こんにちは。日本交通公社の山田雄一です。
前回、第5次の観光立国基本計画で「宿泊業が創出した付加価値額」が目標設定された事に触れ、なぜ、日本では観光消費が増えても所得が増えないのかについて論じました。本稿では、観光消費の拡大が必ずしも地域の所得向上につながらない構造を踏まえ、その要因と解決の方向性について考察します。
ザル経済を避けるには?
今日の付加価値は、労働ではなくIP(知的財産)から生まれます。国際的なホテルチェーンは、宿泊業をより効率的に運営できる普遍的な経営技術をIPとして持っています。そのため、世界中どこでも、付加価値を創造することができ、かつ、それを自身の利益として獲得できています。
問題なのは、その結果として、地域に統計上の観光消費が上昇しても、上振れした付加価値の多くは、IPを持つ地域外の主体に漏出してしまうことです。
これはザル経済と呼ばれる構造です。
では、ザル経済化を避けるにはどういう対応が有効なのでしょうか? 私は、従業員自身がIPを持つことが重要だと思っています。
経営側または資本家側ではなく、従業員自らが付加価値創造につながるIPを持つことで、従業員の給与が上がり、それが新たな消費に回っていくことで地域経済が循環するようになっていくからです。
労働者の付加価値形成力と就業経験
「年功序列は崩れた」とも言われますが、厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によれば、性別によらず、20代から年齢が上がるにつれて給与水準は高まり、50代でピークを迎えます。学歴による違いは、年代が上がるに連れて拡がり、大卒者は50代で高卒者に対して1.5倍程度の給与水準となります。
ただし、女性の場合、50代がピークである点は男性と変わりませんが、上昇幅は限定的です。結果、同じ学歴であれば20代の頃には男女差がほとんどないものの、50代では男性が女性の約1.5倍となります。こうした男女差が生まれる理由は、女性が単純労働に従事する割合が高いことに加え、結婚や出産・育児によるブランクがあるためと指摘されています。
さらに、国税庁の民間給与統計調査によれば、勤続年数が長くなると給与が上昇すること、また、内閣府の政策課題分析シリーズ「日本のフリーランスについて」によれば、同じ年代・学歴でも転職回数が増えると所得が下がる傾向があることが示されています。
これらの実態は、給与アップ、すなわち付加価値創造力のある人材となるためには、基礎となる学歴と、継続的かつ職能を高めていくことができる就業経験が必要だということを示しています。
そうした点を踏まえた上で、国勢調査より宿泊・飲食業の就業者を年代・男女別にコーホート分析(2010年と2015年)してみましょう。国勢調査の最新データは2020年が取得できますが、コロナ禍の影響が排除できないため、2010年と2015年の比較としています。
宿泊・飲食業の性・年代別就業者数(国勢調査より、著者作成)このグラフをみて解るように、男女とも20〜25歳で一つのピークをつくっていますが、その後、急減します。具体的には、2010年に男性38万人、女性45万人いた就業者は、5年後の2015年(30〜34歳)には、男性18万人、女性24万人と約半減してしまいます。
さらに、男性は、その後も加齢に伴い減少し、再上昇することはありません。一方、女性は20代後半で一度減少したあと、30代後半に再上昇し、その後は減少するものの減少幅は抑制的です。これは、男性は加齢と共に他の産業に転職していくのに対し、女性は子育て後などに他産業から新規参入し、定年まで就労しているケースが多いことを示しています。
この結果が示すように、宿泊・飲食業では給与が高まる要素である継続的な就業経験を得にくい構造となっています。40代以降の女性は、そのチャンスがありますが、もともと家計補助を目的とした方が多く、各種の資料が示すように高学歴でないかぎり、中年女性が所得を増大させるハードルは高いのが実状です。端的に言えば、雇用の受け皿となっているものの、給与を高めたいと思えば転職するしかないという職種です。企業は、就業者に高い職能は求めておらず「安い賃金で働いてくれる人」を求めているとも言えるでしょう。
こうした構造のためか、国勢調査によれば1995年には378万人いた宿泊業の就業者は2015年には350万人、2020年には310万人にまで減少しています。2020年はコロナ禍の影響があるとはいえ、5年で5%程度減少してきたのが実状です。
外国人労働者への依存
こうした状況の中で、産業が依存してきたのは外国人労働者です。厚生労働省の「外国人雇用状況」によれば、宿泊・飲食業で働く外国人労働者は、2010年7.2万人でしたが、2025年には32万人にまで増加しています。
前述の通り、2020年の就業者数は310万人ですので、すでに就業者の1割が外国人ということになります。
主たる担い手であった若年層が、少子化によって減少し、高齢者も女性もこれ以上の獲得は難しいことを考えれば、外国人労働者に人手を求めるのは当然の帰結でもあるでしょう。
また、観光が国際化を進める中、着地となる地域側、施設側も国際化を進めることは適切な判断とも言えます。
ただし、円安も進行を考慮すれば「低賃金で働いてくれる労働力」として外国人を雇用し続けることは難しいことは明らかです。すでに「人手不足」によって事業が制限される事例は、数多く発生していますが、少子化社会である日本において、既に労働集約型の経営モデルは成立し得ないと考えるべきでしょう。
勤続年数を増やしてIPを創る
こうした状況において、観光を地域振興の手段として活用していくには、就業者を部品のような労働力と捉えるのではなく、観光経済を回していく人的資源として捉え直す必要があります。
就業者が2〜3年で辞めてしまう現状から、20〜30年勤続する構造に転換できれば、新規に確保しなければならない就業者は1/10に圧縮することができます。さらに、5年、10年と就業していくことで業務経験が積み重なり、職能も高まっていくことが期待できます。これは、冒頭で指摘した「従業員がIPを持つ」ことに繋がる話です。
では、どのようなIPを持つことが有効なのでしょうか。
観光業におけるIPには、2つの領域があると考えています。
一つは、観光「事業」を効率的におこなっていくための技術やノウハウ。もう一つは、施設が立地する地域に対する深い造詣とネットワークです。
前者は、「おもてなし」という領域があるものの、国際ホテルチェーンが強みとする部分です。これに対抗して、新しい価値創造に挑むことは難しいのが実状です。実際、すでに国際ホテルチェーンが創る「旅館」も登場しています。もちろん、ホスピタリティ・マネジメントの知識や技術をMBAなどで取得し、それを実践していくこともできますが、基礎となる学歴も必要となります。ですから、地域資本に就労するより、国際ホテルチェーンに就職した方が「個人としては良い選択」となることが多いでしょう。
一方、後者については、地域の観光産業で継続して勤続することで得られるIPです。域外の資本や人材が簡単に模倣することはできません。さらに、観光客に対応する業務をおこないながら、地域の歴史文化や自然、各種サービスなどに造詣を持ち、関係先とのネットワークを持っていれば、顧客の状況に合わせて最適なサービスを提供することができるでしょう。
「どこか美味しい郷土料理を出してくれる飲食店を紹介して欲しい」「出発まで1時間あるんだけど、オススメの場所を教えて」といった要望は、よく出てくる話です。これらをマニュアルで対応するのと、自身の経験から話しをするのでは顧客が受ける印象は大きく異なります。
さらに、従業員が、こうしたIPを有するようになれば、事業者もユニークな経営戦略を建てられるようになります。人材が「できること」は、組織の経営力を高め、選択肢を広げるからです。
例えば、新潟県のある旅館では、館内で提供する夕食に力を入れているにも関わらず、地域で飲食店での外食も勧めています。また、地域の自然や文化を楽しむことができるプログラムを数多く用意しています。これは、連泊する顧客が地域に対する関心を高めて行動することで、自社の施設を「どこにでもある高級旅館」ではなく「その地にある高級旅館」として認知してもらうためです。これは、国際ホテルチェーンと明確な差別化となります。
これが実現できているのは、従業員が住民となり、地域とつながり、時間をかけて地域を知り、結婚や育児といった自身のライフステージ変化を通じて暮らしていくことができる環境ができているからです。
実現に向けて地域ができること
これを実現するためには、基本的に事業経営者が従業員に対する意識を変えることが必要ですが、そこに過度な期待を持つことはできません。
ただ、地域が、その意識転換をサポートする事はできます。
それは、観光産業で働く人達を地域の一時的、補助的な労働力と考えるのではなく、地域を10年、20年と支えていく仲間と考え、その生活環境を造っていくことです。例えば、観光従事者の勤務形態は不規則なことが多く、夜間や土日の就労もめずらしくありません。GWのような祝日は「稼ぎ時」でもあります。
これは、就業者が家族を持っている場合、大きなハンディとなります。日本社会は、日中就労および土日祝休みを基準として動いているからです。
しかし、彼らが働きやすいように夜間や休日の保育環境(学童を含む)を充実させたり、学校の休業日を平日に設定したり、ラーケーションを充実させたりしたら、どうでしょう。また、観光地としての注目が高まっていけば、地域には多くの観光サービスの「タネ」が蒔かれていきます。従業員に対して、起業支援をおこなうことで、こうしたタネを拾って事業として育てていくことができれば、地域が生み出し、地域に還元される付加価値を高めることが期待できるでしょう。
若いときに観光産業に興味を持って来てくれた人たちに、観光を一生の仕事と考えてもらい、地域に住み続けたいと思ってもらうために、地域ができることは多いのではないでしょうか。



