アジア旅行市場の現状と今後をめぐり、業界内で語られがちな複数の見方に対して、スキフト上級リサーチアナリストのロビン・ギルバートジョーンズ氏(写真)は、データをもとに再検証し発表した。同氏が提示した主張の中核は、アジアを世界の旅行トレンドに追随する市場として捉えるのではなく、むしろ世界の潮流を形成する市場として見直す必要があるという点だ。バンコクで開催されたスキフト・アジアフォーラムで発表された内容をレポートする。
発表では、地政学リスク、ビザ緩和、中国ファースト戦略、ラグジュアリー旅行、そしてコロナ禍前の旅行者像からの変化という5つのテーマが取り上げられた。
ギルバートジョーンズ氏は、現在の混乱した世界情勢のなかで、米国や中東の旅行市場に影響が出ている一方、アジアは成長を続けていると指摘した。その成長率は11%で、世界全体の5%の約2倍にあたるという。
地政学がアジア旅行に悪影響を与えているという見方について、同氏は「これはデータ分析結果とは異なる」と説明した。理由として、アジアは混乱を待つのではなく、航空ハブの再編や代替ルートの確保などを通じて、変化に適応している点を挙げた。例えば、エア・アジアがイスタンブールを欧州ハブとして位置づける動きや、シンガポールが代替トランジットハブとして見込まれていることなどに触れ、「アジアは中東地域の代替として自らを位置づけ、吸収できる需要を取り込もうとしている」と述べた。
地政学リスクのなかで成長するアジア、ただし脆弱性も
一方で、同氏は、アジアが一方的な勝者であると単純化することには慎重な姿勢を示した。中東情勢はアジアにとって「大きな脆弱性」であり、ジェット燃料価格の上昇はすべての市場に影響を及ぼすためだ。
また、ビザ緩和とデスティネーション・マーケティングの関係も考慮する必要がある。同氏は「ビザ緩和はデスティネーション・マーケティングより重要か」という問いに対し、アジアの各デスティネーションが近隣市場に対して門戸を開いた結果、実際に明確な成果が出ているという分析結果を示した。
具体的には、マレーシアでは2024年以降、中国人とインド人の訪問者が100%増加。韓国でも中国人訪問者が同様に100%増えたと説明。さらに、中国とベトナムでも、それぞれ79%、56%の増加が見られるとした。同氏は「扉を開けば、旅行者はやって来る」と述べ、ビザ緩和が周辺市場からの旅行者を呼び込むうえで、迅速かつ強力な政策レバーになっていると指摘した。
ただし、ビザのハードルだけが旅行需要を阻害する最大要因ではないとも補足した。中国では地政学や安全面への懸念が主要な障壁であり、インドでは旅行費用の上昇が大きな課題となっている。また、日本に関連する旅行者では、健康関連の懸念も重要な要素として挙げられるという。つまり、ビザ緩和は有効であるものの、旅行者が直面する障壁は市場ごとに異なり、複合的に把握する必要がある。
中国は依然として基盤市場、インドの成長と併存する戦略へ
アジア市場をめぐるもう一つの論点は、中国市場の位置づけである。
ギルバートジョーンズ氏は、インド市場について「今まさに勢いがあり、高いレバレッジと高成長を備えた市場。あらゆるデスティネーション開発戦略において当然、重視されるべきだ」と評価した。その一方で、中国市場は「今もなお、基盤であり、根本的な市場」であると位置づけた。
この指摘は、アジア戦略において、インドの成長を取り込むことと、中国市場を再評価することが二者択一ではないことを示している。インドは将来性の高い成長市場である一方、中国は旅行意向だけでなく、支出額の面でも地域戦略を支える中核市場であり続けている。したがって、アジア市場のポートフォリオは、特定市場への過度な依存を避けながらも、中国の基盤性とインドの成長性を同時に見据える必要がある。
ラグジュアリー旅行について、同氏は「アジアのラグジュアリー旅行は飽和点に達している」という見方を否定した。世界のラグジュアリーホテル市場は、2024年の1590億ドル(約25億3000万円)から2032年には3690億ドル(約約58億7000万円)へ成長すると予測されており、その成長を牽引する主要エンジンがアジアであるとした。アジアのラグジュアリーホテルへの宿泊数は2022年以降90%増加し、平均宿泊単価(ADR)が1000ドル(約16万円)を超えるホテルが2019年以降に2倍以上になったという。
インド人・中国人・日本人旅行者の特性の違い:プレゼン資料より
AIとモバイルが変えた旅行者像、2019年型の顧客は戻らない
ただし、ラグジュアリー需要は拡大するだけでなく、質的にも変化している。ギルバートジョーンズ氏は「同じ従来型のアプローチでは通用しない」と述べ、変化する消費者に対応するサービスを提供する必要があると指摘した。
アジアのラグジュアリー旅行者は、旅程に対する柔軟性やコントロールを重視し、プライバシーや排他性を求める傾向を強めている。また、従来型の華やかさ、きらびやかさから離れ、より静かで親密な場所を求める「クワイエット・ラグジュアリー」への志向も見られるという。
最後に同氏が強調したのが、2019年の旅行者は戻ってこない、という認識である。現在、戻ってきているのは、予約手法、旅行スタイル、選び方、嗜好、接点が異なる新しい旅行者であると説明した。
この変化の大きな要因として、テクノロジーの浸透がある。アジアの旅行者はAIを積極的に受け入れており、中国人とインド人旅行者の80%超が予約にAIを利用しているという。また、モバイルファーストは新しい標準になった。中国市場では個人旅行の志向が強まり、団体予約は減少している。さらに、直前予約が新たな常態となっており、数カ月前に予約される大規模な中国人団体旅行を前提にした戦略では、すでに顧客を取り逃がしている可能性があると警鐘を鳴らした。
ギルバートジョーンズ氏は、これらの論点に共通する誤解は、アジアを世界の旅行トレンドに追随する市場として扱っている点にあると整理した。実際には、アジアは混乱を吸収するだけでなく、混乱している他市場から需要を取り込み、世界のラグジュアリートレンドを形づくっている。さらに、パンデミック後に単に元の状態へ戻るのではなく、新しい旅行者が新しい嗜好とトレンドを生み出している。
同氏は、アジア市場を理解することは、この地域で成功するためだけでなく、グローバルに成功するためにも重要だと訴えた。そのうえで、「アジアは、世界経済全体にとってトレンドを示す市場である」と締めくくった。アジア旅行市場は、もはや回復局面を測る対象ではなく、次の観光産業の需要、商品、チャネル、顧客接点を先取りする市場として、戦略上の重要性をさらに高めている。
※ドル円換算は1ドル159円でトラベルボイス編集部が算出
取材・文: 鶴本浩司


