした知識欲の高い訪日外国人に対応するガイドを増やしていくことも課題だ。

中村さんも「おもしろいと思ってもらえるガイドをもっと英語でできるようにしていきたいですね」と話し、「今がそのスキルを上げるチャンス」と意欲を示す。

阿蘇山観光の拠点となる「阿蘇火山博物館」ガイドがなくても、阿蘇の雄大な自然は変わらない。しかし、ガイドがあれば、一歩も二歩もその自然に近づけ、旅の記憶の輪郭が鮮明なるのは間違いない。

「阿蘇の自然がどれほど素晴らしいか、それを守るためにはどうすればいいのか。ガイドを通じて、そうしたことを伝えていきたいですね」と岡山さん。ベテランガイド3人とも、ただのガイドではなく、それぞれオリジナリティを持った人たち。しかし、共通するのは、ガイドプログラムの参加者の人たちに「喜んでもらえることが一番うれしい」ことだ。

インタビュー聞き手:トラベルボイス編集長 山岡薫

取材・記事:トラベルジャーナリスト 山田友樹

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