
2025年4月、ANAが「関空から行く!能登復興ボランティアツアー2日間」を実施した。2024年1月に発災した能登半島地震と、その後の奥能登豪雨で甚大な被害を受けた地域を支援するこのツアーは、ANAグループ社員提案制度で発案。ANAとしては初めての災害ボランティアツアーとなる。
このツアーでは、ボランティア活動だけでなく観光をプラス。地域経済への貢献機会も組み込んだ。ツアーの意義と、地元の受け入れ態勢をツアーに同行して探った。
「観光+ボランティア」に好意的な受け止め
ANAは、のと空里山港に乗り入れている唯一の航空会社。羽田線を定期運航しているが、今回の1泊2日のツアーは、関空国際空港から大阪・関西万博特別機のチャーター便で実施された。復路は「復興支援招待フライト」として、能登地方の子どもたちとその家族を招待した。
ツアーに参加したのは30人。年齢は10~60代と様々で、半数以上がボランティア初体験だという。この企画を発案したANAフライトオペレーションセンター 安全品質推進部 安全推進チームの佐保光祐さんは、「当初は、募集人数が本当に集まるのか不安でした」と本音を吐露する。
このツアーでおこなうボランティアは、水害で被害を受けた輪島市の農家の畑に堆積した泥をかき出す活動。「災害ボランティアの旅行商品化の難しさの一つは、募集する段階のニーズが、(募集から実施まで時間が経過することから)ツアー催行時点で変化する可能性があるところ」と佐保さん。今回のツアーでは、その心配は杞憂に終わったが、それは逆に復興が進んでいないことも意味した。
参加者は、のと里山空港からバスで、ボランティア活動の拠点となる輪島市のパワーシティ輪島ワイプラザに移動。そこで、ボランティア受け入れ団体となっている「輪島市福祉協議会」から支援内容や注意点などの説明を受け、準備を整えた後、支援現場に向かった。
活動前にボランティア内容の説明を受けるツアー参加者協議会の荒木正稔さんによると、現在も輪島市の職員の40%ほどが避難しているため、ボランティアに頼らざるを得ない状況だという。本来、協議会としては、被災者住居の復興が第一優先だが、そのような状況のため、住居の導線以外の部分にも活動範囲を広げているという。「とにかく、住民の皆さんが普段の生活を取り戻せるようにすることが大事」と力を込める。
そのうえで、今回の「観光 + ボランティア」の取り組みについて、「本当はもっと早い段階から受け入れることができればよかったと思っています。被災者の復興と同時に、生業の復興もしていかなければならない。観光で来ていただくことは、奥能登を盛り上げていくためにも大変ありがたい」と話し、「観光で訪れて、ランチだけでも食べていってもらえれば」と続けた。
ボランティアを通じて関係人口に
ボランティア活動は、市内を流れる川沿いの畑でおこなわれた。2024年9月の豪雨で甚大な被害が出た場所だ。まだ、その爪痕は残り、泥の掻き出しが終わったところと手付かずのところの差が大きい。参加者は、長靴に軍手、シャベルと鍬を片手に堆積した重たい泥を掻き出し、土嚢袋に詰めていく。参加者の一人は、「ボランティアには関心があったが、これまで参加するきっかけがなかった」と話し、タオルで汗を拭いた。
作業時間は約3時間。個人では途方に暮れるような量で、30人の力を合わせても完全には取り除けないが、この畑で野菜を育てていた嘉美好子さんは「若い人と話もできるし、本当にありがたい」と話し、一緒に汗を流した。
積もった乾いた泥は想像以上に重たい。若いボランティアの力の発揮どころ能登の復旧・復興には災害ボランティア活動を全国で展開するNGO「結(ゆい)」も力を貸している。代表の前原土武さんは、「能登の復興の難しさは、急激な人口減少。集落をどのように維持していくかが大きな問題になっています」と明かす。そのうえで、「暮らしのイノベーションをしていかなければならいない」と話し、その解決方法の一つとして、二拠点居住や関係人口の創出に期待をかける。「季節ごとに年に3、4回、能登を訪れる。そして、住民票は増えなくても、地域と関わりを持つ関係人口になる。間違いなく、そうした取り組みが大切になってくると思います」と強調した。
観光でツアー化の価値を
このボランティアツアーは、ANA社員提案制度から生まれたものだ。発案者の佐保さんは、「チャリティイベントで能登の子どもたちと話をしたときに、能登に飛んでいる航空会社として何かできないかと考えたのがきっかけ」と明かす。
同じ思いを共有していたCX推進室CX戦略部サービス基盤チームの岡野圭穂さんも参加。さらに、審査の過程で、社員提案制度を取り仕切る人事部ANA人財大学変革塾の渡辺こころさんがサポートとして加わった。実際に被災地を視察。まだ復興が進んでいない現状を目の当たりにして、ボランティアと観光という枠組みを考えたという。
社員提案制度は、1年に1回募集をかける。2024年度は123件の応募があり、最終の役員審査を通過したのは、このボランティアツアーを含めて8件だったという。これで、商品化に向けて具体的に動き出すお墨付きを得たことになる。
ツアーの商品化に向けては、ANAグループで旅行部門を担うANA Xと相談し、旅程内容を詰めていった。その反響は大きく、2025年3月6日にプレスリリースを出し、販売を開始したところ、4日で完売したという。
災害ボランティアツアーの難しさについて、人事部ANA人財大学変革塾マネジャーの中浦聡美さんは、「ボランティア参加者の安全も確保しなければならないところもあります」と指摘する。被災地ではボランティアの危険度も増す。そのリスクを商品を造成する旅行会社として、どのように回避するのかに課題が残る。
ただ、佐保さんは、課題はあるとしながらも、「このような取り組みを一つ残せば、後ろにつながっていくだろうと思っています。被災支援に限らずいろいろな形のボランティアの需要はあると思うので、いろいろな可能性があると考えています」と将来に向けて意欲的だ。
渡辺さんは、商品化にあたっては、「観光客を受け入れる能登の人たちの気持ちを心配しましたが、快く受け入れてくださいました。そうした正しい情報を発信していくのも大切だと感じています」と振り返った。
ボランティアは、ツアーでなくても個人でも参加できる。「いろいろなボランティアがあるなかで、どこまで災害ボランティアにこだわるのか議論しました」と岡野さん。佐保さんも、「ツアー化することで得られる価値とは何かを熟慮しました」と話す。その価値の一つが、観光。言い換えれば、実働支援に加えて、微力ながらも地域経済を回す役割も担うということだ。
(左から)嘉美さん、ANA渡辺さん、岡野さん、佐保さん
観光で被災地の今を知り、消費する
ツアー2日目、参加者は能登観光を楽しんだ。「漆陶舗あらき」では伝統工芸の沈金を体験。「能登食祭市場」では、地元産の海の幸を堪能した。また、穴水町のワイナリー「能登ワイン」も訪れた。
さらに、七尾駅から穴水駅までは「のと鉄道」の震災語り部観光列車に乗車した。この列車は、普通車両に観光列車を連結したもの。今年は、春と夏に1日3往復運行している。語り部が車窓から見える能登の自然に加えて、震災の記憶を語ってくれる。
語り部の宮下左文さんは、発災時、能登中島駅で停車中の車内にいたという。「私たちは津波から逃れるために、お客様とあの坂を登り始めました。高台はあそこしかないんです」と話しながら、走行中の列車の窓の外を指さした。
災害大国日本。宮下さんは、「災害というのは突然起こります。ぜひ、能登を訪れて、家族で防災について改めて考えてみてください」と力を込めた。
のと鉄道語り部列車。語り部の宮下さんから学ぶことは多い地震後、大火に襲われた輪島朝市通りは現在、更地になっており、当時の面影は伺い知れない。復興には時間がかかる。輪島朝市通りで飲食店を営んでいた「まだら館」は、火事で被災。現在は、のと里山空港に隣接する場所にオープンした仮設飲食店街「NOTOMORI」に場所を移して、営業を続けている。その店主は、「まだ時間はかかるかもしれませんが、将来的には輪島に戻りたいと思っています」と話す。
店主によると、NOTOMORIでは地元の人たちや復興作業員だけでなく、観光客の利用も徐々に増え始めているという。
ANAが仕掛けたボランティアツアーは、改めて「観光の価値」を問い直す機会になるかもしれない。
トラベルジャーナリスト 山田友樹